第四十六話
「で、どうすんだ。泳がせるのか?」
そのつもりでしたが、こうなっては話が変わってきますね。私たちは時間をかけて証拠を確実に押さえたい。けれど、そうすれば被害が増えていく。最悪の二択です。全体のことを考えれば、今は留まるべきです。確実に押さえ、二度とこのようなことが起こらぬように。けれど、それまでの間で起きる被害を見捨てる選択を、私は採る気になれない。
被害に遭っている人たちの気持ちが分かってしまう。だからこそ、見捨てる選択を取れない。最善を取るべき。分かっています。けど……!
自分が被害者の立場になったとき、見送ると知ったら裏切られた気持ちになる。何故助けてくれないのだと。何故見捨てるのだと。暗い部屋に閉じ込められて、助けを待つ孤独を知っている。だからこそ、選びたくない。どちらか決めることができない。けれど、私が解決しないといけません。どちらかを選ばなければ、どちらも救えない。
「まぁ、焦らなくてもいいでしょ。もう黒幕も分かってるんだろう?」
「そうですが……」
「小より大を取る。政治の基本だよ。目先のことばかり考えてると、あそこみたいに失敗する。それで国が一つ消えてるのは君も知ってるだろう」
今起きる被害には目を瞑れ。頭では分かっているつもりなんですけどね。
手に力がこもる。こういうときに、無力で何もできない自分が本当に嫌いです。魔術師のくせに、こんなことも解決できない。私は、何も変われていない。
沈黙とは、こんなにも苦しく痛いものなのですね。いつもならこういうとき、ルーチェが話を変えてくれます。シグニが大丈夫だと言ってくれます。それがどれだけ励みになっているか、こんなときに知るのですね。
「おじ様、お迎えに来ましたよ」
どうやらパーティーが終わったようで、お母様の声が聞こえてきます。ノックされ、部屋に入ってきたお母様。どこか楽しそうな笑顔を浮かべています。何かいいことがあったんですかね。
「暗い話は終わりにして、行こうか」
「え、あの、どこに……」
説明もされずに【時守】様に背中を押され、部屋を出ます。どこに向かうのかと思えば、そこはあまり使われていない庭園でした。
手入れはされているものの、人が多く通る中央庭園よりは寂しげで、花も咲いていません。けれど、青く茂る草木だけのこの姿も、悪くはないです。
暗い夜は苦手です。けれど、夜の静けさは好きです。……なんて、矛盾していますかね。けれど、私は暗いのが苦手であって夜は好きなんです。いつだって、夜は私たちを照らしてくれますから。
庭園の中にはシグニやルーチェ、お父様もいました。
「お久しぶりですね。おじ様」
「久しぶりだねぇ。はじめての子もいるけど」
「……おい、聞いてねぇぞ」
エルピス伯爵令嬢を見て、【幻音】様は露骨に顔を顰めます。私たちだけだと思っていたからなのでしょう。けれど、それにしては嫌がりすぎです。
「我慢しなよ。ルーチェは大丈夫なんでしょ?」
「俺はいまだにあいつの正気を疑ってんぞ」
なんの話かは分かりませんね。【幻音】様がルーチェとできるだけ距離を取っているのは知っていましたが、どうしてなのかは知りませんね。
私は大丈夫なのにルーチェはダメ。何が違うんでしょうか。双子ですし、見目も瓜二つ。異なるのは性格と魔力量程度。他は一緒なのに。
「……ルシア」
「はい?」
お父様に声をかけられて振り向くと、身体に重みが増します。大きい身体に、確かな温もり。お兄様と同じ、漆黒が視界に入り込みます。
お父様に抱きつかれたのだと気づくのに、時間がかかりました。頭を抱えられて、優しく、それでいて強く抱きしめられている。
何故そうなっているのか、ルーチェたちも困惑しています。お父様はこうしたことをなされない方です。皇帝として、自分にも周りにも厳しいお方。抱きしめてもらったのも、幼い頃の数回きり。魔術師になったときですら、「そうか」の一言で終わりました。
「お父、様……?」
「……無事で、よかった」
……あぁ、なんだ。
ルーチェが言っていました。お兄様は冷たいのではなく、私たちを危険から遠ざけるために冷たく接しているのだと。不器用な方なのだと。
今のお父様には、為政者としての威厳も、自他に厳しい人間の面影もありません。一人の親として、子を大切にしている人間。
抱きしめる腕は力強く、少し痛いです。けど、今は何故か、それが嬉しい。
お父様を抱きしめ返すと、身体が僅かに跳ねます。そうされるとは思っていなかったのでしょう。
懐かしい温もりです。昔、よく抱きしめてもらっていました。人の温もりがほしくて、夜に怯える私を、お父様がこうして抱きしめて、眠らせてくれていました。
やらねばいけないことは山ほどあります。けれど、今このときだけは、それを忘れたい。今だけは、皇帝と皇女ではなく、父と子でありたい。




