第32話「剣聖さん! もう一人で戦わないでください!」
結界の主制御を切り離した瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
私の魔力が抜けたあとも、街道を覆う青銀の光は消えない。
第一班の結界が魔狼を弾き、第二班がその隣を補強する。第三班では、負傷した魔法師さんに代わって別の人が術式を引き継いでいた。
攻撃が集中した場所には、ネスラさんが追加の魔力を配分している。
……うん。
ちゃんと動いてる。
「……セリス」
ネスラさんが通信具を下ろした。
「……主制御の引き継ぎ、完了。各班からも異常なし」
「ありがとうございます!」
「……礼はいい。それより」
ネスラさんは、北西の森へ目を向けた。
「……アルディスのところ、行くんでしょ」
「はい!」
私は迷わず頷いた。
王都へ知らせが届くまで五時間。そこから飛行艇で二時間以上。避難路を確保するまでにも、さらに時間がかかっている。
アルディスさんは、その間ずっと戦っていた。
何千、何万という魔物を相手に。
たった一人で。
「……セリス」
「はい?」
「……森の奥は、まだ状況が分からない。無理はしないで」
「分かりました!」
「……本当に?」
「はい! ちゃんと考えて、無理のない方法で助けます!」
ネスラさんは、私の顔をじっと見た。
「……君の『無理のない』は、信用しづらい」
「ええっ!?」
エルが肩の上で跳ねた。
「ぷいっ!」
レイも小さく揺れる。
「ぷるん」
……二人まで!?
ネスラさんは、少しだけ笑った。
「……救護班を後から向かわせる。位置が分かったら通信して」
「はい!」
「……それと」
ネスラさんは、街道を振り返った。
青銀の結界の内側を、避難民が歩いている。
「……ここは、僕たちで守る」
私は、その光景を見つめた。
……私がいなくても、守れる。
誰か一人が全部を背負わなくても、みんなで守れる。
だったら。
私は、今度は別の人を助けに行ける。
「……ありがとうございます、ネスラさん!」
私は大きく手を振り、森へ向かって駆け出した。
◇
北西大森林。
アルディス・レヴィンは、剣を振り抜いた。
魔狼の首が跳ねる。
続く二体の攻撃を半歩でかわし、一体の脚を斬り、もう一体の喉へ刃を通す。
倒れた魔物の向こうから、さらに五体。
「……っ、はあ……!」
息を吐く。
左の脇腹は、呼吸するたびに疼いた。
左脚も、踏み込むたびに鈍い痛みを返してくる。
八時間近く、戦い続けていた。
最初は、ただ数を減らせばいいと思っていた。
だが、魔物は減らなかった。
倒しても倒しても、森の奥から新しい群れが現れる。
しかも、種類が滅茶苦茶だった。
魔狼。
大猪。
巨大蜘蛛。
甲殻獣。
普段なら互いに縄張りを争う連中が、同じ方向へ走っている。
王都のある、南東へ。
「……お前ら、何なんだよ」
アルディスは、剣を握り直した。
答えは返ってこない。
代わりに、地鳴りが近づいてきた。
木々を押し倒しながら、巨大な甲殻獣が現れる。
黒い装甲に覆われた巨体。
鋭い二本の角。
その後ろには、数十体の魔物。
さらに奥には、数え切れないほどの気配。
「……また災厄級かよ」
アルディスは、乾いた笑いを漏らした。
普段なら、十分に斬れる相手だった。
だが今は、剣を持ち上げるだけで右肩が悲鳴を上げる。
身体強化に回せる魔力も、残り少ない。
……まともに受けるな。
甲殻獣が突進した。
アルディスは、ぎりぎりまで動かない。
角の軌道を見切り、半歩ずらす。
すれ違いざま、前脚の関節へ剣を滑らせた。
硬い装甲の隙間に刃が入る。
甲殻獣が吠えた。
だが、止まらない。
巨大な尾が横薙ぎに迫る。
「……っ!」
剣で受け流す。
衝撃が右肩を貫いた。
アルディスの身体が、地面を滑る。
左脚がもつれた。
……まずい。
甲殻獣が、再び頭を下げる。
その後ろから、魔狼の群れが左右へ広がった。
甲殻獣を避ければ、魔狼が抜ける。
魔狼を止めれば、甲殻獣が街道へ向かう。
……どっちも、通したくねえんだよ。
アルディスは、剣を構えた。
指先の感覚が鈍い。
それでも、まだ動く。
まだ斬れる。
……だったら。
「……来いよ」
アルディスは、口元を歪めた。
「……俺の後ろにゃ、通さねえ」
甲殻獣が地面を蹴った。
その瞬間だった。
森の上空から、少女の声が響いた。
「――アルディスさーん!!」
「……あ?」
聞き覚えのある声だった。
アルディスが顔を上げる。
木々の上。
青い空を背に、銀髪の少女が浮かんでいた。
青と銀の衣装が風になびく。
肩には、二匹のスライム。
「……セリス!?」
「はいっ!!」
少女は、満面の笑みで手を振った。
「助けに来ましたー!!」
「……おい! 前!」
「大丈夫です!」
セリスは、甲殻獣を見下ろした。
そして、少しだけ首を傾げる。
「……あれ?」
甲殻獣。
その後ろの魔狼。
さらに奥から押し寄せる、無数の魔物たち。
セリスの視線が、森全体をなぞった。
「……すごい数ですね」
「……今さら気づいたのかよ!」
「いえ! 聞いてはいましたけど!」
少女は、両手を広げた。
「……なるほど」
その声が、少しだけ変わった。
「だったら、まとめてやった方が早いですね!」
「……は?」
◇
……うん。
まず、位置関係を確認しよう。
アルディスさんは、森の中央付近。
その周囲に、魔物が数十体。
さらに北西方向から、大量の魔物が流れ込んでいる。
左右にも群れ。
背後には、街道へ抜ける道。
……なるほど。
アルディスさんが、ずっと守っていた場所だ。
私は、魔力を広げた。
木々の間を走る魔物たち。
地面の起伏。
岩の位置。
倒木。
アルディスさんの周囲にいる魔物の動き。
……全部、見えた。
私は、少しだけ息を吸った。
まずは、アルディスさんの安全を確保。
その次に、魔物の群れを分断。
最後に、まとめて制圧する。
……よし!
「アルディスさん! ちょっとだけ、そこにいてくださいね!」
「……おい、何する気だ!?」
「魔法です!」
「……そりゃ分かる!」
私は、右手を上げた。
土属性魔術。
地面の内部へ魔力を浸透させる。
作用する範囲を指定。
アルディスさんの周囲は除外。
街道へ続く道も、除外。
……これで!
「《アースウォール》!」
ごごごごごっ!!
森の地面が、大きく隆起した。
魔物の群れの間に、巨大な土壁が次々と現れる。
一つ。
二つ。
三つ。
何十もの壁が、森の中を走った。
魔物たちの進路が分断される。
左へ逃げようとした魔狼が壁に阻まれ、右へ走った大猪が別の群れとぶつかった。
……うん。
ちゃんと分かれた。
次。
私は左手を上げた。
風属性魔術。
空気の流れを制御。
土壁で区切った領域の内部へ、風を送り込む。
「《ウィンド》!」
ごおおおおっ!!
突風が、森の中を吹き抜けた。
魔物たちが、壁の内側へ押し戻される。
……よし。
密度が上がった。
次は、火属性。
私は、魔力の流れを切り替えた。
火炎の発生位置を指定。
森全体を燃やす必要はない。
魔物が密集した領域だけでいい。
周囲の木々と、避難路への熱の流出を抑える。
「《ファイア》!」
ぼっ!
最初の火柱が立ち上がった。
続いて、二本目。
三本目。
十本。
二十本。
魔物の密集した場所へ、次々と炎が噴き上がる。
咆哮が響いた。
炎を避けて走り出した魔物たちが、土壁へ殺到する。
……逃がさない。
私は、右手を軽く振った。
無属性魔術。
衝撃の方向を指定。
対象を、魔物の群れへ限定。
「《インパクト》!」
どんっ!!
一つ目の群れが吹き飛ぶ。
「《インパクト》!」
どどんっ!!
二つ目。
三つ目。
四つ目。
私は、術式を同時に展開した。
十。
二十。
五十。
百。
魔物たちが、次々と宙を舞う。
土壁へ激突し、地面へ叩きつけられる。
炎の中から飛び出した魔物も、衝撃波で押し戻される。
……うん。
効率がいい。
同じ魔力を使うなら、一体ずつ相手にするより、まとめた方がずっと早い。
私は、魔力の配分を調整した。
魔物が少ない領域の出力を下げる。
密集した場所へ追加する。
動きの速い個体には、先回りするように衝撃を配置。
大型の魔物には、複数方向から同時に作用させる。
……よし。
これなら、もっと。
◇
「…………」
アルディスは、剣を構えたまま動けなかった。
目の前で、森の地形が変わっていく。
土壁が魔物の群れを分断し、突風がその動きを封じる。
火柱が立ち上がり、無数の衝撃波が魔物たちを吹き飛ばしていた。
しかも、そのすべてが同時に起きている。
「……おいおい」
アルディスは、乾いた笑いを漏らした。
「……何だよ、これ」
災厄級の甲殻獣が、土壁を突き破った。
巨大な角を振り上げ、セリスへ向かって突進する。
「セリス! 上だ!」
「はい!」
少女は、振り返りもしなかった。
甲殻獣の足元に、土の柱が突き上がる。
巨体が、わずかに浮いた。
次の瞬間。
「《インパクト》!」
どおおおおおおおんっ!!
甲殻獣が、真横へ吹き飛んだ。
何本もの木をなぎ倒し、遠くの岩壁へ激突する。
そのまま動かなくなった。
「…………」
アルディスは、ゆっくりと剣を下ろした。
……俺、今まで何してたんだっけ。
八時間。
剣を振り続けた。
何百体も斬った。
災厄級も、十体以上倒した。
それでも、魔物の流れは止まらなかった。
だが。
目の前の少女は。
ほんの数分で、森の一角を制圧してしまった。
「……ははっ」
笑うしかなかった。
「……化け物かよ」
その声が聞こえたのか、セリスが振り返った。
「ええっ!? 私、人間ですよ!?」
「……そこじゃねえよ!」
◇
……よし!
周辺の魔物、ほぼ制圧。
アルディスさんの周囲、安全。
街道へ抜ける道も、今のところ問題なし。
私は、魔力の展開範囲を少し広げた。
森の奥には、まだ魔物がいる。
……うわあ。
本当に、すごい数。
でも、ここで全部を相手にする必要はない。
まずは、アルディスさんだ。
私は、ゆっくりと地面へ降りた。
「アルディスさん!」
「……おう」
近づいて、思わず息を呑んだ。
右肩。
左の脇腹。
左脚。
服は血で汚れ、剣を握る手も傷だらけだった。
……こんなに。
「……アルディスさん」
「……何だよ」
「……痛くないんですか?」
「……痛えよ」
「……ですよね」
「……でも、まだ動ける」
アルディスさんは、少しだけ笑った。
「……だから、戦ってた」
私は、唇を噛んだ。
この人は。
ずっと。
こんな状態で。
それでも、街道を守っていたんだ。
「……遅くなりました」
アルディスさんは、私を見た。
そして、少しだけ口元を上げた。
「……遅えぞ」
「……はい」
「……何で謝んだよ」
「だって……!」
アルディスさんは、剣を肩に担ごうとして、顔をしかめた。
……もう!
私は慌てて、その腕を支えた。
「無理しないでください!」
「……分かってるよ」
「分かってないです!」
「……お前にだけは言われたくねえな」
「ええっ!?」
アルディスさんは、笑った。
疲れ切った、でも、どこか安心したような笑顔だった。
「……来てくれたんだろ?」
私は、頷いた。
「……はい!」
「……なら、それでいい」
私は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
……よかった。
間に合った。
◇
「……で」
アルディスさんが、森の向こうを見た。
「……今の魔法、何だ?」
「え?」
「……あの、土壁と炎と風と、最後の馬鹿みてえな衝撃波」
「ああ!」
私は、嬉しくなって頷いた。
「全部、初級魔術ですよ!」
「…………」
アルディスさんが、私を見た。
「……初級?」
「はい!」
「……あれが?」
「はい!」
「……嘘だろ」
「本当です!」
私は、指を一本立てた。
「魔術の等級って、使える現象の種類を表してるだけで、必ずしも出力の上限じゃないんです!」
「……ほう」
「例えば《ファイア》なら、普通は小さな炎を出しますよね?」
「……まあな」
「でも、魔力をたくさん使って、発生位置を細かく指定すれば、複数の場所に同時に炎を出せるんです!」
「……なるほど」
「それに、土壁で魔物を分けてから攻撃した方が、魔力の無駄も少ないですし!」
「……お前」
「はい?」
「……戦いながら、そんなこと考えてたのか?」
「もちろんです!」
私は、にっこり笑った。
「だって、効率がいい方が、たくさん助けられますから!」
アルディスさんは、しばらく私を見つめていた。
そして、突然笑い出した。
「……ははっ!」
「ええっ!? 何ですか!?」
「……いや、何でもねえ」
アルディスさんは、森の向こうを見た。
「……俺が八時間かけてやってたこと、お前、何分でやった?」
「え?」
私は、少し考えた。
「……でも、アルディスさんが八時間守ってくれなかったら、皆さんを避難させる時間がありませんでしたよ?」
「……そういう話じゃねえんだけどな」
「?」
「……いや、いい」
アルディスさんは、ゆっくりと剣を鞘へ収めた。
「……助かった。ありがとな」
私は、満面の笑みで答えた。
「はい! 助けに来ました!」
◇
私は、アルディスさんの周囲に結界を展開した。
青白い光が、私たちを包む。
森の奥から、新しい魔狼が現れた。
結界に飛びかかる。
どんっ!
衝撃を受けた場所だけが強く輝き、魔狼を弾き飛ばした。
「……お」
アルディスさんが、結界を見た。
「……これも、お前が作ったのか?」
「はい! さっきです!」
「……さっき?」
「はい!」
「……お前、何しに来たんだっけ」
「アルディスさんを助けにです!」
「……だよな」
アルディスさんは、深く息を吐いた。
「……つくづく、変な奴だな」
「えへへ♡」
私は通信具を取り出した。
「ネスラさん! アルディスさんを見つけました!」
『……よかった』
「怪我をしています! 救護班をお願いします!」
『……位置は確認した。飛行艇を向かわせる』
「ありがとうございます!」
通信を終えると、アルディスさんが空を見上げた。
「……ネスラも来てんのか?」
「はい! 魔法師団の皆さんも!」
「……王国、動いたんだな」
「もちろんです!」
私は頷いた。
「陛下が、すぐに出動を命じたそうです!」
「……そっか」
アルディスさんは、しばらく黙っていた。
そして、小さく呟いた。
「……よかった」
その声は、今まで聞いたどの言葉よりも、ずっと静かだった。
◇
救護班が到着するまで、私は周辺の魔物を抑え続けた。
森の奥から新しい群れが現れるたび、土壁で進路を分け、必要な場所へ衝撃波を撃ち込む。
アルディスさんは、結界の内側で座っていた。
……うん。
もう、剣を握らなくていい。
私は、魔力の流れを確認しながら尋ねた。
「……アルディスさん」
「ん?」
「……どうして、こんなにたくさんの魔物が来るんでしょう?」
「……分かんねえ」
「……そうですか」
「……ただな」
アルディスさんは、森の奥を指さした。
「……こいつら、俺を見てねえんだ」
「……え?」
「……最初から、そうだった」
私は、結界の外を見た。
魔狼が走っている。
大猪も。
巨大蜘蛛も。
みんな、同じ方向へ。
……あれ?
魔物たちは、こちらを襲おうとしているわけじゃない。
むしろ、進路を塞がれたから攻撃しているようにも見える。
「……確かに」
「……狼も猪も蜘蛛も、普段なら殺し合うような連中が、同じ方向へ走ってる」
「……同じ方向?」
「ああ。南東だ。王都の方へ」
私は、森の奥を見た。
「……じゃあ」
「……たぶんな」
アルディスさんは、ゆっくりと言葉を続けた。
「……こいつら、俺たちを襲いに来てるんじゃねえ」
私は、息を呑んだ。
「……逃げてるんだ」
森の奥から、また地鳴りが響いた。
私は、その方向を見つめた。
……逃げてる?
何から?
どうして?
災厄級の魔物まで、あんなに必死に?
私は、アルディスさんを見た。
「……アルディスさん」
「何だ?」
「……この森の奥に、何があるんでしょう?」
「……さあな」
アルディスさんは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ただ」
その視線が、森の奥へ向く。
「……ろくでもねえもんが、いる気はする」
私は、もう一度森を見た。
魔物たちの足音。
揺れる木々。
遠くで響く咆哮。
……何かが、起きている。
この森の奥で。
私たちの知らない、何かが。
そのとき、背後から飛行艇の音が聞こえた。
「……救護班、到着しました!」
私は振り返った。
治癒術師さんたちが、こちらへ駆け寄ってくる。
「アルディスさん! もう大丈夫です!」
「……ああ」
アルディスさんは、ようやく身体の力を抜いた。
その瞬間。
膝が、わずかに折れた。
「……っ!」
私は慌てて、その身体を支えた。
「アルディスさん!?」
「……悪い」
アルディスさんは、苦笑した。
「……ちょっと、疲れた」
……ちょっと?
八時間も戦っておいて?
私は、思わず笑ってしまった。
涙が出そうだった。
「……もう」
私は、アルディスさんの腕を肩に回した。
「本当に、無茶するんですから!」
「……お前にだけは言われたくねえな」
「ええっ!?」
アルディスさんが笑った。
私も、笑った。
その向こうで、森がまた大きく揺れた。
……まだ、終わっていない。
でも。
もう、アルディスさんは一人じゃない。
私は、治癒術師さんたちと一緒に、アルディスさんを飛行艇へ運んだ。
そして、もう一度。
森の奥を見た。
……何から、逃げているんだろう。
その答えを、私はまだ知らなかった。




