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半年前。
出勤の時間を少し過ぎてから、研究所にオリヴィアは到着した。
「おはようございます。オリヴィア先生、今日はどうして遅れたんですか?」
助手のリリィが聞いてくる。オリヴィアが王立学園に研究室を持てるようになった時、一人だけ雇った働き者だ。
「ちょっとね、座り込んでるおばあちゃんが居たから、荷物を持ってお家まで運んであげてたんだよ」
「またですか」
リリィは苦笑した。
「あなたは学園始まって以来の天才研究者なんですから、もっと自覚を持ってください」
「うーん、でも……」
オリヴィアは頬を掻く。
「困っている人は、やっぱり助けたくて……」
「ま、先生のそういうところは好きですけど」
会話を交わしながら準備を進めていた彼女たちは、早速研究作業に取り掛かった。
「で、早速本題なんですが、昨日先生が休みだった間に、写真機の小型化の実験を進めていました。でも鏡精石が思ったより被写体に反応してくれません」
「なるほど」
とオリヴィアは口に手を当てる。
「出力用の魔石の微調整は、どれくらい効果がありそうだった?」
「今のところ駄目ですね。0.1ミリ単位で調整してみましたが、結果は変わりませんでした」
リリィは首を振った。
「うーん、じゃあ別の箇所が原因なのかなぁ」
「かもですねぇ」
ああでもない、こうでもないと言いながら、二人は研究に没頭してく。
あっという間に夜になってしまった。「やば、もうこんな時間だ」と言いつつ、リリィは帰り支度を始める。
「あれ、先生はまだ帰らないんですか?」
オリヴィアは何やらゴソゴソと作業をしており、帰る様子を見せない。
「うん、もうちょっとやることが残ってるんだ。でもすぐ帰るよ」
「何かあるなら手伝いますが」
「だ、大丈夫だよ! 個人的なことだから」
オリヴィアは大げさに両手を振った。これを彼女に気づかれたら、また怒られてしまう。
「それならお先に」と言って帰ろうとしたリリィが振り返った。
「そういえば聞きました? スウェイン研究所の事故」
「ああ、高魔素液をこぼしちゃったってやつ? あれは……怖い事故だったね」
「私たちも気を付けないといけませんねぇ。それじゃ」
リリィは今度こそ帰って行った。
その背中を見送ると、オリヴィアはようやく作業に戻る。
彼女が行っていたのは、本来研究とは関係ない、治療魔法使いへの紹介状を書く作業だった。最近、彼女の友人の父親が、原因不明の病気になったらしい。医者にかかっても、近くの治癒魔法使いに調べてもらっても原因は分からなかった。
そのためオリヴィアは必死に伝手を辿って、腕の良い治癒魔法使いを探し、症状を確認し、治せるかどうか確認するための手紙を書いていたのだった。
それが終わると、次は出産を機に退職することになった先生へ送るための、護符作りだ。
清払石という真っ黒な魔石に、更に人が魔力を込めることによって、その能力が高まる。
安産祈願の定番だ。せっかくだから良い物をあげたい。そのためには時間をかけて魔力を込める必要がある。
彼女がこういった行動を取るのは昔からだった。面倒だと思ったことはないし、むしろ人助けは美徳だと信じて生きてきた。
その時、研究室のドアが開いて誰かが入って来た。
「オリヴィア、いるか?」
声の主を見てオリヴィアの表情は少し強張った。清潔感のあるスーツに身を包んだ、背の高い人物。彼はドミニク・コレツキー伯爵令息。彼女の婚約者だった。
ドミニクは隣に一人の女性を伴っていた。彼女のこともオリヴィアは知っている。
アビー・ベックリー子爵令嬢だ。二人は肩がくっつく距離に並んでいて、いかにも仲が良さそうである。オリヴィアの研究のスポンサーになってくれる、商会のご令嬢ということで、仲良くなったらしい。
オリヴィアは何度か「他の女性とくっつくのは止めて欲しい」と注意したのだが「すまない、オリヴィア。アビーはビジネスに必要な存在なんだ。ある程度仲を深めるのも仕事の潤滑な促進には不可欠。分かってくれ」と申し訳なさそうに言う。
仕事に必要だと言われてしまえばそれ以上言いづらい。だが毎度のことでオリヴィアはうんざりしていた。
「仕事の調子はどうだ?」
ドミニクが聞いた。
「えっとね、今は鏡精石がうまく被写体に反応してくれるように……」
「あー、詳しい話はいい」
ドミニクは手をひらひらと振る。
「要はまだ完成出来ていないんだな」
「うん……」
ドミニクは大きなため息をついた。
「それじゃ困るよ。半年後の発表会には『大きな成果を出す』とスポンサーに約束してしまったんだ。それまでに間に合わせてくれないと」
「で、でも……」
オリヴィアは上手く言葉を紡げない。
「俺が新しいスポンサーを引っ張って来たのは知っているだろう? いいか、彼らが求めているのは『結果』だ。どれだけ頑張ったかじゃない。成果の大きさなんだ」
ドミニクはまるで演説するように、身振り手振りを交えながら言う。
「うん……」
オリヴィアは頷くことしか出来なかった。
「ねえ、ドミニク、お願いがあるんだけど」
「何だ?」
「少し実家への仕送りを増やしたいの。他にも研究の材料で足らないものがあって、それも買わないといけない。だからもう少し給料を増やして欲しくて」
オリヴィアは恐る恐るといった調子で言った。
「そうか、金が必要なのか」
ドミニクは腕を組み、考える仕草をとった。
「すまない、オリヴィア」
少し間をおいてから言う。
「俺がもう少し頑張っていれば、君の給料も増やせたんだが、今の状態はこっちもカツカツなんだ。投資して新しいものを揃えているし、孤児院にも寄付を続けている。そうすると雀の涙くらいしか残らない。もし、どうしてもと言うのなら、僅かばかり残った俺の分け前を、君に分け与えることは出来るんだけど……」
「い、いや、良いよ。大丈夫だよ」
オリヴィアは慌てて首を振った。瞬間的に笑顔を見せるドミニク。
「そうか、分かってくれて嬉しいよ……おっと、もうこんな時間か」
ドミニクは腕時計を確認した。金色の盤面がきらりと光る。
「それじゃ俺は接待があるからもう行くよ。ああ、大変だ。また企業のお偉いさんたちに沢山お酒を飲まされるんだろうな。オリヴィア、君も引き続き頑張るんだよ」
「う、うん。分かった……。飲み過ぎには気を付けてね」
ドミニクとアビーは仲睦まじげに会話を交わしながら出て行った。




