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十重奏(デシメット)の止まり木  作者: 海内裏
プロローグ:油性ペンのインターホン、あるいは奇妙な扉の開け方

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エピローグ 第四章:明日(マイ)という名の境界線、あるいは二段ベッドの微睡み

『エピローグ:ガラス扉の向こう側の世界、あるいは次のノックを待つ夜に』

私のLINEに並ぶ卒業生たちのアカウントは、いつしか三桁を超えていた。その中には、他の男と交際し、あるいは結婚していった、かつての迷える羊たちの名前も多く混ざっていた。

その膨大なネットワークの網の目から、ある日、ベトナム籍の卒業生の少女ヤンを通じて、招待された。アパートの一室で行われる、同郷の友人の旦那さんの誕生日集会。

三階建ての、なんてことのない煤けたアパートのドアを開けると、そこは完全に異国の地だった。床に直に敷かれたレジャーシート。その上には、ヌクマムとスパイスの匂いを放つ、見たこともない本場のベトナム料理がひしめき合っている。

言葉は一言も分からなかった。けれど、私が土産に持ってきた地元の梅酒の一升瓶が、一瞬で彼らの心の壁を打ち砕いた。来ていたのは夫婦や若いカップルばかりのようだった、手作りのサラダを口にし、ヤンに聞いたばかりの「ンゴーン(美味しい)」と奥さん(同郷の友人)に聞こえるように言った、たまたま部屋がシンとなる瞬間に。部屋全体が割れんばかりの歓声に包まれた。

夜の十ニ時前、日付が変わる直前に、息を切らせて一人の若い女が滑り込んできた。メガネをかけ、やたらと肉感的な胸をしたその女を、皆が「マイ! マイ!」と呼んだ。主役の旦那が時計を見上げ、「明日マイが来る前に、日が変わる前に間に合ってよかった」と呟いた。

終電の時間が迫り、私はその温かな混沌から静かに身を引いた。帰り道の夜電車の窓に映る自分の顔を見つめながら、翻訳アプリを叩いて初めて知った。「マイ」とは、ベトナム語で「明日」という意味の言葉なのだと。日付が変わる境界線に、滑り込んできた「明日」。それはひどく詩的な、夜の奇跡のようだった。

その「明日」から、後日、切実な相談が届く。ヤンに呼び出されベトナムカフェに行くと、そこにはマイの姿が。日本に来て半年、日本語学校と住居を斡旋する悪質なブローカーに騙され、アパートを追い出されかけているのだという。保証人になってほしいという、日本語学校から紹介された不動産屋には日本人の保証人が必須と言われたらしい。保証人にはなれないが、保証人会社と契約して借りれる不動産屋をともにまわることにした。拙い日本語の彼女を連れて、私は何日も朝から内見の旅に出た。

彼女たちの条件は、日本の不動産常識からは少し違っていて、風呂やトイレの別、エアコンの有無には一切興味がない。ただ、「四人でルームシェアができる広さ」それだけを求めていた。

無事に契約が済んでしばらくして、彼女たちの新しい部屋へ招かれた。冷蔵庫もない部屋で、直前にコンビニで買ってきたという、冷え切らないビール。豪華とは言えないけれど、彼女たちが差し出してくれる料理は、痛いほど温かかった。

酒が進み、同居人の少女たちが二つの二段ベッドへと離脱し、部屋が静まり返った真夜中。台所で洗い物を終えたマイが、窓の外の暗い庭を見つめながらビールをあおっていた私の背中に、そっと抱きついてきた。言葉はなかった。ただ、張り詰めた日本での生活の孤独と、それを救ってくれた私への、言葉にならない質量が背中にのしかかっていた。そのまま、私たちはマイのベッドのカーテンの向こう側へと沈んでいった。

朝、目が覚めると、視界のすぐ前に安っぽい茶色いベッドの底板があった。ベトナムのシェアハウスの、生活の匂い。不意にカーテンが開け放たれ、現実の光が差し込むと同時に、起きてきた同居人の女の子たちが無邪気にベッドへ飛びかかってきた。私はまだ夢の続きにいるような頭で、「……カイジーダイ(これはいったい何なんだ?)」と数少ない知ってるベトナム語を絞り出した。彼女たちは楽しそうに笑い声をあげ、ひとしきり部屋が賑やかになった後、嵐が去るように部屋を後にした。

残された二段ベッドのカーテンの向こう側には、再び濃密な静寂が戻ってきた。私の隣には、マイがいた。彼女はメガネを外し、少し眠たそうな、しかし吸い込まれそうなほど純粋な瞳で私を見つめ、優しく微笑んだ。言葉はもう必要なかった。私は手を伸ばし、彼女の柔らかな肌を再び引き寄せた。朝の光の中で見る彼女の肉体は、夜の闇の中よりもずっと生々しく、そして温かかった。衣服の滑り落ちるかすかな音が、静かな空間に響く。彼女の豊かな胸が私の胸に押し当てられたとき、そこには確かな命の拍動があった。

不器用だったあの日とは違い、私たちの身体は驚くほど自然に、お互いの形を求めるようにして重なり合った。彼女の耳元で漏れるかすかな息遣いや、シーツが擦れる微かな音が、まるで完璧に調律された古い楽器の音楽のように心地よく響いた。彼女の身体の奥深くへと沈み込んでいくとき、それは言葉の壁や国籍の格差といった、あらゆる不条理な現実から遠く離れた、二人だけの完璧な聖域だった。朝の光に満たされた密室の中で、私たちは何度も互いの熱を確かめ合い、快楽の波が静かに引いていくのを待った。あまりの心地よさに、私は彼女を抱きしめたまま、再び深い微睡みの中に落ちていった。

二度目に起きたとき、部屋にはマイ一人だけがいた。片言の日本語で、他の三人はもうバイトへ行ったのだと彼女は言った。日本語学校以外の時間は、法定の制限を超えて、直接手渡しの過酷な労働を昼夜問わず掛け持つのが、彼女たちの「生きるための普通」だった。四人が揃う、一週間のうちのほんの私的な聖域。彼女たちは、その最も貴重な時間に、私を呼んでくれたのだ。その張り詰めた生活の健気さと、手渡された信頼の重さに静かに感謝しながら、私は手ぶらでその部屋を後にした。

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