第33話「魔物さんたち、何から逃げてるんですか!?」
おかしい。
目の前の魔物たちは、明らかにおかしかった。
「……セリス?」
背後から声がした。
振り返ると、治療のために飛行艇へ運ばれたアルディスさんが、船縁に片手をかけてこちらを見ていた。右肩には包帯が巻かれ、左足もまともに動かせないはずなのに、相変わらず目だけは鋭い。
「アルディスさん。魔物たちの動き、気づいてました?」
「ああ」
短い返事だった。
「あいつら、俺たちを狙ってるんじゃねえ」
「ですよね!」
私はもう一度、森の方へ目を向けた。
北西大森林から押し寄せてくる魔物の群れ。
ゴブリン、オーク、巨大な狼。見たことのない甲殻獣や、災厄級と呼ばれるほどの巨体を持つ魔物までいる。
本来なら、縄張りを争い、捕食し合うような連中だ。
なのに。
誰も、隣の魔物を気にしていない。
傷ついた個体を踏み越え、仲間を押しのけ、ひたすら南東へ走っている。
「……逃げてる」
「ああ。森の奥からな」
アルディスさんが、険しい顔で頷いた。
「何がいるかは知らねえ。だが、あいつらはそこへ戻りたくねえんだろうよ」
私は、魔物たちの進行方向を見た。
その先には王都アストリアへ続く街道がある。
避難中の人たちがいる。
村がある。
そして、まだ逃げきれていない人たちもいる。
「……なるほど」
私は小さく頷いた。
「だったら、逃げ道を変えてあげればいいんですね!」
「……は?」
アルディスさんが、怪訝そうに眉を寄せた。
「魔物に道を譲るってのか?」
「はい! ただし、人のいない方へ!」
私は笑った。
「追い詰めたら、もっと暴れちゃいますから!」
◇
『……つまり、魔物の進行方向を変える?』
「そうです!」
通信魔道具の向こうで、ネスラさんが少し黙った。
『……簡単に言うね』
「簡単じゃないですよ? だから手伝ってほしいんです!」
『……だと思った』
遠くの空では、飛行艇が旋回している。
ネスラさんは既に広域結界の維持と避難路の防衛を引き受け、魔法師団を指揮していた。
私がアルディスさんを救出できたのも、そのおかげだ。
「北西大森林の東側に、広い谷がありませんか?」
『……ある。けど、待って。地図を確認する』
魔道具の向こうで、紙を広げる音がした。
『……谷の先は岩場。その向こうは未開拓地帯。集落はないはず』
「人がいないか、確認できます?」
『偵察を出す。……まだ動かないで』
「はい!」
私は素直に頷いた。
いくら魔物を人里から遠ざけられても、その先に誰かがいたら意味がない。
それに、谷が狭すぎれば魔物が詰まってしまう。逃げ道を塞がれた魔物は、周囲へ散ってしまうかもしれない。
必要なのは、巨大な壁じゃない。
逃げたくなる道を作ること。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
面白い。
魔物の行動そのものを利用するなんて、考えたこともなかった。
「……楽しそうだな、お前」
アルディスさんが呆れたように言った。
「えへへ。ちょっとだけ!」
「ちょっとには見えねえぞ」
「でも、これが成功したら、戦わなくて済む魔物も増えるんですよ?」
「……そうだな」
彼は森を見つめた。
「なら、やってみろ」
「はい!」
通信魔道具が再び光った。
『……セリス。偵察から報告。谷の周辺に人影なし。地形も確認できた』
「ありがとうございます!」
『……ただし、谷へ向けるには相当な範囲の地形を変える必要がある』
「大丈夫です!」
『……君の大丈夫は、あまり信用できない』
「ええっ!?」
『……規模が大きすぎるから』
……あ。
それは、ちょっと分かるかも。
◇
「では、まず小さく試してみましょう!」
私は地上へ降り立った。
目の前には、森から飛び出してきた魔物の群れ。
数十体の狼型魔物が、こちらへ向かって駆けてくる。
私は右手を伸ばした。
「《アースウォール》!」
地面が盛り上がった。
ただし、真っ直ぐな壁じゃない。
緩やかに湾曲した、低い土の壁。
魔物たちの進路を少しだけ右へ曲げるように配置する。
先頭の狼が足を止めた。
後続が押し寄せる。
壁に沿って走り始めた個体が一体。
二体。
三体。
「……よし!」
続けて、少し先に二枚目の壁を作る。
さらに三枚目。
魔物たちの進路が、ゆっくりと変わっていく。
急な角度で曲げれば、群れが混乱する。
だから、曲がり方は少しずつ。
道幅も十分に確保する。
途中で立ち止まった魔物には、後方から軽い風を送ってやる。
「《ウィンド》!」
突風ではなく、進行方向へ吹く風。
魔物たちは、そのまま壁に沿って駆け抜けた。
「……できた!」
通信魔道具を握る。
「ネスラさん! 小規模試験、成功です!」
『……確認した。こちらでも流れが変わっている』
「じゃあ、広げますね!」
『……待って。各艇に配置を指示する』
ネスラさんの声が、指揮官のものへ変わった。
『第一、第二艇は街道側を維持。第三、第四艇は谷の入口を監視。第五艇以降は逸脱した魔物への対応を優先。結界の維持は僕が引き受ける』
各艇から、次々と応答が返る。
私は深呼吸した。
魔力を広げる。
大地の形を思い描く。
必要なのは、一枚の巨大な壁じゃない。
幾重にも連なる、緩やかな誘導路。
魔物が走る速度。
群れの密度。
地形の高低差。
すべてを考慮して、必要な場所だけを変える。
「……いきます!」
両手を広げた。
「《アースウォール》!!」
大地が動いた。
森の出口から、街道へ向かう広大な平野。
そこに、何十本もの土の壁が次々と生まれる。
高さも、厚さも、角度も違う。
魔物の流れを少しずつ変えるための、巨大な曲線。
地面が震え、土煙が舞い上がった。
押し寄せていた魔物たちが、次々と進路を変えていく。
「……すげえな」
飛行艇の上から、アルディスさんの声が聞こえた。
「……本当に、道を作りやがった」
「まだですよー!」
私は笑いながら叫んだ。
「最後まで確認しないと!」
その瞬間、群れの一角から巨大な甲殻獣が飛び出した。
土の壁を突き破り、街道側へ向かおうとしている。
「あっ、そっちは駄目です!」
指先を向ける。
「《インパクト》!」
圧縮した衝撃が、甲殻獣の横腹を打ち抜いた。
巨体が吹き飛び、地面を転がる。
その先に、さらに土壁を展開。
後続の魔物が逸れないよう、すぐに流れを修正する。
別の場所では、飛行艇から氷の魔術が放たれた。
暴走しかけた魔物の足元を凍らせ、進行を止めている。
『……セリス。西側、流れが安定した』
「了解です!」
『……東側も誘導成功。王国軍の先遣隊が街道防衛に加わった』
「やった!」
魔物の群れが、大きく曲がり始めた。
王都へ向かっていた巨大な流れが、無人の谷へ吸い込まれていく。
まだすべてではない。
途中で暴れる魔物もいる。
土壁を壊す個体もいる。
それでも。
人里へ向かう魔物の数は、確実に減っていた。
「……よし!」
私は拳を握った。
「これなら、いけます!」
◇
それから、しばらく。
私は魔物の流れを監視しながら、必要な場所に壁を追加していった。
ネスラさんたちも、飛行艇から誘導路を確認してくれている。
王国軍の先遣隊は街道へ展開し、逃げ遅れた人たちの保護と、誘導路から外れた魔物への対応を始めていた。
ようやく、戦場に少しだけ余裕が生まれた。
「……さて」
私は、北西大森林を見つめた。
問題は、まだ残っている。
魔物たちは、どうして逃げてきたんだろう?
災厄級の魔物まで、あんなに必死になって。
何がいる?
何が起きた?
それを知らなければ、同じことがまた起こるかもしれない。
……それに。
「気になりますよねえ……」
思わず、口元が緩んだ。
あれほどの魔物を追い立てる何か。
未知の魔術?
新しい魔物?
それとも、まだ知らない自然現象?
「……うん!」
私は通信魔道具を手に取った。
「ネスラさん!」
『……何?』
「森の奥、ちょっと調べてきます!」
『……は?』
「魔物たちが逃げてきた原因です!」
『……待って』
「はい?」
『……今、何て言った?』
「森の奥を調べてきます!」
『……駄目』
「ええっ!?」
即答だった。
『……あれだけの魔物が逃げてきたんだよ。何がいるか分からない』
「だから調べるんですよ!」
『……そう言うと思った』
ネスラさんが、深いため息をついた。
『……最低限、広域結界と誘導路の維持はこちらに任せて。異常があれば、すぐ戻ること』
「はい!」
『……無理はしないで』
「もちろんです!」
……本当ですよ?
危険だと分かったら、ちゃんと引き返します。
私は、肩に乗ったエルとレイを見た。
「二人とも、行きましょう!」
「ぷいっ!」
「ぷるん」
エルが元気よく跳ねる。
レイは、いつものように静かに揺れた。
私は地面を蹴った。
風をまとい、空へ舞い上がる。
目指すは、北西大森林の奥。
まだ誰も知らない、スタンピードの原因。
胸が高鳴った。
……少しだけ、怖い気もする。
でも、それ以上に。
知りたい。
◇
森の上空を進むにつれて、奇妙なことに気づいた。
「……静かですね」
鳥の声がしない。
獣の気配もない。
あれほど大量の魔物が押し寄せてきた森なのに、今はまるで、生き物がすべて消えてしまったみたいだった。
私は魔力を薄く広げた。
周囲の情報を拾い上げる。
地形。
樹木。
残留魔力。
魔物が通った痕跡。
……ある。
無数の足跡。
折れた枝。
踏み荒らされた下草。
すべてが、同じ方向へ伸びていた。
森の奥から、外へ。
「……やっぱり」
私はさらに進んだ。
そして。
不意に。
エルが、震えた。
「……ぷ……」
「エル?」
レイも、私の肩にぴたりと張りついた。
「……ぷる……」
「どうしたんですか?」
その瞬間。
――ぞくり。
背筋を、冷たいものが走った。
「……え?」
私は空中で止まった。
何かがいる。
いや。
いる、という表現でいいのだろうか。
魔力を探る。
……反応がない。
もう一度。
探査範囲を広げる。
……分からない。
なのに。
確かに、何かがある。
森の奥。
さらに、その向こう。
見えない。
測れない。
捉えられない。
けれど。
――見られている。
「……っ!?」
息が詰まった。
全身が、硬直する。
心臓が大きく跳ねた。
何、これ。
何なの。
魔力じゃない。
殺気でもない。
威圧……?
違う。
そんな言葉では、足りない。
アルディスさんの剣を、思い出した。
あの人は強い。
途方もなく強い。
初めて戦ったとき、その剣技に何度も驚かされた。
人間が、あそこまで到達できるのかと。
でも。
これは。
「……違う」
唇が震えた。
比較に、ならない。
「……そんな」
喉が、うまく動かなかった。
「……そんなの、ありえない……!」
何かが、こちらへ意識を向けた。
そう感じた。
ただ、それだけだった。
なのに。
身体が、動かない。
逃げなきゃ。
頭では分かっている。
でも、どこへ?
どれだけ離れればいい?
あれから逃げられる場所なんて、本当にあるの?
「……っ、は……!」
呼吸が乱れた。
私は無意識に魔力を集めていた。
防御結界。
多重展開。
全方位。
いつものように、精密に組み上げる。
……できる。
魔術は使える。
魔力制御も、乱れていない。
なのに。
守れる気が、しなかった。
「……何、ですか……」
声が、かすれた。
エルとレイが震えている。
私は二人を胸元へ抱き寄せた。
「……大丈夫」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
「……大丈夫、ですから……」
もう一度、森の奥を見た。
何も見えない。
何も分からない。
ただ、そこにある。
それだけで。
世界のすべてが、息を潜めているようだった。
……怖い。
初めてだった。
知らないものが、こんなに怖いなんて。
私は、震える指を握りしめた。
これ以上は駄目だ。
今、近づいてはいけない。
理由は分からない。
でも、それだけは分かった。
私はゆっくりと後退した。
一歩。
もう一歩。
魔力を使って距離を取る。
そのとき。
――ふっ。
何かが、変わった。
「……え?」
あの感覚が。
遠ざかっていく。
森の奥から、さらに別の方向へ。
まるで、こちらなど最初から気にも留めていなかったように。
あれほど重くのしかかっていた何かが、少しずつ薄れていく。
やがて。
消えた。
「…………」
私は、その場に浮かんだまま動けなかった。
しばらくして、ようやく息を吐く。
「……はぁ……っ」
全身から、力が抜けた。
危うく高度を落としかけ、慌てて姿勢を立て直す。
「……何だったんですか、今の……」
答えはなかった。
ただ、森の奥に静けさだけが残っていた。
◇
『……セリス!』
通信魔道具から、ネスラさんの声が響いた。
『……聞こえる!?』
「……あ、はい!」
『……何度も呼んだ。大丈夫?』
「えっと……」
私は、森の奥を振り返った。
「……たぶん」
『……たぶん?』
「すみません。ちょっと、すごいものを感じちゃって……」
『……すごいもの?』
「説明が難しいです」
私は唇を噛んだ。
言葉にしようとしても、うまくまとまらない。
強い。
怖い。
得体が知れない。
どれも正しい気がする。
でも、どれも足りない。
『……セリス』
「はい」
『……魔物の流入が止まった』
「……え?」
『森から新しい群れが出てこない。偵察隊も確認した』
私は目を見開いた。
『……誘導路に残っている魔物を処理すれば、街道の安全を確保できる』
「……本当ですか?」
『……うん』
私は、もう一度森を見た。
さっきまで、確かにそこにあった何か。
それが遠ざかった。
そして、魔物の流入が止まった。
……つまり。
「……そういうこと、ですか」
魔物たちは、あれから逃げていた。
あんなものが森の奥にあったら。
逃げる。
きっと、私だって。
「……ネスラさん」
『……何?』
「戻ります」
『……うん。待ってる』
私は、胸元のエルとレイを見た。
二人とも、まだ少し震えていた。
「……ごめんなさい。怖かったですよね」
「……ぷい」
「……ぷるん」
私は二人をそっと撫でた。
「……私も、怖かったです」
口にしてみると、不思議だった。
怖かった。
本当に。
あんなに魔力を持っていても。
あんなに魔術を使えても。
どうにもならないと思ってしまった。
でも。
「……ふふっ」
小さく、笑みがこぼれた。
エルが、不思議そうに揺れる。
「……知らないこと、まだまだあるんですね」
胸の奥には、恐怖が残っている。
消えたわけじゃない。
今すぐ、もう一度近づきたいとも思わない。
だけど。
いつか。
ちゃんと調べたい。
何が起きたのか。
どうして、あんな感覚になったのか。
あれは、一体何だったのか。
「……よし!」
私は、両頬を軽く叩いた。
「まずは、みんなのところへ帰りましょう!」
風をまとい、王都の方角へ飛び始める。
遠くには、飛行艇が見えた。
街道には、王国軍の旗が翻っている。
魔物の群れは、もう新しく押し寄せてこない。
残された魔物も、魔法師団と王国軍が少しずつ制圧していた。
長かった戦いが、ようやく終わろうとしている。
私は、大きく息を吸った。
「……みんな、無事だといいな」
そして、速度を上げた。
今は、まだ知らなくていい。
あの森の奥に何があったのか。
ただ、一つだけ。
確かなことがある。
この世界には、私がまだ知らないものが、山ほどある。
それは。
少しだけ怖くて。
それでも、どうしようもなく――
気になることだった。
◇
北西大森林からの魔物の流入が途絶えた。
王国軍と魔法師団は、残存する魔物の掃討と、避難民の救護を続けた。
やがて、街道の安全が確認される。
王都アストリアを襲うはずだった、未曾有のスタンピード。
その災厄は、ここに終結した。
後に、人々は語ることになる。
八時間もの間、たった一人で魔物の大群を食い止めた剣聖のことを。
傷ついた人々を守り、飛行艇を率いて救援に駆けつけた若き魔法師団長のことを。
そして。
青銀の髪をなびかせ、大地を変え、魔物の群れを押し返した一人の少女のことを。
人々は、彼女をこう呼んだ。
――青銀の魔女、と。
ただし。
その少女自身は、まだ知らなかった。
自分の新しい呼び名が、これから王国中へ広がっていくことを。
そして。
森の奥で感じた、あの得体の知れない何かが。
彼女の旅に、再び姿を現すかもしれないことを。
いつもお読み頂きありがとうございます!セリスも喜んでおります。面白いと感じて頂けましたら、ぜひ☆、ブクマで応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします(>人<;)




