第35話「国王陛下! まだ終わってないんです!」
王宮から呼び出しが来た。
……また!?
「ええっ!? 私、今度は何をしちゃったんですか!?」
「……心当たりがないの?」
向かいに座ったネスラさんが、呆れたようにこちらを見た。
「えっと……」
私は指を折って数えてみた。
「結界を作って、魔物を倒して、逃げ道を変えて……」
「……うん」
「アルディスさんを助けて……」
「……うん」
「森の奥を調べて……」
「……それ」
「……え?」
「……最後のやつ。まだ詳しく聞いてない」
「あっ」
そうだった。
昨日、王都へ戻った後は、救護活動と報告書の整理で精一杯だった。
森の奥で感じた、あの奇妙なもの。
ネスラさんには、まだきちんと説明できていない。
「……王宮で話すことになると思う」
「……ですよね」
私は、小さく頷いた。
それから、ふと思い出す。
「ところで、アルディスさんは?」
「……来るよ。治癒魔術師が同行するけど」
「怪我、大丈夫なんですか?」
「……無理をしなければ、って言われてる」
「……無理、しそうですよね」
「……すると思う」
二人で、顔を見合わせた。
……うん。
間違いなく、する。
◇
王宮の謁見室は、相変わらず広かった。
高い天井。
白い柱。
磨き上げられた床。
そして、奥にある玉座。
……何度来ても、緊張する。
「セリス殿。よく来てくれた」
玉座から立ち上がったのは、レオニス・アルセリア三世陛下。
前にお会いしたときと同じ、穏やかな表情だった。
でも、今日は少し違う。
目の下に、薄い疲れが見える。
……きっと、昨日はほとんど眠っていないんだろうな。
「陛下、お招きいただきありがとうございます!」
「うむ。まずは、無事で何よりだ」
陛下は、私たちを見渡した。
ネスラさん。
王国軍の将軍さんたち。
魔法師団の幹部さんたち。
そして。
「……よお」
「アルディスさん!」
壁際に置かれた椅子に、アルディスさんが座っていた。
右肩には包帯。
左足にも固定具。
それでも、こちらを見て片手を上げる。
「……元気そうですね!」
「お前ほどじゃねえよ」
「えへへ」
「褒めてねえ」
……ええっ!?
陛下が、小さく笑った。
「ふむ。いつもどおりで安心した」
アルディスさんは、少し気まずそうに視線を逸らした。
◇
「では、報告を始めよう」
陛下の言葉で、室内の空気が引き締まった。
最初に立ち上がったのは、王国軍の将軍さんだった。
「北西大森林より発生した大規模スタンピードは、昨日夕刻をもって終結を確認いたしました」
卓上に、大きな地図が広げられる。
「確認された魔物は、およそ一万。正確な数は現在も調査中です」
……一万。
改めて聞くと、すごい数だ。
「災厄級に相当する個体も複数確認されました。通常であれば、王都周辺に甚大な被害が生じていたものと思われます」
将軍さんは、アルディスさんへ視線を向けた。
「しかし、剣聖アルディス殿が長時間にわたり魔物の進行を阻止。王都への報告と、軍の展開に必要な時間を確保してくださいました」
室内の視線が、アルディスさんに集まる。
「……俺は、やるべきことをやっただけだ」
彼は、短く答えた。
将軍さんは、深く頷いた。
「その働きがなければ、我々は間に合いませんでした」
次に、ネスラさんが立ち上がった。
「……魔法師団から報告します」
彼は、地図の上に小さな魔石を並べた。
「……先行した飛行艇八隻を中心に、避難路の確保、救護活動、魔物の迎撃を実施しました」
魔石が淡く光る。
地図の上に、青い線が浮かび上がった。
「……セリスが開発した広域結界を、魔法師団が維持。避難民の安全確保に成功しました」
続いて、茶色い線が現れる。
「……その後、魔物の逃走行動を確認。無人の谷へ進行方向を誘導しました」
「……改めて見ると、すごいですね」
思わず呟くと、ネスラさんがこちらを見た。
「……君がやったんだけど」
「そうなんですけど!」
だって。
こうして地図で見ると、規模がよく分かるんだもん!
陛下が、感心したように頷いた。
「敵を討つだけでなく、その動きを利用して被害を抑えたか」
「はい!」
私は立ち上がった。
「魔物たち、私たちを襲いたかったわけじゃないみたいだったので!」
「……ほう?」
「逃げていたんです。森の奥から」
陛下の表情が、わずかに変わった。
「……それは、後ほど詳しく聞こう」
「はい!」
◇
報告は、さらに続いた。
避難できた人の数。
負傷者の状況。
被害を受けた集落。
救援物資の輸送。
今後の復旧計画。
私は、黙って聞いていた。
昨日、救護天幕で会った人たちの顔が浮かぶ。
おばあさん。
男の子。
そして、あの女の子。
……みんな、これからどうするんだろう。
「陛下」
気づけば、声を上げていた。
「うむ。どうした、セリス殿」
「あの……家を失った人たちは、どうなるんですか?」
陛下は、すぐに答えた。
「王都と近隣の町に、一時的な住居を用意する。食料と衣服も、王国が責任を持って届けよう」
「……よかった」
「無論、それだけでは足りぬ。家を建て直すにも、畑を戻すにも時間がかかる」
陛下は、地図の上に手を置いた。
「ゆえに、これからが王国の仕事だ」
私は、顔を上げた。
「昨日、そなたたちが守ってくれた命を、明日へつなぐ」
その言葉に、胸が温かくなった。
「……はい!」
陛下は、穏やかに微笑んだ。
◇
「さて」
報告が一段落したところで、陛下が姿勢を正した。
「セリス殿。そなたに聞きたいことがある」
「はい!」
「森の奥で、何を見た?」
……来た。
私は、少しだけ息を吸った。
「……正確には、見ていません」
室内が静かになった。
「何かを、感じたんです」
「何か、とは?」
「……分かりません」
私は、正直に答えた。
「魔力を探しても、反応がありませんでした。魔物の気配とも、殺気とも違いました」
陛下は、黙って聞いている。
「でも、確かに何かがあったんです」
私は、両手を握った。
「……すごく、怖かったです」
口にすると、あの感覚が少しだけ蘇った。
森の静けさ。
震えるエルとレイ。
動かなくなった身体。
そして。
あの、比較にならないほどの何か。
「……アルディスさん」
「あ?」
私は、彼を見た。
「アルディスさんって、すごく強いですよね」
「……今さら何だよ」
「私、初めて戦ったとき、びっくりしました」
「……そりゃどうも」
「でも」
私は、言葉を探した。
「……あれは、違ったんです」
アルディスさんの表情が、引き締まった。
「強いとか、速いとか、魔力が多いとか……そういう話じゃなくて」
私は、首を横に振った。
「……比べられませんでした」
沈黙。
陛下が、静かに問いかけた。
「そなたほどの魔術師が、恐怖したのか」
「……はい」
私は頷いた。
「正直、もう一度近づくのは怖いです」
誰も、笑わなかった。
誰も、弱気だとは言わなかった。
陛下は、しばらく考え込んでいた。
そして。
「……分かった」
ゆっくりと、顔を上げた。
「北西大森林の奥地について、調査を命じる」
将軍さんたちが、姿勢を正す。
「ただし、無理な接近は禁ずる。まずは周辺地域の安全確認と、遠距離からの観測を優先せよ」
「はっ!」
「魔法師団は、観測手段の検討を」
「……承知しました」
ネスラさんが頷く。
陛下は、私を見た。
「セリス殿」
「はい!」
「そなたにも、協力を願いたい」
「もちろんです!」
私は、勢いよく答えた。
「私も、調べたいと思ってました!」
「……怖いのではなかったか?」
「怖いですよ!」
私は、正直に言った。
「でも、分からないままにしておくのは、もっと気になるんです!」
陛下が、目を丸くした。
そして。
「……ははっ!」
声を上げて笑った。
「なるほど! そなたらしい!」
「えへへ!」
「ただし、無茶はするなよ」
「はい!」
……ネスラさんが、横で小さくため息をついた気がした。
◇
会議が終わりかけた頃。
陛下が、もう一度口を開いた。
「最後に、皆へ伝えておきたい」
室内が静まる。
「今回の災厄を防いだのは、一人の英雄ではない」
陛下は、アルディスさんを見た。
「剣聖が、命を懸けて時間を稼いだ」
ネスラさんを見る。
「魔法師団が、空から人々を守った」
将軍さんたちを見る。
「王国軍が、救援と防衛を担った」
そして、私へ。
「セリス殿が、戦場そのものを変えた」
私は、思わず背筋を伸ばした。
「だが、それだけではない」
陛下の声が、少し強くなった。
「負傷者を運んだ者。避難民を導いた者。食料を分け合った者。隣人の手を引いた者」
陛下は、ゆっくりと室内を見渡した。
「皆が、誰かの命を守ったのだ」
……ああ。
そうだ。
昨日、私が見たもの。
戦場にいた、たくさんの人たち。
みんな、必死だった。
みんな、誰かを守ろうとしていた。
「ゆえに、王国はその働きを忘れぬ」
陛下は、力強く告げた。
「そして、失われた命も忘れぬ」
室内の誰もが、静かに頭を下げた。
私も、ゆっくりと頭を下げた。
そのときだった。
「なお、アルディス、ネスラ、セリス殿」
陛下が、改めて私たちの名を呼んだ。
「はい!」
「……はい」
「……何だ?」
「此度の功績に対する褒賞は、後日、正式な場を設けて授与する」
……褒賞?
私は、思わず瞬きをした。
「そなたたちの働きに、王国として報いねばならぬからな」
「……ありがとうございます!」
私は頭を下げた。
陛下は、穏やかに頷いた。
「もっとも、そなたたちだけではない。救援に尽くした兵士や魔術師たちについても、功績を調べ、相応に報いるつもりだ」
「……はい」
ネスラさんが、静かに頷いた。
アルディスさんは、少し困ったように頭をかいた。
「……俺は、別に褒美が欲しくてやったわけじゃねえんだが」
「分かっておる」
陛下が、笑った。
「だからこそ、王が忘れてはならぬのだ」
アルディスさんは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「……なら、ありがたく受け取る」
「うむ」
私は、二人のやり取りを見ながら、ふと思った。
……褒賞って、何がいただけるんだろう?
研究に使える魔石とか?
珍しい魔道具とか?
それとも、王宮の図書室をもっと使わせてもらえるとか……!
……あっ。
それ、すっごく嬉しいかも!
「……セリス」
「はいっ!?」
ネスラさんが、小声で囁いた。
「……顔に出てる」
「ええっ!?」
「……研究のこと考えてたでしょ」
「……何で分かるんですか!?」
「……分かるよ」
……うう。
ネスラさん、最近ちょっと鋭すぎません?
◇
王宮を出ると、午後の日差しが眩しかった。
「……終わりましたねえ」
私は、大きく伸びをした。
「……うん」
ネスラさんが、隣を歩く。
アルディスさんは、治癒魔術師さんに付き添われながら、少し後ろを歩いていた。
「……セリス」
「はい?」
「森の奥のやつ」
アルディスさんが、真剣な顔で言った。
「……一人で行くなよ」
「……はい」
私は頷いた。
「次は、ちゃんと準備します!」
「……次がある前提かよ」
「もちろんです!」
アルディスさんが、額に手を当てた。
「……ったく」
ネスラさんも、小さく呟く。
「……やっぱり」
「ええっ!? 何ですか二人とも!?」
二人は、顔を見合わせた。
そして。
「……面倒なやつだな」
「……うん」
「ひどいですー!!」
私は、思わず声を上げた。
でも。
何だか、嬉しかった。
こんなふうに、笑い合えることが。
昨日まで、命懸けで戦っていた人たちと。
今日、こうして並んで歩けることが。
「……ふふっ」
私は、空を見上げた。
青い空。
白い雲。
王都の賑やかな声。
世界は、今日も動いている。
そして。
そのどこかに。
まだ知らない何かがある。
「……よーし!」
私は、両手を握った。
「まずは、観測魔道具の研究ですね!」
「……休むんじゃなかったの?」
「研究は休憩みたいなものです!」
「……違うと思う」
「ええっ!?」
アルディスさんが、声を上げて笑った。
「ははっ! そりゃいい!」
「……アルディスさんまで!」
私は頬を膨らませた。
でも、すぐに笑ってしまった。
怖いものは、まだ怖い。
知らないものは、まだ知らない。
それでも。
知りたいと思える限り、私の旅は終わらない。
私は、二人の少し先を歩き始めた。
エルとレイが、肩の上で揺れる。
「ぷいっ!」
「ぷるん」
さあ。
次は、何を調べよう?




