第31話「結界って、守るものを選べないんですか!?」
集落の南側では、まだ魔物の咆哮が続いていた。
避難路を守る結界に魔狼が突進するたび、半透明の壁が大きく揺れる。その内側では、魔法師たちが額に汗を浮かべながら、必死に魔力を送り続けていた。
「第三班、交代だ! もう維持できない!」
「待ってくれ! こっちも魔力が足りない!」
「西側から新しい群れが来るぞ!」
……足りない。
人も、魔力も、時間も。
私は結界の向こうを見つめた。
魔物たちは、次から次へと押し寄せてくる。今いる集落の人たちを避難させても、街道の先にはまだ別の村がある。
そして、森の奥ではアルディスさんが戦っている。
……七時間以上。
あの人は、まだ一人で剣を振っているんだ。
「……セリス」
隣に立ったネスラさんが、私を見た。
「……さっきの話。結界の自動制御、本当にできる?」
「分かりません」
「……え?」
「でも、試せます!」
私は自分の両手を見つめた。
検知する術式。条件を判定する術式。魔力の出力を調整する術式。そして、防御する術式。
どれも、この世界にはもう存在している。
職人さんたちが、長い年月をかけて作り上げてきた魔法技術だ。
だったら、あとは。
「……つなげればいいんです」
「……この前の、あのランプみたいに?」
「はい! ただし、今度は光じゃありません」
私は、避難していく人々を見た。
泣きながら走る子ども。
怪我をした老人を支える男性。
小さな赤ん坊を抱き締める母親。
そして。
さっき、助けられなかった人の顔が浮かんだ。
あの女の子が、母親の手を握っていた姿も。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
……忘れない。
でも、今は。
まだ、助けられる人がいる。
「ネスラさん。少しだけ手伝ってください!」
「……何をするの?」
「実験です!」
「……今?」
「今です!」
ネスラさんは一瞬だけ目を閉じた。
「……やっぱり、そう言うと思った」
◇
私は自分の周囲に、小さな結界を展開した。
直径二メートルほど。
普通の防御結界と違うのは、その内側に複数の術式を組み込んでいることだ。
外部からの魔力変動を検知。
衝撃の方向と強度を判定。
必要な場所へ魔力を配分。
そして、防御結界を局所的に強化する。
……うん。
理屈は通ってる。
「ネスラさん、弱い氷弾を撃ってください!」
「……分かった」
ネスラさんが指を向ける。
「《アイススラッシュ》」
小さな氷の刃が飛んできた。
結界の右側に接触した瞬間、そこだけが青く輝く。
ぱきんっ!
氷の刃が砕け散った。
「……おお!」
私は思わず声を上げた。
「成功です!」
「……まだ一回」
「ですよね!」
ネスラさんが二撃目を放つ。
今度は左側。
結界の反応が、ほんのわずかに遅れた。
氷の刃が防御層へ食い込み、表面に細かな亀裂が走る。
「……あれ?」
「……遅い」
「ですね。前の強化状態が残ってる……」
私は術式の流れを追った。
右側へ配分した魔力を戻す処理が、次の検知より遅い。
……なるほど。
制御の切り替えに時間がかかってるんだ。
だったら。
全体の防御を消さずに残して、追加の魔力だけを動かせばいい。
「……ネスラさん、もう一回お願いします!」
「……うん」
今度は、左右から同時に。
二つの氷弾が結界に触れた。
青い光が、左右へ分かれる。
ぱきんっ!
両方とも、砕けた。
「……よし!」
「……今のは?」
「基礎防御と追加防御を分けました! 全部の場所に最低限の強さを残して、攻撃されたところだけ追加で強くするんです!」
「……なるほど」
ネスラさんが、結界をじっと見つめる。
「……じゃあ、三方向」
「お願いします!」
三つの氷弾。
正面、右、左。
同時に飛んでくる。
結界が三か所で輝いた。
衝撃。
……耐えた!
「……いけます!」
「……まだ」
「え?」
「……連続攻撃は?」
「……あ」
そうだった。
単発で成功しても、実戦では何度も攻撃される。
私は頷いた。
「お願いします!」
ネスラさんの周囲に、氷の刃が次々と現れた。
右。
左。
正面。
斜め上。
不規則な間隔で飛んでくる。
結界が何度も青く輝く。
一度、正面の防御が薄くなった。
私はすぐに術式を修正する。
追加防御に使える魔力の上限を設定。
基礎防御に必要な分は、絶対に使わせない。
さらに、検知結果を短い時間だけ保持する。
攻撃が続いている場所の防御が、すぐに解除されないように。
……これで!
最後の氷弾が砕けた。
結界は、まだ形を保っている。
「……ネスラさん!」
「……うん」
「できました!」
ネスラさんは、しばらく結界を観察していた。
「……すごい」
「えへへ♡」
「……でも、これ」
「はい?」
「……普通の魔法師が、同じように制御するのは難しい」
「……ですよね」
私は頷いた。
この結界は、複数の術式を同時に動かしている。
検知、判定、配分、防御。
全部を手動で操作しようとしたら、相当な集中力が必要になる。
でも。
「だから、自動化したんです!」
私はにっこり笑った。
「私が全部操作しなくても、結界自身が必要な場所を強くしてくれます!」
ネスラさんが、少しだけ目を見開いた。
「……そういうこと」
「はい!」
私は結界を解除した。
……よし。
個人結界では動いた。
次は。
私は、集落の外へ続く街道を見た。
「ネスラさん」
「……何?」
「これ、広げます」
「……どこまで?」
私は、街道の先を指さした。
「避難先までです!」
◇
「……本気?」
「もちろんです!」
ネスラさんが、街道の先へ目を向けた。
集落から王都方面へ続く道。
その両側には森が広がり、ところどころで魔物の群れが動いている。
「……距離が長い」
「はい!」
「……途中に魔物もいる」
「はい!」
「……結界を広げるだけじゃ、道は確保できない」
「そうなんです!」
私は頷いた。
「だから、まず道を作ります!」
「……どうやって?」
私は、街道の先を見つめた。
魔狼の群れ。
巨大な猪。
倒れた荷車。
道を塞ぐ魔物たち。
その向こうには、避難先へ続く道がある。
……うん。
だったら、やることは一つ。
「ネスラさん! 避難している人たちを、いったん止めてください!」
「……分かった」
ネスラさんが通信具を手に取る。
「……各隊、避難民を街道入口で待機させて。前方に出さないで」
『了解!』
「……セリス。準備できた」
「ありがとうございます!」
私は、街道の先頭へ歩き出した。
エルとレイが、肩の上で小さく揺れる。
「ぷいっ!」
「ぷるん」
「二人とも、ちょっとだけしっかりつかまっててね!」
私は、両手を前へ向けた。
街道の幅。
魔物の位置。
周囲の地形。
倒木と荷車。
避難路として使う地面の強度。
……全部、確認。
魔力を収束させる。
無属性。
衝撃の方向を限定。
左右への拡散を抑え、前方へ一直線に。
地面を抉らないよう、作用する高さを調整。
そして。
「――《インパクト》!!」
どおおおおおおおんっ!!
轟音が、森を揺らした。
街道を塞いでいた魔物たちが、一斉に吹き飛ぶ。
魔狼が宙を舞い、巨大な猪が後方へ弾き飛ばされる。
倒れた荷車の残骸も、道の外へ押し流された。
土煙が、一直線に伸びていく。
その先。
街道の向こうまで。
魔物たちの群れが、まるで見えない巨大な手に押し退けられたみたいに消えていった。
「…………」
背後で、誰かが息を呑む音がした。
私は、少しだけ首を傾げた。
「……あれ?」
街道の先に、まだ一体。
大きな魔狼が残っていた。
……ちょっと外れちゃった。
私は指先を向ける。
「《インパクト》!」
どんっ!
魔狼が、道の外へ吹き飛んだ。
「……よし!」
私は振り返った。
「ネスラさん! 道、空きました!」
ネスラさんは、しばらく何も言わなかった。
「……セリス」
「はい!」
「……今の、無属性魔法?」
「はい!」
「……範囲は?」
「街道に沿って、できるだけ遠くまで!」
「……そう」
ネスラさんは、深く息を吐いた。
「……もう、驚かないことにする」
「ええっ!? そこは驚いてくださいよ!」
「……面倒」
「ひどい!」
でも、ネスラさんの口元は、ほんの少しだけ笑っていた。
◇
道は空いた。
でも、これで終わりじゃない。
森の左右から、新しい魔物が流れ込んできている。
放っておけば、すぐに元通りだ。
私は、街道の上空へ魔力を広げた。
さっきの個人結界を思い出す。
検知。
判定。
配分。
防御。
その構造を、今度は街道に沿って展開する。
……広い。
個人結界とは、比べものにならない。
検知する地点も、守る範囲も、必要な魔力も。
でも、仕組みは同じ。
私は、魔力を流し込んだ。
青白い光が、街道の左右に伸びていく。
まるで、二本の光の帯。
その間に、安全な道が生まれていく。
「……わあ」
自分で作っておいて、思わず声が漏れた。
……綺麗。
でも、まだ完成じゃない。
これを私一人で全部維持していたら、ほかの場所へ行けなくなる。
それじゃ、駄目だ。
もっと、たくさんの人を守りたい。
「ネスラさん! 通信具、借りてもいいですか!?」
「……うん」
ネスラさんが、通信具を差し出してくれた。
私は、それを受け取った。
……さて。
どう説明しよう。
魔法の構造を、全部説明する?
……いや。
それじゃ時間がかかる。
魔道具職人さんたちと一緒に研究したとき、何度も教えてもらった。
大事なのは、相手が何を知っていて、何をすればいいのか。
難しい理論を全部理解してもらう必要はない。
今、必要なことを伝えればいい。
私は通信具に向かって、大きく息を吸った。
「皆さん! 聞こえますか!?」
『……誰だ?』
『師団長の通信具から?』
『女の子の声?』
「セリス・アルフィーネです! 今から、避難路を守る結界を作ります!」
少しだけ、通信がざわついた。
私は続ける。
「新しい魔法を覚える必要はありません! 皆さんが使っている防御結界を、そのまま使ってください!」
『……そのまま?』
「はい! 私が全体の魔力配分を調整します! 皆さんには、担当する区間の結界を維持してほしいんです!」
私は、できるだけ簡単な言葉を選んだ。
「攻撃が集中した場所には、私から追加の魔力を送ります! でも、皆さんの結界は消さないでください! 最低限の防御を、ずっと残してほしいんです!」
『……なるほど』
『つまり、我々は基礎結界を維持すればいいのか?』
「そうです!」
私は嬉しくなって頷いた。
……伝わった!
ネスラさんが、通信具を受け取った。
「……各隊、聞いたね」
『はっ!』
「……街道を区間ごとに分ける。第一班は入口から東の橋まで。第二班は橋から分岐路まで。第三班は分岐路から避難拠点まで」
『了解!』
「……結界の重なりを必ず確認。途切れた区間があれば、すぐ報告して」
『了解!』
「……セリス」
「はい!」
「……全体の制御、任せる」
「任されました!」
私は、もう一度魔力を広げた。
魔法師たちが、それぞれの場所で結界を展開していく。
一つ。
二つ。
三つ。
離れた場所に生まれた結界が、青白い光でつながっていく。
私は、それぞれの結界へ魔力の流れを接続した。
……うん。
違う術者。
違う魔力量。
違う術式の癖。
でも、全部同じにする必要はない。
それぞれができることを、そのまま使えばいい。
足りないところを、私が補う。
……そうだ。
これでいい。
◇
「魔物、接近!」
街道の右側から、巨大な猪が突進してきた。
結界に激突する。
どんっ!
青白い壁が揺れた。
私は、その地点へ追加の魔力を送る。
結界が、ぱっと強く輝いた。
猪が弾き返される。
「……成功!」
でも、すぐに左側から魔狼の群れが現れた。
別の区間で、結界が何度も叩かれる。
「第三班、攻撃集中!」
「維持できます!」
私は、魔力の配分を調整した。
右側の追加防御を少し下げ、左側へ回す。
ただし、基礎防御はそのまま。
……うん。
ちゃんと動いてる。
「避難開始!」
ネスラさんの声が響いた。
集落の人々が、街道へ歩き出す。
子どもたち。
老人たち。
怪我をした人々。
みんな、青白い結界に守られた道を進んでいく。
「……本当に、大丈夫なのか?」
誰かが、不安そうに呟いた。
私は、その人に笑いかけた。
「大丈夫です! この道をまっすぐ進んでください!」
その直後。
どおんっ!!
結界の一部が、大きく歪んだ。
「……っ!?」
私は振り返った。
森の中から、巨大な魔物が現れていた。
体長は十メートル以上。
黒い甲殻に覆われた、巨大な牛のような魔物。
頭部には、鋭い角が二本。
その周囲に漂う魔力は、これまでの魔物とは明らかに違っていた。
「災厄級だ!」
「第三班! 結界が持ちません!」
魔物が、もう一度突進してくる。
……まずい。
あの質量。
あの速度。
普通の結界じゃ、何度も受け止められない。
「ネスラさん!」
「……分かってる」
ネスラさんが、魔物へ向かって手をかざした。
「《フリーズバインド》!」
地面から氷が噴き上がり、巨大な魔物の脚を絡め取る。
魔物の動きが、一瞬だけ止まった。
……今!
私は、第三班の結界へ魔力を集中させた。
ただし、ほかの区間の基礎防御は維持する。
全体の安全を確保したまま、必要な場所だけ強くする。
青白い光が、第三班の結界へ集まっていく。
「……よし!」
魔物が氷を砕いた。
再び、突進。
どおおんっ!!
結界が大きく揺れた。
でも、破れない。
……耐えた!
「ネスラさん!」
「……うん」
ネスラさんが頷いた。
「……今なら、いける」
「はい!」
私は、巨大な魔物へ向かって手を伸ばした。
魔力を収束。
衝撃の方向を調整。
結界の外側だけを作用範囲に設定する。
……避難路には、絶対に当てない。
そして。
「――《インパクト》!!」
どおおおおおおおんっ!!
巨大な魔物が、横方向へ吹き飛んだ。
地面を転がり、何本もの木をなぎ倒して止まる。
……よし!
私は、結界の状態を確認した。
第三班、正常。
第一班、正常。
第二班、正常。
避難路全体、維持。
「……ネスラさん!」
「……うん」
「守れました!」
ネスラさんは、静かに頷いた。
「……まだ、続くよ」
「はい!」
私は、もう一度街道を見た。
避難していく人々の列は、まだ長い。
森の向こうから、魔物の咆哮も聞こえてくる。
でも。
道は、ある。
守るための仕組みも、ある。
そして、一緒に守ってくれる人たちがいる。
……うん。
まだ、やれる。
◇
街道の入口で、一人の女の子が立ち止まっていた。
母親を失った、あの子だった。
治癒術師に手を引かれながら、青白く輝く結界を見上げている。
魔物がぶつかるたび、結界の一部が強く輝く。
その向こうでは、銀髪の少女が両手を広げ、魔力を制御していた。
青と銀の衣装が、風に揺れる。
肩には、二匹の小さなスライム。
少女は、何度も何度も、避難していく人々へ声をかけていた。
「大丈夫です! まっすぐ進んでください!」
「怪我をした人がいたら、教えてください!」
「押さないで! ゆっくりでいいです!」
女の子は、その姿をじっと見つめていた。
あの人は、お母さんを助けようとしてくれた。
でも、お母さんは帰ってこなかった。
それなのに。
あの人は、まだ戦っている。
まだ、誰かを助けようとしている。
女の子は、胸の前で小さな手を握った。
「……魔女さま……」
その声は、とても小さかった。
けれど、隣にいた村人が振り返った。
「……魔女?」
女の子は、青白い光の向こうを指さした。
「……あの、ひと……」
村人は、銀髪の少女を見た。
青銀の光に包まれた結界。
その中央で、人々を守り続ける小さな背中。
「……ああ」
村人は、静かに頷いた。
「……青銀の、魔女さまか」
その言葉を、別の村人が聞いた。
「青銀の魔女さま……」
「……あの子が、道を作ってくれたんだ」
「魔物を吹き飛ばしたのも、あの子だろ?」
「……そうだ。あの魔女さまが、守ってくれてる」
少しずつ。
本当に、少しずつ。
その呼び名が、避難していく人々の間に広がっていった。
「青銀の魔女さま……」
「ありがとう……!」
「……ありがとう、魔女さま……!」
その声は、まだ小さい。
でも、確かにそこにあった。
◇
私は、結界の状態を確認していた。
第一班、正常。
第二班、正常。
第三班、少し魔力が減ってる。
……よし。
追加で補おう。
「……セリス」
ネスラさんが、隣に立った。
「はい!」
「……避難路、維持できてる」
「はい!」
「……避難民も、順調に移動してる」
「よかった……!」
私は、ようやく少しだけ息を吐いた。
でも、まだ終わっていない。
街道の先には、避難を待つ人たちがいる。
森の奥には、アルディスさんがいる。
そして、魔物たちは、まだ押し寄せてくる。
「……ネスラさん」
「……何?」
「この結界、皆さんだけでも維持できますか?」
ネスラさんは、少し考えた。
「……今のままだと、難しい」
「……ですよね」
「……でも、各班の結界は維持できる。追加の魔力配分を、僕たちで分担すれば……」
「……!」
私は、顔を上げた。
「できますか!?」
「……時間はかかる。でも、できると思う」
私は、思わず笑った。
「……よかった!」
ネスラさんが、こちらを見る。
「……セリス」
「はい!」
「……アルディスのところ、行きたいんでしょ」
私は、少しだけ目を見開いた。
……やっぱり。
分かっちゃうんだ。
「……はい」
ネスラさんは、静かに頷いた。
「……なら、準備しよう」
私は、もう一度結界を見た。
青銀の光が、街道に沿って伸びている。
その内側を、人々が歩いている。
……守れてる。
今は、ちゃんと。
私は、胸の前で拳を握った。
アルディスさん。
……もう少しだけ。
待っててください。
必ず、行きます。
遠くの森で、また魔物の咆哮が響いた。
私は、その方向を見つめた。
そして、ネスラさんと一緒に、次の準備を始めた。




