第9話 旅のはじまり ~入り江の静寂と海の呼吸~
三人――ヒカル、弁、嵐は、
叔父の凪人に連れられ、村から少し離れた入り江へ向かっていた。
山道を抜けた先で、視界が開ける。
その瞬間。
三人は思わず足を止めた。
昼間に見慣れた海とは、まるで違っていた。
波は静かに寄せては返している。
それだけのはずなのに――。
入り江全体が、
静かな水の底に沈んでいるようだった。
風は止まり、木々の葉すら揺れない。
世界から音がひとつ消えてしまったような静けさだけが、そこにある。
凪人は、その空気を確かめるように静かに歩き出した。
砂を踏む足音だけが、小さく響く。
だがその歩幅は、
どこか海のリズムと重なっているようにも見えた。
「ここが、お前たちの修行の始まりだ」
弁は背筋を伸ばし、真剣な眼差しで海を見つめる。
嵐は一歩前へ出て、隠しきれない期待を浮かべていた。
ヒカルだけが、胸の奥に広がる不安を抑えきれずにいる。
凪人は静かに海を指した。
「海は優しい。
だが同時に、容赦なく牙をむく」
低い声が、波の音へ溶けていく。
「お前たちが学ぶのは、“力”じゃない」
そして、わずかに目を細めた。
「――海と、どう向き合うかだ」
三人は黙って海を見つめた。
凪人が続ける。
「まずは、“呼吸”を感じろ」
「呼吸……?」
嵐が眉をひそめる。
凪人は答えない。
ただ波打ち際へ顎を向けただけだった。
ヒカルはそっと海へ近づく。
寄せては返す波が、足元を濡らした。
冷たい。
なのに、どこか温かい。
胸の奥で、何かが脈打った気がした。
ヒカルは思わず顔を上げる。
――ドン ドン……
波が返す音と、自分の鼓動が重なったように感じる。
「なんだか……怖いな」
思わずこぼれた声に、嵐が笑った。
「ヒカルは相変わらず臆病だな」
そう言って肩を軽くつつく。
その瞬間だった。
「ひゃっ……!」
裏返った声を上げたのは嵐だった。
弁が足元を見下ろし、淡々と言う。
「海藻だな」
ひょい、と拾い上げて見せる。
ヒカルは思わず吹き出した。
「なんだよその顔!」
嵐が顔を赤くする。
「ヒカルの緊張をほぐしてやったんだ!」
「絶対違うだろ」
弁が静かに突っ込み、三人の間へ笑い声が広がった。
張りつめていた空気が、少しだけほどける。
幼なじみらしい距離感が、
静かな入り江に小さな灯のように揺れていた。
やがて三人は、再び海へ向き直る。
「弁、何か聞こえるか?」
嵐が尋ねる。
「波の音だけだ」
弁は真顔のまま答えた。
ヒカルは何も言わない。
ただ波の音へ、静かに耳を澄ませていた。
――ドン……
――ドン……
その瞬間。
自分の呼吸が、ふっと軽くなる。
「あ……」
かすかな声が漏れた。
凪人の視線が静かにヒカルへ向く。
だが、何も言わない。
ヒカルだけが感じていた。
海の奥で、
何かが静かに息をしている。
それはまだ言葉にならない。
けれど確かに――。
海は、“生きている”ように感じた。
※掲載しているイラストはAIを用いて制作しています。
キャラクターや情景のイメージは作者が考案し、描画はAIによるものです。




