第十話 俺たちで
第十話 俺たちで
それからも、川出たちは何度か公園へ足を運んだ。
ネズミ怪人が必ず姿を見せるわけではない。
仕事の都合で、三人が揃わない日もある。
それでも少しずつ、分かってきたことはあった。
◇
「一回、整理するか」
CASHの一室。
周囲に誰もいないことを確認して、ニシが言った。
「そうですね」
川出が頷く。
北山も椅子へ座った。
「まず」
川出が言う。
「俺には、もうほとんど警戒してないと思います」
「だろうな」
ニシが即答する。
「名前呼ぶわ、隣に座るわ、菓子食うわ、どんぐり持ってくるわ」
「石もくれます」
「完全に懐かれてんじゃねえか」
「……まあ」
川出も、もう否定しなかった。
「ニシさんにも、かなり慣れてきましたよね」
「この前、手から菓子食ったぞ」
「嬉しそうですね」
「そりゃ嬉しいだろ」
ニシが笑う。
「北山さんにも、どんぐり渡しました」
「一個な」
「覚えてるんですね」
「もらったからな」
「持って帰ったんです?」
「捨てる理由がない」
「気に入ってるじゃないですか」
「そういう話じゃない」
川出とニシが少し笑う。
北山は気にせず続けた。
「人間への攻撃行動は?」
「今のところ、一度も見てません」
川出が答える。
「俺を助けた時も、シロアリを攻撃してませんでした」
「危険を感じた場合は?」
「基本、逃げます」
「俺たちが初めて行った時もそうだったな」
ニシが言う。
「戦おうって感じじゃなかった」
「常に逃げ道を確認していた」
北山が続ける。
「少なくとも、これまで観察した範囲では、戦闘より退避を優先している」
「はい」
「それから」
川出が指を折る。
「困ってる人とか、落とし物とか」
「放っておけない」
ニシが続けた。
「そう見えます」
「子供の件もある」
北山が言う。
「川出の話だけじゃなく、俺たちの前でも落とし物を気にしていた」
「はい」
「言葉は?」
「少しずつ増えてます」
「アガト」
「カワデ」
「ニシ」
「オイシ」
「スキ」
「ハイ」
「イヤ」
「マタナ」
ニシが指を折る。
「結構増えたな」
「意味を全部理解してるかは怪しいですけどね」
「北山は?」
「……何がだ」
「名前」
「まだだ」
「キタくらいなら行けそうじゃないですか?」
「勝手に短くするな」
「本人がそう呼んだらどうするんです?」
「その時考える」
川出が笑った。
◇
「ただ」
北山が言った。
空気が少し変わる。
「これで安全だと断定するつもりはない」
「はい」
川出はすぐに頷いた。
「正体は分からない」
「はい」
「何のために存在しているのかも分からない」
「そうですね」
「なぜ最初に川出を助けたのかも分からない」
「……はい」
そこは、まだ何も分かっていない。
「でもよ」
ニシが言った。
「少なくとも、いきなりぶん殴る相手じゃねえだろ」
北山がニシを見る。
「それには同意する」
川出が顔を上げた。
「北山さんが、そこまで言うとは思いませんでした」
「何度も自分の目で見た」
「はい」
「確認した事実まで否定する理由はない」
北山は淡々と言う。
「少なくとも現時点で、こちらから攻撃する理由はない」
「……ありがとうございます」
「だから、礼を言う話じゃない」
「分かってます」
それでも川出には、少し嬉しかった。
◇
「で」
ニシが言った。
「問題は、あいつ自身だな」
「そうなんですよ」
川出の表情が変わる。
「俺も、そこが一番気になってます」
「子供の時みたいに?」
「はい」
困っている。
だから出ていく。
その先に何があるのかを考えない。
「本人に、人前へ出るなって教えるか?」
ニシが言った。
「……それも考えたんですけど」
川出は少し迷う。
「何か違う気がするんですよね」
「何が?」
「だって、困ってる人がいても助けるなってことになるじゃないですか」
ニシが黙った。
北山も少し考える。
「行動を止めるんじゃない」
「え?」
川出が北山を見る。
「危険を理解させる」
「危険?」
「自分が人間の前へ出た時、どうなる可能性があるのか」
「……」
「全部理解させるのは無理だろう」
「言葉もまだ片言ですからね」
「だが」
北山が続ける。
「危ない場所から逃げる。人が多い時は隠れる。そういうことなら、少しずつ覚えさせられるかもしれない」
川出は少し考える。
「自分を守る方法を教える?」
「ああ」
「それなら」
ニシが頷く。
「いいんじゃねえか?」
川出もゆっくり頷いた。
「……そうですね」
◇
「で」
ニシが今度は少し声を落とした。
「東には?」
川出が黙った。
避けては通れない。
北山もすぐには答えない。
「ずっと黙ってるわけにはいかないですよね」
「当たり前だ」
北山が言う。
「CASHとして動いている以上、いずれ報告は必要になる」
「ですよね」
「ただ」
北山が続ける。
「今すぐ全員へ共有する必要があるかは別だ」
川出が見る。
「いいんですか?」
「隠し続けるとは言ってない」
「はい」
「報告するなら、ある程度の材料は必要だ」
正体。
性質。
危険性。
意思疎通。
何ができるのか。
何をしようとしているのか。
「今のままだと」
ニシが言う。
「怪人と仲良くなりました、だからな」
「言い方」
「間違ってるか?」
「……間違ってないのが嫌なんですよ」
「だろ?」
北山がため息をつく。
「とにかく、もう少しだけ様子を見る」
「はい」
「その間に、報告できるだけの材料を集める」
「分かりました」
ニシが少し笑った。
「じゃあ俺たち、秘密のネズミ観察隊だな」
「その名前は絶対に使うな」
北山が即答した。
「いいじゃねえか」
「よくない」
「川出、どう思う?」
「俺を巻き込まないでください」
「お前が中心だろ」
「そういう意味じゃないです」
北山が立ち上がる。
「公園へ行くぞ」
「逃げた」
「誰がだ」
「秘密のネズミ観察隊から」
「次に言ったら置いていくぞ」
「悪かったって」
◇
いつもの公園。
いつものベンチ。
「いるか?」
川出が声をかける。
少しして。
「カワデ!」
「おう」
茂みからネズミ怪人が姿を見せた。
もう、三人がいることにも以前ほど驚かなくなっている。
「ニシ!」
「おう!」
ニシが嬉しそうに手を上げる。
そして、ネズミ怪人が北山を見る。
少し考える。
「……キタ?」
北山が止まった。
川出の顔が明るくなる。
「覚えてた!」
「キタ!」
ニシが笑う。
「キタ!」
「お前は黙ってろ」
「何でだよ」
「俺の名前はキタじゃない」
「でも、こいつにはキタなんじゃねえの?」
「勝手に決めるな」
「キタ!」
「ほら」
「ほら、じゃない」
川出が笑う。
「そのうち北山まで言えるようになりますよ」
「別に急いでない」
「キタ!」
北山は黙った。
「北山さん」
「何だ」
「ちょっと嬉しいでしょう」
「黙れ」
否定は、少し遅かった。
◇
「今日はな」
川出がネズミ怪人の前にしゃがむ。
「新しい言葉」
「コトバ!」
「そう。言葉」
川出は少し考える。
「危ない」
「……?」
「危ない」
「アブ?」
「危ない」
「アブナ?」
「もうちょい」
「アブナイ?」
「そう!」
川出が笑う。
「危ない」
「アブナイ!」
「言えたな」
ニシも笑う。
「問題は意味だな」
「そうなんですよね」
川出は立ち上がる。
「どう説明します?」
「人がいる時に隠れるのと結びつけたらどうだ」
北山が言う。
「なるほど」
川出は公園の入り口を指差す。
「人」
「ヒト」
「人がいっぱい」
「……?」
川出が両手を広げる。
「いっぱい」
ネズミ怪人が首を傾げる。
ニシも、何人もいるような身振りをする。
「いっぱい」
「何ですか、その動き」
「お前より分かりやすいだろ」
「どこがです?」
「じゃあお前やってみろ」
「やってるでしょう」
「二人とも」
北山が言う。
「余計分かりにくくしてるぞ」
「じゃあ北山さんやってくださいよ」
「俺が?」
「はい」
北山は少し考えた。
そして、人がたくさん歩いているつもりらしい身振りをする。
川出とニシが黙って見る。
「何だ」
「いや」
「別に」
「言いたいことがあるなら言え」
「北山さんも大して変わらないなって」
「帰るぞ」
「すみません!」
「悪かった!」
ネズミ怪人は三人を見ながら、首を傾げていた。
◇
ちょうど、遠くから複数の人の声が聞こえた。
ネズミ怪人の耳が動く。
「ほら」
川出が言う。
「人」
「ヒト」
声が近づく。
川出がネズミ怪人を見る。
「危ない」
「……」
「危ない」
「アブナイ」
「そう」
川出は茂みを指差す。
「隠れる」
「……?」
「危ない」
「アブナイ」
ネズミ怪人は、人の声、川出、茂みを順番に見る。
そして自分から茂みへ入った。
三人が見守る。
人が通る。
公園を抜ける。
何も起きない。
声が遠ざかる。
少しして、茂みから顔が出た。
「カワデ」
「おう」
川出は笑った。
「そう。それでいい」
「アブナイ?」
「そう。危ない」
「アブナイ」
「うん」
どこまで意味が通じたのかは分からない。
でも、少しずつ覚えていけばいい。
◇
ネズミ怪人が、またベンチの近くへ戻ってきた。
ニシが言う。
「まあ、急がなくていいだろ」
「そうですね」
「言葉も一個ずつ覚えてる」
「はい」
北山もネズミ怪人を見る。
「俺たちが分かっていないことも多い」
「はい」
「こいつ自身も、分かっていないことが多いんだろう」
「……たぶん」
川出が答える。
ニシが少し考えて。
「じゃあ」
二人を見る。
「俺たちで何とかしてやるか」
川出が少し笑った。
「そうですね」
北山はすぐには答えなかった。
ネズミ怪人を見る。
そして。
「ああ」
短く頷いた。
◇
「?」
ネズミ怪人は三人を見ている。
「お前のことだよ」
川出が言う。
「カワデ!」
「そう。川出」
ニシが自分を指差す。
「ニシ」
「ニシ!」
「よし」
北山を見る。
「……キタ!」
ニシが吹き出した。
「笑うな」
「悪い。キタ」
「お前はもう喋るな」
「キタ!」
「ほら、気に入ってるぞ」
「お前のせいだ」
川出も笑う。
「まあ、そのうち覚えますって」
「別にキタでも困らん」
「いいんですか?」
「訂正する方が面倒になってきた」
「キタ!」
「はいはい」
北山が答えた。
それを見て、川出とニシがまた笑った。
◇
ネズミ怪人が何かを取り出した。
「またどんぐり?」
川出が言う。
今日は三つ。
一つ。
川出へ。
「アガト!」
「ありがとう」
一つ。
ニシへ。
「アガト!」
「ありがとな」
そして一つ。
北山へ。
今度は迷わない。
北山も普通に手を出した。
「ありがとう」
「アガト!」
三人、それぞれどんぐりを一つ。
川出が笑う。
「いや、まだ何もしてないって」
「先払いじゃねえか?」
ニシが言う。
「何のだ」
北山が返す。
「これから助けてもらう分」
「勝手に決めるな」
「でもよ」
ニシはどんぐりを見る。
「悪くねえだろ」
北山も手の中を見る。
「ああ」
短く答えた。
◇
別れの時間。
「マタナ!」
「おう。またな」
「またな!」
「……またな」
三人の声。
ネズミ怪人は嬉しそうに。
「マタナ!」
茂みへ消えていった。
川出は手の中のどんぐりを見る。
まだ何者なのかは分からない。
安全だと証明されたわけでもない。
これから問題が起きない保証もない。
それでも。
もう、一人で考える必要はなかった。
「じゃあ」
川出が言う。
「しばらく、三人で見ていきますか」
「おう」
ニシ。
「ああ」
北山。
「ただし」
「はい?」
「東への報告を忘れるな」
「分かってます」
「タイミングは見誤るな」
「はい」
川出は頷いた。
三人は公園を出る。
少し歩いたところで、後ろから声がした。
「マタナ!」
三人が振り返る。
姿は見えない。
川出が手を上げた。
「またな!」
ニシも続く。
「またな!」
北山も少し遅れて手を上げる。
「……またな」
返事はなかった。
それでも三人は、そのまま公園をあとにした。




