第36.5話「六柱の神々は、推しが尊い」
神界には、時間という概念がある。
ただし、人間のそれとは少し違う。
地上で一日が過ぎる間に、百年分の思索を巡らせる神もいれば、千年前の出来事を、つい先ほどのことのように眺める神もいる。
神々にとって、地上の営みは果てしない物語だった。
国が生まれ、滅びる。
英雄が現れ、伝説になる。
誰かが何かを願い、誰かがそれを受け継いでいく。
そのすべてが、神々の見守る世界の一部だった。
そして今。
六つの異なる神域で、六柱の神々が、まったく同じ少女を見つめていた。
もっとも。
その事実(同担推し活)を知る神は、一柱もいなかった。
◇
――人間神アストレオンの神域。
白亜の柱が連なる広大な神殿に、一枚の水鏡が浮かんでいた。
映し出されているのは、スタンピード終結後の王宮。
褒賞授与式で、銀髪の少女が国王に向かって頭を下げている。
『……あの子たちに、使ってほしいんです』
アストレオンは、玉座に腰掛けたまま、静かにその光景を見つめていた。
人間の営みを守護し、《繁栄》を司る神。
その眼差しは、数多の王朝の興亡を見届けてきた者のものだった。
『家を建て直したり、ご飯を食べたり、学校へ行ったり……』
少女の声が響く。
『だから、残りは、あの子たちのこれからに使ってください』
アストレオンは、ゆっくりと目を閉じた。
「……よい」
低く、満足げな声だった。
「実によい」
彼は、再び水鏡を見つめる。
戦場で魔物を退けた力。
広域結界によって救われた命。
そして、戦いが終わった後にも、なお人々の未来を考える心。
「繁栄とは、単に富を積み上げることではない」
神は、静かに呟いた。
「今日を生き延びた者が、明日を望めること。その明日を、次の世代へつないでいくことだ」
水鏡の中で、少女が嬉しそうに笑っている。
王立研究院の利用許可を得たらしい。
『研究し放題です……!』
「……ふっ」
アストレオンの口元が緩んだ。
「それでよい。知識もまた、繁栄の礎だ」
彼は、玉座の肘掛けに指を置いた。
その指が、わずかに弾む。
「……もう一度、見ておくか」
水鏡が、少し前の場面へ戻った。
『だから、残りは、あの子たちのこれからに使ってください』
「……よい」
もう一度。
『だから、残りは――』
「……実によい」
さらに、もう一度。
人間神アストレオン。
数多の王を導き、文明の発展を見守ってきた神は。
今、金貨四百八十枚を寄付する少女の姿を、三度目の再生で眺めていた。
「……我が適合者、まことに見事」
その声には、隠しようのない誇らしさがあった。
◇
――竜神ゼルドラグの神域。
燃え盛る山々。
空を裂く雷。
地平線まで続く、巨大な岩の闘技場。
その中央で、竜神ゼルドラグが咆哮した。
「がっははははは!!」
神域全体が震える。
「見たか!! 見たか、今のを!!」
誰も答えない。
そもそも、ここにはゼルドラグしかいない。
しかし、竜神は気にしなかった。
目の前の巨大な水鏡には、スタンピードの戦場が映し出されている。
銀髪の少女が、空中で両手を広げた。
『《インパクト》!!』
百を超える衝撃が、戦場へ降り注ぐ。
魔物の群れが、一斉に吹き飛んだ。
「ぬおおおおおお!!」
ゼルドラグは、両拳を握り締めた。
「素晴らしい!!」
巨大な尾が、地面を打つ。
闘技場の床が割れた。
「初級魔術だぞ!? 初級魔術で、あの威力!! あの制御!!」
彼は、目を輝かせた。
「よい! 実によい!!」
ゼルドラグが司るのは、《頂点》。
力を磨き、己の限界を超え、誰も届かぬ高みを目指す意志。
だが、それは単に生まれ持った力の大きさを競うものではない。
己の持つものを、どこまで高められるか。
そこにこそ、頂点への道がある。
「この娘、まだ伸びるぞ……!」
竜神は、嬉しそうに笑った。
「いや、伸びるどころではない! まだ入り口に立ったばかりではないか!!」
水鏡を巻き戻す。
『《インパクト》!!』
「がっはははは!!」
もう一度。
『《インパクト》!!』
「うむ!!」
さらに、もう一度。
『《インパクト》!!』
「最高だああああ!!」
神域に、三度目の咆哮が響いた。
そして、ゼルドラグは腕を組む。
「……しかし、惜しい」
少しだけ真剣な顔になる。
「剣も使えれば、さらに面白いのだがな」
その直後。
水鏡の中で、少女がスキル欄を見つめた。
『そういえば、剣術も上がってました!』
「…………」
ゼルドラグの目が、見開かれた。
『初級一だったのが、初級三になってるんです!』
「……ほう」
竜神の口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「ほおおおおおおお!!」
そして。
「がっはははははは!! よいぞ、我が適合者!!」
闘技場の天井に、巨大な亀裂が走った。
……神域なので、しばらくすると勝手に直った。
◇
――鍛冶神グランディルの神域。
無数の炉が並ぶ、果てしない工房。
天井から吊るされた魔道具。
壁一面を埋め尽くす設計図。
その中央で、小柄な老神が、猛烈な勢いで筆を走らせていた。
「……なるほど、なるほど……!」
グランディル。
ドワーフたちが崇める、《創造》の神。
その目の前には、スタンピードで展開された広域結界の記録が映し出されていた。
『結界を、一枚の壁として考えなければいいんです!』
水鏡の中で、セリスが説明している。
『小さな単位に分けて、必要な場所だけ強くする。そうすれば――』
「……そうじゃ!!」
グランディルが、机を叩いた。
「そこじゃ! そこが面白い!!」
机の上には、すでに何十枚もの設計図が積み上がっている。
結界の分割構造。
魔力供給の最適化。
負荷に応じた強度の再配分。
そして、部分的な損傷に対応するための制御系。
「……既存の結界理論を、構造そのものから組み替えおった」
老神は、嬉しそうに髭を撫でた。
「力任せに巨大な壁を作るのではない。小さな仕組みを組み合わせ、大きな機能を生み出す」
グランディルの瞳が、輝いた。
「……これぞ創造じゃ」
彼は、設計図に新しい線を引いた。
「しかも、完成したものを独り占めせん。魔法師団に共有して、皆で使えるようにしおった」
老神は、満足そうに頷いた。
「……よい。実によい」
しばらくして。
「……ふむ」
グランディルは、手を止めた。
「……これ、魔道具に応用できるのでは?」
沈黙。
そして。
「……できるな?」
次の瞬間。
神域中の炉に、一斉に火が入った。
「うおおおおお!! 面白くなってきたぞい!!」
神は、猛烈な勢いで設計図を描き始めた。
……なお。
完成した設計図を地上へ渡すつもりは、今のところない。
なぜなら。
「……この娘なら、自分で気づくじゃろうて」
グランディルは、にやりと笑った。
「その瞬間を見るのが、楽しみなんじゃ」
創造の神は、自らの適合者の未来を想像しながら、また新しい紙を広げた。
◇
――魔神ヴァルゼオンの神域。
漆黒の空。
赤い月。
どこまでも続く、荒涼とした大地。
その中心に、一人の神が立っていた。
ヴァルゼオン。
魔族の神にして、《挑戦》を司る者。
彼は、腕を組んだまま、水鏡を見つめていた。
映し出されているのは、スタンピード終盤。
銀髪の少女が、北西大森林の奥へ意識を向ける場面だった。
『……何か、います』
ヴァルゼオンの表情が変わる。
少女の声が、震えていた。
普段は好奇心の塊のような少女。
未知を見つければ、目を輝かせる少女。
その少女が。
今、明らかに恐怖している。
『……怖い』
ヴァルゼオンは、黙って見つめた。
水鏡の向こうで、少女の肩が震えている。
その表情には、これまで見せたことのない恐れがあった。
だが。
『……だからこそ、調べたいんです』
少女は、そう言った。
ヴァルゼオンが、目を細めた。
「……ほう」
その声には、確かな喜びがあった。
挑戦とは、恐れを知らぬことではない。
勝てると分かっている相手に向かうことでもない。
恐れを知り、なお一歩を選ぶこと。
それこそが、《挑戦》の本質だった。
「……よい」
ヴァルゼオンは、静かに笑った。
「実によい」
彼は、水鏡へ一歩近づいた。
「恐怖を否定せぬか」
少女は、無理に笑っていなかった。
自分が怖がっていることを、きちんと認めている。
それでも。
知りたい。
理解したい。
いつか、あの恐怖の正体を解き明かしたい。
「……それでこそ、我が適合者」
ヴァルゼオンは、満足そうに頷いた。
そして、少しだけ口元を歪めた。
「……だが、無謀と挑戦は違うぞ」
水鏡の中で、少女が研究ノートを開いている。
最初に書いたのは、観測方法。
いきなり森へ突入する計画ではなかった。
「……ふっ」
ヴァルゼオンが、笑った。
「分かっておるではないか」
魔神は、静かに玉座へ戻った。
「よいぞ、セリス・アルフィーネ」
その声は、どこか楽しげだった。
「お前の次の挑戦を、楽しみにしている」
◇
――森神エルフィリアの神域。
光が差し込む、果てしない樹海。
空中に浮かぶ花々。
水晶のように透き通った泉。
そのほとりで、エルフィリアは静かに微笑んでいた。
エルフたちが崇める、《完成》の女神。
彼女の前に浮かぶ水鏡には、セリスの魔術が映し出されていた。
広域結界。
魔物の誘導。
そして、百を超える《インパクト》。
その一つ一つが、驚くほど精密だった。
「……美しい」
エルフィリアは、そっと呟いた。
魔力の流れ。
術式の構造。
発動のタイミング。
そして、周囲への影響を抑えるための制御。
どれも、極めて洗練されている。
「……無駄が、ほとんどない」
女神は、満足そうに頷いた。
《完成》。
それは、単に終わりへ到達することではない。
理想へ向かって、磨き続けること。
不完全なものを否定するのではなく、よりよい形へ導いていくこと。
セリスの魔術には、その意志があった。
「……素晴らしいわ」
エルフィリアは、目を細めた。
だが。
次の瞬間。
水鏡の中で、少女が魔術を発動した。
わずかな魔力の乱れ。
ほんの一瞬の制御の揺らぎ。
普通の魔術師なら、決して気づかない程度の誤差。
エルフィリアの眉が、ぴくりと動いた。
「……あら」
女神は、身を乗り出した。
「……今の、少しだけ乱れたわね」
水鏡を巻き戻す。
もう一度、確認する。
「……ええ。やっぱり」
エルフィリアは、嬉しそうに笑った。
「まだ、磨けるところがある」
その声には、期待が満ちていた。
「……ふふっ」
女神は、頬に手を添えた。
「完成していないからこそ、楽しみなのね」
そして。
「……我が適合者。あなたがどこまで美しくなるのか、見届けたいわ」
森神エルフィリアは、しばらくの間、同じ魔術の発動場面を繰り返し眺めていた。
……少なくとも、十回は。
◇
――獣神ラグナティスの神域。
広大な草原。
遠くに連なる山々。
大地を駆ける、無数の獣たち。
その中心で、獣神ラグナティスが、静かに水鏡を見つめていた。
獣人たちが崇める、《生存》の神。
彼の目に映っているのは、スタンピードの戦場だった。
魔物の大群。
逃げ惑う人々。
そして、空中に立つ銀髪の少女。
『……全部倒す必要は、ないんです!』
ラグナティスの耳が、ぴくりと動いた。
『人がいない場所へ誘導できれば……!』
少女が、結界を展開する。
巨大な壁。
曲線を描く誘導路。
そして、魔物の進行方向を変える風。
ラグナティスは、じっと見つめた。
「……ほう」
魔物をすべて殺すのではない。
人を守りながら、魔物の流れを変える。
逃げ道を作り、戦わずに済む場所を選ぶ。
それは、《生存》の理にかなっていた。
「……よい判断だ」
ラグナティスは、静かに頷いた。
生き延びること。
それは、勝つこととは違う。
強い者だけが生き残ればよい、ということでもない。
弱い者も。
傷ついた者も。
逃げるしかない者も。
それぞれが、生きるための道を持つこと。
「……あの娘、分かっておるな」
ラグナティスは、満足そうに笑った。
そして、次の場面。
少女が、負傷した剣聖を救出する。
『アルディスさん! もう一人で戦わないでください!』
ラグナティスの目が、細くなった。
「……そうだ」
彼は、静かに呟いた。
「強き者にも、守られる権利がある」
水鏡の中で、少女が笑う。
剣聖が、呆れたように笑い返す。
ラグナティスは、しばらくその光景を見つめていた。
「……よい」
そして、少しだけ口元を緩めた。
「我が適合者、なかなかに頼もしいではないか」
◇
六つの神域。
六柱の神々。
それぞれが、同じ少女を見つめていた。
人間神アストレオンは、彼女がつなぐ未来に心を動かされた。
竜神ゼルドラグは、その圧倒的な力と成長に歓喜した。
鍛冶神グランディルは、常識を組み替える創造性に夢中になった。
魔神ヴァルゼオンは、恐怖を知ってなお挑む姿に期待した。
森神エルフィリアは、磨き続ける魔術の精度に魅了された。
獣神ラグナティスは、命を守るための選択に頷いた。
六柱は、それぞれの神域で、同じ言葉を胸に抱いていた。
――我が適合者。
もちろん。
誰一人として、ほかの五柱も同じことを考えているなど、夢にも思っていなかった。
もし、この瞬間に六柱が顔を合わせていたなら。
おそらく。
神界の歴史に残る、大変な騒ぎになっていただろう。
だが、それはまだ少し先の話。
今はただ。
六柱の神々が、それぞれの神域で、銀髪の少女の未来を楽しみにしているだけだった。
そして、その少女は。
◇
「……へっくしゅん!」
王都アストリア。
王立研究院の一室。
セリス・アルフィーネは、突然くしゃみをした。
「……あれ?」
肩の上で、エルが跳ねる。
「ぷいっ?」
レイも、静かに揺れた。
「ぷるん」
「……誰か、噂してるんでしょうか?」
私は、首を傾げた。
……まあ、いいか。
それより。
「……ふふふっ」
私は、机の上に広げた研究ノートを見つめた。
広域結界の改良案。
魔力制御の新しい仮説。
そして、まだ見ぬ魔術体系についてのメモ。
……うん。
やりたいことが、いっぱいある。
「……楽しみですねえ!」
私は、思わず笑った。
エルが、元気よく跳ねる。
「ぷいっ!」
レイも、静かに揺れた。
「ぷるん」
私は、窓の外を見た。
青い空。
白い雲。
その向こうに広がる、果てしない世界。
「……よーし!」
私は、拳を握った。
「今日も、世界を楽しみ尽くしましょう!」
――六柱の神々が、同時に微笑んだことなど。
もちろん、知る由もなかった。
これにて第4幕、「青銀の魔女」は一区切りです!
神々の同担の申し子、セリスの活躍(自由研究?)をいつもお読み頂きありがとうございます!神々の同担仲間として、推してもいい!という方、ぜひ☆、ブクマにて応援をよろしくお願いいたします!




