短編:【天国】
その夫婦は、調停室の椅子に身を寄せ合って座っていた。
互いの指を固く絡ませ、見つめ合う瞳には、深い慈しみが湛えられている。離婚調停という場所には、およそ不釣り合いな光景だった。
「相談というのは、他でもありません」
夫が、悲しげに口を開いた。
「私たちは、愛しすぎているのです。いつか訪れる死が、二人を分かつことが耐えられない。どちらかが先に逝き、残された方が孤独に苛まれるくらいなら……」
妻が、その言葉を引き継いで潤んだ瞳で言った。
「いっそ今この瞬間に、永遠に一つになりたいのです。それが私たちの望む『円満な解決』です」
今回の調停員は、若い男だった。彼は清潔な白衣を纏い、手術灯のような眩しい光の下で、穏やかに微笑んだ。
「実に見事な愛の形です。当方としても、その純粋なご希望を無下にはいたしません」
男は銀色のアタッシュケースから、虹色の液体が入った二本の注射器を取り出した。
「これは、細胞の境界線を融解させ、再構成する特殊な薬剤です。これを用いれば、お二人は文字通り、一つの生命体として統合されます。神経も、血管も、意識さえも、完璧に分かち合うのです」
「ああ、素晴らしいわ」
二人はためらうことなく腕を差し出した。
薬剤が注入されると、二人の輪郭が陽炎のように揺らぎ始めた。肉体が溶け合い、皮膚が融合し、心臓の鼓動が重なっていく。
やがて、手術台の上には、一つの巨大な「繭」のような塊が横たわった。
その内側からは、二つの声が重なった、至福に満ちた溜息が漏れる。
「……ああ、感じるよ。君のぬくもりを。僕たちの境界線が消えていく……」
「ええ、私も。あなたのすべてが、私の中にあるわ……」
しかし、その至福の合唱は、不意に、鋭い痛みの呻きへと変わった。
「……あ、あつい。胸の奥が、何かに焼かれるように痛む」
一つになった意識の中で、夫が驚愕の声を上げた。
調停員は、手元のモニターを淡々と眺めながら、補足した。
「おっと、説明を忘れておりました。完璧な統合とは、保有するすべての情報を共有することを意味します。――奥様、あなたは夫に黙っていたようですね。ご自身の肺にある、末期の癌細胞のことを」
繭が、苦悶に激しく波打った。
「あ……ああ、ごめんなさい。あなたに心配をかけたくなくて……でも、もう大丈夫。私たちは一つだもの」
調停員は、冷徹な手つきで統合の進捗率を百パーセントに固定した。
「おっしゃる通りです。癌細胞もまた、平等の原則に従い、今この瞬間に『共有財産』となりました。夫側の健全な細胞を餌に、分かち合われた死の種子は、通常の二倍の速さで全身を蝕むでしょう」
繭の中から、もはや誰のものともつかぬ、絶叫と嗚咽が混ざり合った音が響く。
「熱い! 苦しい! 離して、誰か、私を……僕を切り離して!」
「それはできません。統合は不可逆です」
調停員は手術灯を消し、静寂の中に立ち尽くす巨大な肉の塊を見つめた。
「死が二人を分かつのがお嫌だというので、死そのものを共有していただきました。これでもう、一秒のズレもなく、お二人は同時に終わりを迎えることができます。……これ以上の円満な解決が、他にあるでしょうか?」
暗闇の中、一つの鼓動が、激しく、そして次第に弱々しく、二人分(一人分)の苦痛を刻み続けた。




