『夢の墓標』第5話:【托卵の箱庭】
そのリビングには、奇妙にうっとりとした空気が流れていた。
夫の健一は、妻の美沙が別の男と親密に連絡を取り合っているのを知りながら、あえてそれを追求しなかった。それどころか、彼女が夜遅く帰宅するたびに、胸の奥で疼く「自分の大切なものが汚される」という倒錯した高揚感に浸っていた。
「いいんだよ、美沙。君が誰と何をしていようと、最後に帰ってくる場所がここなら……。僕はそれを見ていたいんだ」
対する美沙は、健一のその性質を冷酷に利用していた。彼女の腹の中には、すでに別の「強い男」の種が宿っている。
「ええ、健一さん。あなたのその寛大さが、私を一番自由にしてくれるわ」
彼女が夢見ていたのは、最も優れた遺伝子を別の男から奪い、それを最も従順な養育者である健一に育てさせるという、完全なる「生命の勝利」という夢だった。
調停員は、まだ赤ん坊のいないベビーベッドの傍らに、影のように立っていた。
今回の「彼」は、真っ白な産婦人科医のような格好をしていたが、その手元にあるカルテには、家系図を食い破る害虫のような文様が刻まれていた。
「自己犠牲による快楽、および血統の搾取。……お二人の欲望は、一見すると見事に噛み合っている。当方が、その夢を物理的な『現実』として固定して差し上げましょう」
調停員が取り出したのは、二つの、絡み合う蛇の形をした「銀のバングル」だった。
「宿縁の鎖。これをお二人の手首に。これで、お二人の望む『托卵』と『寝取られ』は、逃れられない運命として永久にループいたします」
バングルを装着した瞬間、美沙の腹部が不自然な速度で膨らみ始めた。
しかし、産まれてきたのは、人間の赤ん坊ではなかった。それは、絶えず姿を変え、誰の面影も持たない「異形の概念」だった。
「な、なんだこれは……。僕の子じゃない、いや、誰の子でもない……!」
健一は恐怖に震えながらも、その異形のものから発せられる「自分を徹底的に否定するオーラ」に、かつてない強烈な寝取られの快感を感じ、その場に崩れ落ちた。
「おめでとうございます、健一様。この子は一生、あなたを父親とは認めず、あなたの存在を徹底的に辱め続けます。あなたの望んだ『拒絶』の完成です」
一方で、美沙は悲鳴を上げた。
その異形の子供は、彼女から母性や栄養だけでなく、彼女がこれまで誘惑してきた男たちとの「思い出」や、彼女自身の「美貌」までもを、文字通り根こそぎ吸い取り始めたのだ。
「やめて! 私の価値が、全部この子に吸い取られていく……!」
「おめでとうございます、美沙様。あなたは最強の遺伝子を宿した。……しかし、托卵の掟は『産んだ親をも食い破る』ことにあります。あなたは一生、この子に全てを奪われ続けるだけの『器』へと成り下がったのです」
調停員は、異形の子供を抱きかかえる健一と、骨と皮ばかりになっていく美沙を見下ろした。
「一人は奪われることに悦びを感じ、一人は奪うことに執着した。ならば、永遠に奪い、奪われ続けるこの子が、お二人にとって最高の『夢の結晶』でございます」
調停員が部屋の明かりを消すと、そこには、自分を父親とも思わない化け物を愛おしそうに育てる男と、その隣で絶叫しながら衰えていく女の、地獄のような「理想の家庭」が完成していた。




