第37話「青銀の魔女って、私のことですか!?」
王都アストリアの朝は、今日も賑やかだった。
通りには焼きたてのパンの香りが漂い、露店の店主たちが元気な声を張り上げている。荷馬車が石畳を進み、行き交う人々の間を子どもたちが駆け抜けていった。
私は、その光景を眺めながら大きく伸びをした。
「んんーっ! いい朝ですねえ!」
「ぷいっ!」
「ぷるん」
右肩のエルが元気よく跳ね、左肩のレイが静かに揺れる。
昨日は、王国からいただいた研究協力者の証明書を何度も眺めてしまった。
だって、王立研究院の資料を利用できるんですよ?
しかも、他国の研究機関との交流まで支援していただけるんですよ!?
これって、ものすごいことだ。
この世界には、まだ知らない魔術がたくさんある。
エルフの精霊魔法。
魔族の魔術体系。
ドワーフの魔道具。
竜人の身体強化。
獣人の感覚と魔力の関係だって、調べてみたい。
……ああ、どうしよう。
考えただけで、楽しくなってきちゃう!
「よーし! 今日も研究院に行きましょう!」
私は、足取りも軽く通りを歩き始めた。
ところが。
「あっ!」
すれ違った女性が、突然立ち止まった。
「もしかして……青銀の魔女様!?」
「……はい?」
私は、思わず振り返った。
女性は、目を輝かせてこちらを見ている。
「やっぱり! 銀色の髪に、青い瞳! それに、肩の小さな魔物たち!」
「えっ? あ、はい。エルとレイですけど……」
「きゃあ! 本物だわ!」
……本物?
何の?
「ありがとうございます! 私の弟、スタンピードのときに助けていただいたんです!」
「……え?」
「街道で魔物に追われていたところを、大きな結界が守ってくれたって!」
女性は、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました!」
私は、慌てて両手を振った。
「い、いえ! 結界は魔法師団の皆さんと一緒に作ったものですから!」
「それでも、あなたが考えてくださったんでしょう?」
「えっと……はい。でも、ネスラさんたちがいなかったら、あんなに広く展開できませんでしたし……」
女性は、にっこり笑った。
「そういうところも、噂どおりですね!」
「……噂?」
「はい! 青銀の魔女様は、すごく強いのに、とっても優しい方だって!」
「…………」
……え?
ちょっと待って。
私、いつの間にそんな人になったんですか!?
◇
王立研究院へ向かうまでに、私は三回呼び止められた。
一回目は、さっきの女性。
二回目は、街道の避難誘導に参加したという商人さん。
三回目は、パン屋のおじさんだった。
「青銀の魔女様! これ、持っていきな!」
「えっ!? パンですか!?」
「うちの親戚が世話になったんだ! 代金なんかいらねえよ!」
「だ、駄目です! ちゃんと払います!」
「いいっていいって!」
「でも、お店のお仕事ですし!」
結局、銅貨を渡そうとする私と、受け取ろうとしないおじさんで、しばらく押し問答になった。
最後には、おじさんが笑いながら言った。
「じゃあ、次も買いに来てくれよ!」
「はいっ!」
……よかった。
これなら、ちゃんとお店の役にも立てる。
私は、いただいたパンを一つ頬張った。
「んんっ! おいしい!」
「ぷいっ!」
「ぷるん」
「ふふっ。二人にも分けてあげますね!」
小さくちぎったパンをエルとレイに渡す。
……でも。
私は、少しだけ首を傾げた。
「……青銀の魔女、かあ」
昨日、陛下が正式に認めてくださった名前。
でも、こんなに早く広まるものなのかな?
……まあ、いいか。
呼びやすいなら、それで。
私は、残りのパンを食べながら研究院へ向かった。
◇
「……遅い」
研究院の一室に入ると、ネスラさんが机に向かっていた。
猫耳フードの下から、少しだけ不機嫌そうな目がこちらを見る。
「す、すみません!」
「……約束の時間、十五分過ぎてる」
「途中で何度も声をかけられちゃって……」
「……青銀の魔女?」
「えっ!? 何で分かるんですか!?」
「……昨日から、研究院でもその話ばっかり」
ネスラさんは、小さくため息をついた。
「……君の名前を知らない研究者まで、称号は知ってる」
「えええっ!?」
……そんなに!?
「……ちなみに」
ネスラさんが、机の上の書類を指さした。
「……今日の研究会、見学希望者が増えた」
「研究会?」
「……結界の運用報告」
「あっ!」
そうだった!
今日は、スタンピードで使用した新しい結界運用法について、魔法師団と王立研究院の合同検討会があるんだった。
「楽しみですねえ!」
「……うん。君はそうだろうね」
「ネスラさんは楽しみじゃないんですか?」
「……楽しみ」
ネスラさんは、少しだけ視線を逸らした。
「……ただ、人数が多い」
「何人くらいですか?」
「……四十人」
「わあ! そんなに!」
「……君、嬉しそうだね」
「もちろんです!」
私は、思わず両手を握った。
「だって、四十人もいたら、私が思いつかなかったことを誰かが知ってるかもしれませんよ!?」
「…………」
ネスラさんが、少しだけ笑った。
「……そういう考え方、好きだよ」
「えへへ!」
◇
研究会が始まると、私は早速、黒板の前に立った。
会場には、魔法師団の魔術師さんたちと、王立研究院の研究者さんたちが集まっている。
中には、以前お会いした方もいた。
私は、ぺこりと頭を下げた。
「セリス・アルフィーネです! 今日はよろしくお願いします!」
すると。
「青銀の魔女殿!」
最前列の研究者さんが、勢いよく立ち上がった。
「お噂はかねがね!」
「えっ!? あ、ありがとうございます!」
「初級魔術のみで災厄級を十三体討伐されたとか!」
「……えっと、はい」
「千を超える魔物を一度に殲滅されたとも!」
「一度に、ではないですよ!?」
……噂って、どうして少しずつ大きくなるんだろう。
私は、慌てて説明した。
「《インパクト》を何度も使ったんです。あとは《アースウォール》や《ウィンド》で位置を調整して……」
「なるほど! 魔術の複合運用ですな!」
「はい!」
……よし。
研究の話になった!
「では、まず結界の構造から説明しますね!」
私は、黒板に大きな四角を描いた。
「普通の広域結界って、一枚の大きな壁として扱うことが多いですよね?」
研究者たちが頷く。
「はい。魔力供給源から結界全体へ均等に魔力を流す方式が一般的です」
「ですよね!」
私は、四角の中に小さな区切りを描き加えた。
「でも、魔物がぶつかる場所って、全部同じじゃないんです」
右側の一部分を指さす。
「例えば、ここに魔物が集中したとします」
「ふむ」
「この場合、反対側の結界まで同じ強度で維持する必要はありませんよね?」
「……確かに」
「だったら!」
私は、区切った部分を一つずつ指さした。
「結界を小さな単位に分けて、必要な場所だけ魔力を多く送ればいいんです!」
研究者たちが、ざわめいた。
「……分割制御か」
「しかし、結界を分割すれば、接合部分が弱くなるのでは?」
「そこなんです!」
私は、嬉しくなって頷いた。
「だから、接合部分の魔力位相を合わせる必要があるんです!」
黒板に、隣り合う二つの区画を描く。
「区画ごとに独立させるんじゃなくて、境界部分では情報を共有させます。そうすれば、負荷が集中した場所へ、周囲から魔力を融通できるんです!」
研究者たちの目が、変わった。
……あ。
これ、伝わってる!
「ただし!」
私は、チョークを持ち直した。
「ここからが、まだ難しいところなんです!」
「……難しい?」
「はい! 区画同士の反応が速すぎると、魔力供給が行ったり来たりして、結界が不安定になる可能性があります!」
研究者の一人が、はっとした顔をした。
「……制御の振動か!」
「そうです!」
私は、大きく頷いた。
「だから、負荷の変化に対して、どれくらいの速さで魔力を動かすか。その調整が必要なんです!」
会場が、急に騒がしくなった。
「供給速度に上限を設ければ……」
「いや、区画ごとに遅延を持たせる方法もあるぞ」
「魔力石を緩衝材として利用できないか?」
……おおっ!
私は、思わず目を輝かせた。
「それです! そういうの、いっぱい聞きたいんです!」
すると、後方から声が上がった。
「青銀の魔女殿!」
「はい!」
「その方式、魔道具にも応用できるのでは!?」
「……っ!」
私は、思わず身を乗り出した。
「できますよね!?」
……そうだ!
結界を維持するための魔力供給装置。
負荷を検知する魔道具。
そして、区画ごとの自動調整。
これを組み合わせれば……!
「……ネスラさん!」
「……何?」
「魔道具班の方も呼びましょう!」
「……もう呼んでる」
「えっ!?」
ネスラさんが、後方を指さした。
そこには、魔道具研究部門の方々が座っていた。
「……君が絶対そう言うと思ったから」
「ネスラさん!!」
私は、思わず駆け寄った。
「最高ですっ!!」
「……近い」
ネスラさんが、少しだけ顔を赤くした。
会場から、笑い声が上がった。
◇
検討会は、予定より一時間長くなった。
……だって、皆さんが面白いことを言うんですもの!
魔力供給の分散。
結界区画の交換。
損傷部分の自動補修。
そして、既存の魔道具との接続。
議論が進むたびに、新しい課題が見つかる。
私は、研究ノートを何ページも使って書き込んだ。
「……ふふふっ」
……楽しい。
やっぱり、研究って最高だ。
一人で考えるのも好きだけど、こうして色々な人と話すと、自分では思いつかなかったことが次々に出てくる。
「……セリス」
ネスラさんが、隣から声をかけた。
「はい?」
「……一つ、確認したい」
「何ですか?」
「……この結界理論、君の名前で発表していい?」
私は、首を傾げた。
「……私の名前だけですか?」
「……最初に考えたのは君だから」
「でも、ネスラさんがいなかったら、実際に運用できませんでしたよ?」
「……それは、そうだけど」
「それに、今日も皆さんからたくさん意見をいただきましたし!」
私は、研究ノートを見せた。
「だから、共同研究にしましょう!」
ネスラさんが、少し驚いた顔をした。
「……いいの?」
「もちろんです!」
私は、笑った。
「だって、私が欲しいのは名前じゃなくて、ちゃんと使える結界ですから!」
ネスラさんは、しばらく黙っていた。
それから、小さく頷いた。
「……分かった」
そして。
「……じゃあ、僕も本気でやる」
「はいっ!」
私は、思わず笑った。
……ふふっ。
これで、もっと面白くなる!
◇
研究会が終わる頃には、窓の外が夕焼けに染まっていた。
私は、机の上に広げた資料をまとめながら、今日の議論を思い返していた。
結界の区画化。
魔力供給の最適化。
自動制御。
……うん。
まだまだ改良できる。
「……セリス」
ネスラさんが、声をかけた。
「はい?」
「……今日の資料、明日までに整理できる?」
「もちろんです!」
「……徹夜は禁止」
「…………」
「……セリス?」
「……えへへ」
「……禁止」
「はーい……」
……残念。
でも、ネスラさんが言うなら仕方ない。
私は、研究ノートを鞄にしまった。
「じゃあ、明日もよろしくお願いします!」
「……うん」
研究院を出ると、夕方の風が頬を撫でた。
街には、仕事を終えた人々の声が響いている。
私は、ふと立ち止まった。
……そういえば。
今日、何人もの人から「青銀の魔女」と呼ばれた。
昨日までは、ただのセリスだったのに。
……不思議だなあ。
「……青銀の魔女、かあ」
私は、小さく呟いた。
名前が変わったわけじゃない。
魔術が好きなことも。
知らないことを知りたい気持ちも。
何も変わっていない。
……うん。
「やっぱり、セリスでいいですよね!」
「ぷいっ!」
「ぷるん」
エルとレイが、同意するように揺れた。
私は、笑って歩き出した。
明日は、どんな発見があるんだろう。
考えるだけで、わくわくする。
◇
――その頃。
王都アストリアから遠く離れた街。
賑やかな酒場の一角で、一人のエルフが竪琴を奏でていた。
長い金髪には、小さな花飾り。
白と若草色の衣装には、繊細な金の刺繍が施されている。
エメラルドグリーンの瞳は、どこか楽しげだった。
その傍らでは、青く透き通った水の精霊が、静かに揺れている。
竪琴の音が、酒場に広がった。
柔らかく、澄んだ音色。
それに重なる、優しい歌声。
「――♪ 北の空に剣閃走り、邪龍の咆哮は途絶えたり――」
歌われているのは、北の剣聖アルディス・レヴィンの英雄譚。
かつて邪龍王を討ち果たした、若き英雄の物語だった。
最後の一音が消えると、酒場は大きな拍手に包まれた。
「いやあ! 何度聞いてもすげえ歌だ!」
「さすがだな、姉ちゃん!」
エルフの女性は、にっこり微笑んだ。
「あらあら、ありがとう♪」
すると、酒場の奥から一人の旅商人が声を上げた。
「そういや、その剣聖がまたやったらしいぞ!」
「あら?」
女性の長い耳が、ぴくりと動いた。
「アルディスちゃんが?」
「ああ! アルセリア王国でスタンピードが起きてな。八時間も魔物の大群を食い止めたんだと!」
「……八時間?」
女性の指が、竪琴の弦の上で止まった。
「それで、あの子は?」
「生きてるよ! 大怪我したらしいがな!」
「……そう」
女性は、小さく息をついた。
「相変わらず、無茶するんだから……」
その声には、長い付き合いを思わせる親しみがあった。
「でもよ、今回は剣聖だけじゃねえんだ!」
「へえ?」
「青銀の魔女ってのが現れて、千を超える魔物をぶっ飛ばしたらしい!」
「……魔女?」
「しかも、あの剣聖を助けたって話だ!」
女性の瞳が、わずかに見開かれた。
「……アルディスちゃんを?」
「ああ! なんでも初級魔術だけで、魔物の大群を薙ぎ払ったんだと!」
「…………」
女性は、しばらく黙っていた。
そして。
「……うふふっ」
笑った。
「なあに、それ」
その瞳が、楽しそうに輝く。
「あの子の英雄譚に、突然主役がもう一人増えちゃったじゃない♡」
旅商人が、首を傾げた。
「主役?」
「そうよ。八時間も戦った剣聖と、空から現れた青銀の魔女」
女性は、竪琴を軽く爪弾いた。
「……それで、その魔女さんは?」
「王国から金貨五百枚もらったのに、ほとんど寄付しちまったらしいぜ!」
「あらあら……」
女性は、楽しそうに微笑んだ。
「強くて、優しくて……ちょっと変わった女の子なのね♪」
「研究が大好きなんだとよ。魔法師団長と一緒に、新しい結界まで作ったらしい!」
「……まあ」
女性の笑みが、深くなった。
「ますます面白いわねえ」
そして、ふと思いついたように尋ねた。
「ねえ。その子、アルディスちゃんと仲がいいの?」
「さあなあ。友達だって噂は聞いたぞ」
「…………」
女性は、竪琴を抱え直した。
「……あらあらあら♡」
その笑顔は、完全に悪戯を思いついたお姉さんのものだった。
「これは、直接聞かなくちゃねえ」
「お? 新しい歌でも作るのか?」
「もちろん♪」
女性は、片目をつむった。
「だって、あのアルディスちゃんが誰かに助けられたんでしょう?」
くすくすと笑う。
「本人に聞いたら、きっとものすごーく嫌な顔をするわよ♡」
水の精霊が、くるりと回った。
まるで、彼女の考えに賛成するように。
「うふふ。ルアールも気になる?」
青い精霊が、きらきらと輝いた。
女性は、窓の外を見た。
遠く、アルセリア王国のある方角へ。
「……楽しみねえ、アルディスちゃん」
竪琴を抱き、静かに微笑む。
「それから……青銀の魔女さん♪」
彼女の名は、ルシャナ。
六英雄の一人。
水と森の詩を紡ぐ、エルフの吟遊詩人。
幾多の英雄譚を歌い継いできた、伝説の語り部。
その彼女が今、新しい物語の気配を感じ取っていた。
そして、その物語の中心にいる少女へ、強い興味を抱き始めていた。
「……さて」
ルシャナは、楽しそうに竪琴を爪弾いた。
「次は、どんな歌になるのかしらね♪」
その音色は、夜の街へと溶けていった。
――青銀の魔女は、まだ知らない。
自分の物語を歌おうとする者が、すでに動き始めていることを。




