第二話 カンガルーの尻尾 前編
第二話 カンガルーの尻尾 前編
「じゃあ、次は胴体だね」
シラメ博士が言った。
腕、そして脚。
同じカンガルーメモリーでも、装着する部位によって現れる特徴は大きく違っていた。
腕ならパンチ力を中心とした近距離戦闘。脚なら、ノミほどではないものの高い跳躍力を持ち、ヒクイドリほどではないものの強力な蹴りを使える。
どちらか一方に特化しているわけではない。その代わり、跳躍と蹴りを一つの部位で両立できる。
特に空手を使う紀人にとって、脚への装着はかなり扱いやすいことも分かった。
そして次に試すのは、まだ一度も使ったことのない胴体だった。
紀人は手の中のカンガルーメモリーを見る。
「博士、さっき尻尾が重要だって言ってましたよね」
「うん。カンガルーの尻尾は、ただ後ろについているだけじゃない。身体を支えるための重要な部位なんだ」
「身体を支える?」
「特に強力な後脚を使う時だね。尻尾も使って身体を支えることで、蹴りの反動を受け止めたり、姿勢を安定させたりできる」
東が紀人を見る。
「ということは、胴体に入れれば尻尾が出る可能性が高い?」
「僕はそう予想してる」
「じゃあ、試してみます」
紀人はカンガルーメモリーを胴体へ装着した。
◇
変化は胸から腹部、そして背中へと広がっていった。
やがて腰の後ろから、太く長い尻尾が伸びる。
「……本当に出た」
紀人は身体をひねり、自分の後ろを確認した。
東も少し離れた位置から眺める。
「かなり立派ね」
「思ってたより大きいですね」
紀人は後ろへ手を伸ばしかけて、止まった。
「……これ、どうやって動かすんです?」
シラメ博士が首を傾げる。
「僕に聞かれても、僕にも尻尾はないからね」
「ですよね」
「とりあえず、動かそうとしてみたら?」
「そんな簡単に――」
言いながら、紀人は尻尾を右へ動かすつもりで意識した。
すると尻尾は、まるで以前からそこにあったかのように滑らかに右へ動いた。
「……あれ?」
今度は左へ。
続いて上、下。
どれも思ったとおりに動く。
紀人は何度か尻尾を動かしてから、東とシラメ博士を見た。
「普通に動きます」
「普通って何?」
東が思わず聞き返した。
「いや、何て言えばいいんだろう。最初から身体についてたみたいな感じです」
紀人は前を向いたまま、尻尾を少し持ち上げた。
「今、これくらい上がってますよね?」
「ええ」
「見なくても分かります」
シラメ博士の表情が変わった。
「違和感は?」
「ほとんどないです」
「尻尾の先がどこにあるかも?」
「分かります」
紀人は後ろを見ないまま、尻尾を左右へゆっくり動かした。
まるで腕や脚と同じように、自分の身体の一部として位置を把握できている。
シラメ博士はすぐに記録を始めた。
「これは面白いな。本来、人間には存在しない部位が追加されてるのに、紀人くんは最初から位置も動かし方も認識できてる」
「言われてみれば変ですね」
紀人も改めて自分の尻尾を見る。
生まれてから一度も尻尾など持ったことはない。
それなのに、どう力を入れれば動くのか、どこにあるのか、考えるまでもなく分かる。
「メモリーによって身体が変化する時、形だけじゃなくて、その部位を使うための感覚まで一緒に与えられている可能性がある」
「じゃあ、今後ほかのメモリーで人間にはない器官が追加された場合も、同じように使えるかもしれない?」
東の問いに、シラメ博士が頷いた。
「十分あり得るね。もちろん、その都度確認は必要だけど」
「……便利だな」
紀人はすでに尻尾を自在に左右へ動かしている。
東が少し笑った。
「順応するの早すぎない?」
「動くんだから仕方ないじゃないですか」
◇
「じゃあ、本来の使い方を試そう。紀人くん、尻尾を地面につけてみて」
シラメ博士に言われ、紀人は太い尻尾を後方へ伸ばした。
地面につけ、少しだけ身体を後ろへ預ける。
その瞬間、紀人の表情が変わった。
「……お。これ、かなり安定しますね」
両脚に加えて、後方にもう一つ大きな支点ができている。
身体を左右へ動かしてみても、普通に立っている時より明らかにぶれにくい。
「カンガルーが強力な後脚を使える理由の一つだね。尻尾を第三の支点として使うことで、身体を安定させられる」
紀人はその状態から片脚を持ち上げてみた。
姿勢はほとんど崩れない。
「これ、片脚上げてもかなり安定してます」
さらに身体を後ろへ預ける。
尻尾がしっかりと地面を捉える。
紀人はゆっくりと両脚を前へ出してみた。
完全に浮かせ続けるわけではない。それでも、一瞬なら両脚を同時に自由にできる。
東が気づいた。
「両脚を攻撃に使える?」
「使えそうです」
シラメ博士も頷く。
「尻尾が後方の支点になるからね。カンガルーが両脚で蹴るような動きにもつなげられる」
紀人は一度姿勢を戻した。
「なるほど……尻尾って、かなり重要なんですね」
「見た目以上にね」
「ただの飾りじゃないのね」
東も納得したように頷いた。
◇
紀人は今度は尻尾を地面につけたまま、空手の構えを取った。
軽く片脚を上げ、そのまま蹴る。
強くはない。
動きを確認する程度だ。
それでも紀人は、すぐに違いを感じた。
「さっき脚にカンガルーを入れた時とは、全然違いますね」
「どう違うの?」
東が聞く。
「脚そのものが強くなってる感じはないです。当然ですけど」
カンガルーメモリーは胴体に入っている。
脚は紀人自身のものだ。
「でも、蹴った時に身体が後ろへ流れにくい」
シラメ博士が頷く。
「反動を尻尾でも受け止めてるんだろうね」
紀人はもう一度蹴る。
今度は少しだけ強く。
身体の軸がぶれにくく、蹴った脚を戻すのも早い。
「これ、かなり蹴りやすいですよ」
「脚を直接強化してるわけじゃないのに?」
「はい。身体が安定してるから、思い切って蹴れます」
東が少し考える。
「ということは、胴体へのカンガルーは単体で使うより……」
「他の脚メモリーと組み合わせた方が面白いかもしれない」
シラメ博士が続けた。
紀人が止まる。
そして、自分の脚を見る。
「……あ」
東がその顔を見る。
「何?」
「今、カンガルーは胴体に入ってるんですよね」
「そうだよ」
「だったら、脚は空いてる」
シラメ博士も紀人の脚を見る。
二人の視線が合った。
紀人が言う。
「ここにヒクイドリを入れたら、どうなります?」
一瞬、シラメ博士が黙った。
そして、明らかに目が輝いた。
「やってみよう」
東がすぐに博士を見る。
「ちょっと待って。今、急に楽しそうにならなかった?」
「研究だからね」
「さっきより明らかに声が弾んでたけど」
「気のせいだよ」
その横では、紀人がすでにヒクイドリメモリーを手にしていた。
「やっていいですか?」
「紀人くんまで……」
「気になるじゃないですか」
東は二人を見比べてから、ため息をついた。
「……壊さないでよ?」
シラメ博士が首を傾げる。
「何を?」
「何もかもよ」
◇
胴体にはカンガルー。
脚にはヒクイドリ。
二つのメモリーを組み合わせる。
紀人の脚部が変化し、強力な蹴りを生み出すヒクイドリの脚となった。
腰の後ろには、カンガルーの太い尻尾が残っている。
紀人は軽く脚を動かした。
「いけそうです」
「まずは尻尾を使わずに蹴ってみよう」
シラメ博士が測定機器を準備する。
「はい」
紀人はヒクイドリの脚で、軽く測定部を蹴った。
表示された数値を、シラメ博士がこれまでの記録と比較する。
「ここまでは大きく変わらないね。当然だけど、カンガルーを胴体へ入れただけでヒクイドリの脚力そのものが上がるわけじゃない」
「じゃあ次ですね」
紀人は尻尾を地面へつけた。
両脚と尻尾。
三つの支点で身体を安定させる。
「……やっぱり全然違う」
「その状態で、さっきと同じくらいの感覚で蹴ってみて」
「はい」
紀人は構えた。
尻尾で身体を支え、ヒクイドリの脚で蹴りを放つ。
大きな衝撃音とともに、測定機器が揺れた。
紀人は脚を戻した瞬間、自分でも違いを感じていた。
「これ、かなり蹴りやすいです」
シラメ博士が記録を比較する。
「やっぱり身体の安定性が上がってる。ヒクイドリの脚力そのものを増幅しているわけじゃないけど、蹴った時に身体が後ろへ流れにくい」
東も画面を見る。
「尻尾が反動を受け止めてくれるから、より強く踏み込めるのね」
「そういうことだね」
紀人はもう一度構える。
今度は少し強めに蹴る。
大きな衝撃。
それでも姿勢が崩れにくい。
「すごいな……。ヒクイドリだけの時より、ずっと思い切って蹴れます」
「結果として、実戦では一段強い蹴りにつながる可能性があるね」
シラメ博士が言った。
「組み合わせ、当たりですね」
紀人が笑う。
東もそこは素直に認めた。
「かなり相性はよさそうね。ただし、調子に乗って全力で蹴らないこと」
「はい」
「返事が軽い」
「ちゃんと分かってますって」
紀人は笑いながらヒクイドリメモリーを解除した。
脚は元へ戻る。
だが、胴体にはカンガルーメモリーが残っている。
当然、尻尾も残ったままだ。
紀人は何気なく、その尻尾を左右へ動かした。
ぶんっ。
太い尻尾が空気を切る。
思った以上に重い音がした。
紀人の動きが止まる。
「……博士」
「うん」
シラメ博士も同じものを見ていた。
紀人がもう一度、ゆっくり尻尾を振る。
ぶんっ。
「これ、支えるだけじゃないですよね」
シラメ博士の口元が、少しだけ上がった。
「僕も今、同じことを考えてた」
東が二人を見る。
嫌な予感しかしない。
「……何を?」
紀人とシラメ博士は、ほとんど同時に尻尾へ目を向けた。
「これで殴ったら、どのくらい強いんだろう」
次の検証項目が決まった。




