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08【武林】上

挿絵(By みてみん)

(本作の表紙イラストです!)

 ハイゼンベルクは燕のように身軽だった。「鷂子翻身ようしほんしん」で身を翻し、「草上飛そうじょうヒ」で駆け抜け、軽く地面を蹴って「旱地抜葱(かんちバッソウ/地面から葱を引き抜くように垂直に跳ぶ)」の技で、一躍洛陽の城壁に降り立った。


 「やはり若者の肉体はいいな」ハイゼンベルクは感嘆した。「おや? 待てよ、わしはもう六十過ぎだぞ。どうして肉体が若返っているんだ?」彼はすぐに自分が夢の中にいることに気づいた。少しがっかりしたが、せっかくの武侠世界だ、存分に楽しむことにした。


 空に曙光が差したばかりだが、洛陽の街には鶏の声が響き渡り、人々の一日が始まっていた。ハイゼンベルクは全力疾走したので体が火照っていた。どこかに座って茶でも飲みたい。見ると、すぐ先の角に茶店の暖簾が風に揺れているではないか。


 周囲には人々が集まり始めていた。仕事へ急ぐ者、露店を出す者、市場も活気づいてきた。ハイゼンベルクはゆっくりと歩いた。世を驚かすような武功を見せびらかしたくはない。真の達人とは常に謙虚なものだ(心の中ではニヤついているが)。


 店小二(給仕)が席へ案内してくれた。二階の窓際にある八角テーブルは眺めが最高だ。これもハイゼンベルクの特注だ。銀貨を一錠テーブルに投げると、店小二は甲斐甲斐しくテーブルを拭き、茶を淹れ、焼餅シャオビンと油條(揚げパン)を運んできた。


 ハイゼンベルクは手酌で茶を注いだ。磁器の茶碗を握りしめ、少し力を込めて粉々に砕いてみたくなったが、深呼吸して思い留まった。「目立ってはいかん、目立っては」


 茶を一口啜り、周囲の景色を楽しんだ。向かいの赤い大門には「銀鈎賭坊ぎんこうとぼう」と金文字で書かれた額が掛かっている。朝っぱらから営業しているようだ。賭場のオーナー、**陸元嗣ルー・ユエンスー**が入り口に立ち、ひっきりなしに訪れる客を呼び込んでいる。噂では、夜になると入り口に二つ、屋内には三十もの「気死風灯(風よけのランタン)」が吊るされ、昼間のように明るくなるという。おかげでイカサマをする者がおらず、賭けの品質が保証されているため、客足が絶えないらしい。


 ハイゼンベルクは「十賭九輸(賭博は十中八九負ける)」の理を知っている。彼の興味を引いたのは、入り口に立つ二人の用心棒だ。こめかみが盛り上がっている。一目で内功の達人と知れた。今の自分の武功がどれほどか試してみたい衝動に駆られた。


 視線を転じると、市場にも人が集まり、冰糖葫蘆(りんご飴のような菓子)売りも現れた。「チリンチリン」遠くから道士の鈴の音が聞こえる。片手に「鉄口直断(的中率百パーセント)」と書かれた旗を持ち、その横には「王景基ワン・ジンジー、天機を漏らす」と書かれた細長い布がなびいている。


 もちろん、今のハイゼンベルクは測字師ではなく武林の達人だ。なんとなく「立場逆転」の痛快さを感じた。


 突然、大勢の人が一階に押し寄せた。好奇心に駆られてハイゼンベルクも降りてみると、飛脚の**顔清浩イェン・チンハオ**だった。彼の仕事は各都市の宿場(駅站)を行き来することだ。長安、江南、蜀中、果ては数年おきにシルクロードまで行くという。大陸の南北を駆け巡った彼の見聞は伊達ではない。


 交通の便が悪いこの時代、軽功を使っても都市間の移動には数ヶ月かかる。宿場の早馬を使えば早いが、馬車のような快適さはなく、馬上で揺られ続ける苦行だ。しかも早馬は緊急時でも簡単には利用できず、官吏や飛脚だけが使える特権だった。


 洛陽の民の多くは家から出ない生活を送っているため、「遠方より友来る」は人生の一大事だ。他所の奇聞異説を聞きたければ、顔清浩の早馬ニュースに限る!


 顔清浩は大スターのように群衆に囲まれていた。彼も噂話が好きで、これを第二の商売にしていた。町に着いて数日の休息がある間、茶館で語れば、茶代は誰かが払ってくれるし、ご祝儀もたっぷりもらえる。彼にとっても聴衆にとってもウィンウィンの関係だ。


 「天下の武林盟主の選抜だが、各地の英雄豪傑の推奨により、洛陽で開催されることに決まった! 近いうちに洛陽は大賑わいになるぞ」顔清浩はそう言うと、大きな茶碗を飲み干し、テーブルの上の投げ銭を回収した。


 この話はハイゼンベルクの興味も引いた。多くの投機家がビジネスチャンスを嗅ぎつけたことだろう。参加者の数だけでなく、見物人も多い。人がいれば物は売れる。「洛陽の紙価を高める(ベストセラーの意)」と言うが、高騰するのは紙だけではないだろう。


 「武林盟主の条件は、当然ながら人徳があり、各派の調停を行い、江湖の平和を守れる者だ」顔清浩は続けた。「だが、みんな刀の切っ先で飯を食ってる連中だ。武功が強くきゃ、誰も服従しないだろ?」みんな笑った。


 勘のいい者たちは話の裏を察した。案の定、顔清浩は続けた。「だから今回は、各派が人材を推挙し、武術大会で勝者を決めることになった」


 群衆はどよめいた。面白い見世物になりそうだ。その後、顔清浩は「達人の勝負は一瞬で決まる、怪我人が出るのは良くない」とか、「南拳の**洪彬峰ホン・ビンフォンと北腿の烏岑香ウー・ツェンシャン**は普段から反目し合っているが、大会でどうなることやら」といった話を続けたが、真剣に聞く者は減っていった。


 ただ、烏岑香の話題になると、話は彼女を中心に回り始めた。「元々絶世の美女だが、『七十二路石榴裙裏腿(スカートの中の足技)』を練成してからは、その脚線美に磨きがかかった。彼女に倒されるだけでなく、その脚にひれ伏す男も多いだろう……」


 ハイゼンベルクはくだらないと思い、席を立った。背後からは下品な笑い声が聞こえてくる。よく考えれば、この世界に来てから自分には身に覚えのない武功が備わっている。どこの流派かは知らないが、こんな夢を見たからには、武林盟主にならなければ男が廃るというものだ。


 流派を自作してどこかに申請するのか? それとも道場破りをして、看板を山ほど大会に持ち込んで実力を証明するのか? それとも野次馬根性で、このまま終わらせるか?


 「このまま終わらせてたまるか」ハイゼンベルクは豪快に笑い、飛び出した。肉体が若返ったせいか、性格も猪突猛進になっている。どうするかは、その時考えればいい!


 あっという間に洛陽に戻ってきた。洛陽最大の武林の名門といえば、金刀門の王家だ。かつて蔵剣山荘の**謝小鈴(シェ・シャオリン/妻アーリンの武侠版?)**と戦い引き分けたが、それが縁で親戚となり、数十年の争いに終止符を打ったという。


 金刀門はさすがに立派だ。一対の石獅子が鎮座し、朱塗りの大門には金龍のドアノッカーがあり、扁額には龍が舞うような字で「金刀門」と書かれている。ハイゼンベルクはノッカーを三回叩いた。


 「どなたかな?」老人が門を細く開け、顔半分だけ覗かせた。  態度は横柄だが、ハイゼンベルクは動じず、胸を張って言った。「道場破りだ」


 「道場破り? 新入りか?」老人は鼻で笑い、横の通用門を指差した。「あっちに並びな」


 見ると長蛇の列ができていた。なんと道場破りは整理券制で、一日限定十五名、挑戦料五十両が必要だという。暇人が早朝から並んで整理券を取り、金持ちの挑戦者に高値で転売している。整理券はすでに二百両に高騰しており、金刀門の人間も転売に加担しているかもしれない!


 これが名門のやることか? ハイゼンベルクは夢でさえこれなら、現実はもっと残酷だろうと嘆いた。この道は無理だと悟り、意気消沈して去った。


 東市を抜け、大通りを歩く。日は傾き、家路を急ぐ人々が無言で通り過ぎていく。ハイゼンベルクの悠長な歩みとは対照的だ。


 突然、遠くから悲惨な叫び声が聞こえた。甲高く、泣き混じりの声だ。拷問でも受けているかのように絶え間ない。豚を殺す時くらいしか聞かないような惨叫だ。


 聖賢の書を読むのは何のためか? 経世済民のためだ。では武を学ぶのは何のためか? 強身健体以外に、弱きを助け強きを挫くことこそ侠客の本分だ。


 ハイゼンベルクは声のする方へ飛んだ。「凌波微歩りょうはびほ」で玄関に着き、「梯雲縦ていうんしょう」で屋敷に飛び込んだ。


 だが目に入ったのは、子供のしつけの現場だった。母親が籐の鞭を持ち、地面を転げ回る少年の尻を叩いている。


 「こんな成績でよく遊びに行きたいなんて言えるわね! 冰糖葫蘆ですって?」この母親は林如珍リン・ルージェン、近所で有名な教育ママだ。


 「もう打たないでよぉ!」少年は頼融誉ライ・ロンユー、有名な悪ガキだ。「僕が末っ子だからって厳しすぎるよ! 兄ちゃんたちは働いてていないからって、僕に八つ当たりしないでよ! 痛いよぉ!」


 清官も家庭の事情は裁き難い。ハイゼンベルクはどうすべきか分からず、熱い血が一瞬で冷めた。今日はサウナのように感情の起伏が激しい。まあ夢だから何でもありだ。


 「そこの男!」林如珍は見知らぬ男が庭に立っているのに気づき、鞭を突きつけた。「誰だい? 人の家の庭で何してるの?」


 ハイゼンベルクはため息をついた。「私は勇者だ。ただの通りすがりだと言ったら、信じるかね?」


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