第34話「魔女さま、ありがとう」
戦いが終わった。
……らしい。
「……セリス。もう少し休んで」
「えっ? でも、まだ怪我をした人が……」
「……いる。だからこそ、僕たちがいる」
ネスラさんは、いつもの猫耳フードを少しだけ持ち上げて、私を見た。
「……君は、十分働いた」
「でも……」
「……でも、じゃない」
珍しく、少し強い口調だった。
私は思わず口を閉じる。
王国軍と魔法師団が、残存する魔物の掃討を終えたのは、日が傾き始めた頃だった。
街道には、救護用の天幕がいくつも並んでいる。
負傷者を運ぶ兵士たち。
治癒魔術を使う魔術師たち。
炊き出しの準備をする人々。
そして、家族の名前を呼びながら歩く人たち。
スタンピードは終わった。
でも、戦いが終わったからといって、すべてが元通りになるわけじゃない。
「……セリス」
「はい?」
「……座って」
ネスラさんが、木箱を指さした。
「……五分だけでも」
「……はい」
私は素直に腰を下ろした。
エルとレイが、膝の上に降りてくる。
「ぷい……」
「ぷるん……」
二人とも、少し疲れているみたいだった。
「……二人も、頑張りましたね」
そっと撫でると、エルが小さく跳ねた。
レイは、私の手の下で静かに揺れた。
私は空を見上げた。
飛行艇が、ゆっくりと旋回している。
あれだけ激しかった戦場が、今は不思議なくらい静かだった。
……ただ。
静かになったからこそ、聞こえてくる声もあった。
「……お父さん、どこ……?」
「誰か、うちの息子を見ていませんか!」
「……お願い、もう一度探して……」
私は膝の上で、指を握りしめた。
◇
「セリスさん!」
声をかけられたのは、救護天幕へ水を運んでいたときだった。
振り返ると、若い兵士が駆け寄ってくる。
「先ほど、東側の避難民の方々が、ぜひお礼を伝えたいと……」
「お礼、ですか?」
「はい。青銀の魔女様に、と」
「……青銀の?」
私は首を傾げた。
兵士さんは、一瞬きょとんとした。
「……ご存じないのですか?」
「何をです?」
「あなたのことです」
「……私?」
……え?
青銀の魔女って。
もしかして。
「……私、魔女になっちゃったんですか!?」
兵士さんが、何とも言えない顔をした。
後ろでネスラさんが、小さくため息をつく。
「……もう広まってるんだ」
「ええっ!? いつの間に!?」
「……君が魔物を何千体も相手にしてる間」
「そんな余裕、ありませんでしたよ!?」
「……そうだろうね」
……うう。
何だか、ものすごく恥ずかしい。
でも、兵士さんは真剣だった。
「あなたが守ってくださった人々です。少しだけ、お会いいただけませんか」
「……はい!」
私は立ち上がった。
◇
救護天幕の一角には、たくさんの人が集まっていた。
老人。
子ども。
怪我をした人。
毛布に包まった人。
みんな、疲れた顔をしている。
それでも、私が近づくと、少しずつ表情が変わった。
「あっ……!」
「魔女様だ……!」
「青銀の魔女様……!」
「……えっと」
私は困ってしまった。
そんなに見つめられると、どうしていいか分からない。
すると、一人のおばあさんが、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうねえ」
「え?」
「あんたが作ってくれた壁のおかげで、孫と一緒に逃げられたんだよ」
その隣で、小さな男の子が頷いた。
「すごかった! 土が、ぐわーって!」
「……ぐわー、ですか?」
「うん! それで、魔物が、どどどーって!」
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
「それは、すごかったですね!」
「お姉ちゃんがやったんでしょ!?」
「……はい。たぶん、そのぐわーってやつは私です」
周囲から、小さな笑い声が上がった。
それをきっかけに、次々と声がかかる。
「街道の結界に助けられました!」
「うちの娘も無事です!」
「本当に、ありがとうございました!」
私は、何度も頭を下げた。
「いえ、私だけじゃないんです! ネスラさんも、魔法師団の皆さんも、アルディスさんも、王国軍の皆さんも……!」
「もちろん、分かってますよ」
おばあさんが、優しく笑った。
「みんなに感謝してる。でもね」
その人は、私の手を握った。
「あんたにも、ちゃんと伝えたいんだよ」
「…………」
手が、温かかった。
「……ありがとうございます」
私は、ようやくそう答えた。
◇
その子を見つけたのは、天幕の奥だった。
小さな女の子。
毛布を膝にかけ、ぽつんと座っている。
見覚えがあった。
……忘れるはずがない。
崩れた建物の下敷きになっていた、お母さん。
必死に助け出した。
治癒魔術師さんも、全力を尽くしてくれた。
でも。
助けられなかった。
「……あ」
女の子が、私に気づいた。
私は足を止めた。
何を言えばいいんだろう。
ごめんなさい?
力が足りなくて?
もっと早く来られたら?
……どれも、違う気がした。
私は、女の子の前にしゃがんだ。
「……こんにちは」
「……こんにちは」
小さな声だった。
「……お怪我は、どうですか?」
「……だいじょうぶ」
「……そうですか」
沈黙が落ちた。
私は、次の言葉を探した。
でも、見つからなかった。
すると。
「……おねえちゃん」
「……はい」
「……おかあさんね」
女の子は、毛布の端をぎゅっと握った。
「……さいごに、わたしの名前、よんでくれたの」
「…………」
「……ちゃんと、きこえたよ」
私は、何も言えなかった。
「……おねえちゃんが、たすけてくれたから」
女の子の目に、涙が浮かぶ。
「……おかあさんの声、きけた」
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
「……ありがとう」
その一言で。
私は、何も考えられなくなった。
ただ、女の子の前にしゃがんだまま、唇を噛んだ。
「……でも」
ようやく声が出た。
「……お母さんを、助けられませんでした」
「……うん」
「……ごめんなさい」
女の子は、首を横に振った。
「……おねえちゃん、いっぱい、がんばってた」
ぽろり、と。
涙が、落ちた。
女の子の頬から。
そして。
私の頬からも。
「……っ」
私は、慌てて目元を拭った。
でも、止まらなかった。
女の子が、そっと手を伸ばしてきた。
私は、その小さな手を握った。
しばらく、二人で泣いた。
何かを解決できたわけじゃない。
悲しみが消えたわけでもない。
ただ。
その子は、私の手を離さなかった。
◇
天幕を出る頃には、空が茜色に染まっていた。
「……セリス」
ネスラさんが、少し離れたところで待っていた。
「……大丈夫?」
「……はい」
私は頷いた。
でも、声は少しかすれていた。
ネスラさんは、それ以上聞かなかった。
ただ、隣に並んで歩き始めた。
「……ネスラさん」
「……何?」
「……私、もっとできること、あると思うんです」
「……うん」
「今回、結界を作りました。魔物も倒しました。逃げ道も変えました」
「……うん」
「でも、助けられなかった人もいました」
私は、救護天幕を振り返った。
「……だから」
少しだけ、息を吸う。
「次は、もっと早く気づけるようにしたいです」
ネスラさんが、こちらを見た。
「危険を見つける魔道具とか。避難を助ける仕組みとか。治癒魔術師さんたちが、もっと早く動ける方法とか……」
考え始めると、次々と浮かんでくる。
できること。
試したいこと。
まだ知らないこと。
「……全部、一度には無理かもしれませんけど」
「……セリス」
「はい?」
「……それ、僕も考えてた」
「……え?」
ネスラさんは、猫耳フードを少しだけ下げた。
「……今回の結界。魔法師団の標準術式にできるかもしれない」
「本当ですか!?」
「……まだ研究が必要。でも、可能性はある」
「じゃあ、一緒にやりましょう!」
「……うん」
彼は、小さく頷いた。
「……面倒だけど」
「ふふっ!」
「……でも、ほっとけない」
私は笑った。
さっきまで胸の奥にあった重さが、少しだけ変わった気がした。
消えたわけじゃない。
でも。
その重さを抱えたままでも、前へ進める。
◇
帰還する飛行艇の上。
私は、王都の方角を眺めていた。
エルが肩で跳ねる。
「ぷいっ!」
レイが、髪の上で静かに揺れた。
「ぷるん」
「……二人とも、今日はありがとうございました」
そっと撫でる。
遠くに、王都アストリアの灯りが見え始めていた。
戦いは終わった。
たくさんの人が助かった。
それでも、帰ってこない人がいる。
私は、今日のことを忘れないと思う。
あの女の子の手の温かさも。
おばあさんの笑顔も。
ネスラさんの言葉も。
アルディスさんが、最後まで立っていた姿も。
全部。
忘れたくない。
「……よし」
私は、小さく呟いた。
「明日から、また頑張りましょう!」
エルが、元気よく跳ねた。
「ぷいっ!」
レイも、静かに応えた。
「ぷるん」
私は、夜空を見上げた。
星が、少しずつ輝き始めている。
この世界には、まだ知らないことがたくさんある。
怖いものも。
悲しいことも。
きっと、これから何度も出会う。
でも。
それだけじゃない。
嬉しいことも。
楽しいことも。
誰かと一緒に笑える瞬間も。
きっと、たくさんある。
「……ふふっ」
私は、そっと微笑んだ。
全部、楽しみ尽くしたい。
この世界そのものを。
そして。
できることなら。
その楽しさを、誰かと分け合いながら。




