短編:【拡散】
その夫婦は、調停室に入ってくるなり、三脚を立ててスマートフォンを設置した。
夫は派手な色のパーカーを着てカメラに向かって叫び、妻は完璧なメイクを施した顔を斜め四十五度から自撮りしている。
「はいどうもー! 今日はなんと、噂の『離婚調停員』を自宅に呼んでみた検証動画でーす!」
「皆さんこんにちは。今日は私の人生の『新しいステージ』への決断を、皆さんとシェアしたいと思います。#離婚 #新しい私 #人生一度きり」
今回の調停員は、銀縁の眼鏡をかけた、極めて地味な男だった。彼はレンズに映らない位置に立ち、事務的に告げた。
「お二人のご要望は、『最も世間の注目を集める形での関係解消』でよろしいですね」
夫婦はカメラから目を離さずに頷いた。
「そう! 普通の離婚なんて誰も見ないからね。世界中が度肝を抜くような、究極のバズりが見たいんだよ!」
「私を世界一不幸で、世界一美しい悲劇のヒロインにして。フォロワーが一晩で百万人は増えるような、そんな終わり方を」
調停員は銀色のアタッシュケースから、金色のUSBメモリのようなものを取り出した。
「承知いたしました。当方には『全自動拡散・編集機』がございます。これを使えば、お二人のこれから数分間の出来事は、世界中のあらゆる画面に、強制的に、最優先で表示されます」
夫婦の目が、欲望でぎらりと光った。
「最高じゃないか! さあ、何をすればいい? 派手な罵り合いか? それとも財産の奪い合いか?」
調停員は静かに首を振った。
「いいえ。ネットの世界で最も耳目を集めるのは、『真実の姿』の曝露です。お二人がこれまで加工し、隠し、塗り固めてきたすべてを、完璧な数値として『可視化』させていただきます」
調停員がスイッチを押した瞬間、部屋の中に無数のホログラムが浮かび上がった。
それは、夫が動画のネタ作りのために隠れて借金を重ねている預金残高であり、妻が「いいね」を買うために夜な夜な他人の投稿に誹謗中傷を書き込んでいるログだった。
「ちょ、待てよ! それは映すな!」
「消して! 私のイメージが壊れるじゃない!」
しかし、調停員の指は止まらない。
「完璧な公平とは、隠し事をゼロにすることです。さあ、次は肉体的な加工を解除しましょう」
金色の光が夫婦をなぞった。
夫のパーカーの下の贅肉が、妻の厚化粧の下の荒れた素肌と深い隈が、一切の補正なく全世界へライブ配信されていく。
さらには、二人がカメラの裏で交わしていた「お前なんて再生数のための道具だ」「あんたの顔はもう飽きられた」という、一切の編集がない、醜悪で生々しい罵声の記録が最大音量で再生された。
全世界の画面には、加工を剥ぎ取られ、醜い本性を晒してのたうち回る二人の姿が映し出されている。
視聴者数は、かつてない勢いで跳ね上がっていった。
「ああ……あああ! 止めてくれ! こんなの、僕の求めたバズりじゃない!」
「フォロワーが……フォロワーがどんどん減っていく……やめて!」
調停員は、カメラの向こう側を、冷たい目で見つめた。
「いいえ、視聴者数は過去最高を記録しています。お二人の願い通り、全世界があなたたちの『終わり』を凝視していますよ」
やがて、夫婦は恥辱のあまり言葉を失い、床に崩れ落ちた。
調停員は静かにカメラのスイッチを切った。
「調停完了です。お二人は今、この瞬間をもって、全世界から完全に『消費』され尽くしました。もう誰もお二人を検索することはないでしょう。社会的な死という、最も公平な分断でございます」
静まり返った部屋には、バッテリーの切れたスマートフォンの黒い画面だけが、虚しく二人を映していた。




