第二話 悪い女には気をつけろ
第二話 悪い女には気をつけろ
「ありがとうございました」
川出が店を出ていった。
扉が閉まる。
パンさんは、しばらくその扉を見ていた。
手元には、さっきまで焼き菓子を詰めていたトレー。
川出との会話を思い返す。
『誰に?』
『名前も知らないんですよ』
『何だそりゃ』
『俺もそう思います』
名前も知らない。
なのに、わざわざ持ち帰りで焼き菓子を買った。
しかも。
『お礼?』
川出はそう言っていた。
「……名前も知らねえ相手に、お礼ねえ」
パンさんはトレーを片づける。
普通なら、ここで終わる話だった。
だが。
パンさんの手が止まった。
「……女か?」
何となく、そんな気がした。
名前を知らない。
でも、何かのお礼をしたい。
そのために焼き菓子を買っていく。
「……」
パンさんは腕を組んだ。
「おいおい」
少し心配になってきた。
川出は悪い奴ではない。
むしろ真面目な方だ。
仕事もできる。
だからこそ。
「こういう奴の方が引っかかるんだよな……」
パンさんの中で、まだ顔すら知らない誰かが、いつの間にか怪しい女になっていた。
「名前も教えねえ」
指を一本立てる。
「ちゃんと会えるかどうかも分からねえ」
二本目。
「なのに、あいつは菓子まで買ってく」
三本目。
パンさんは難しい顔になった。
「大丈夫か、あいつ」
もちろん。
全部、パンさんの想像だった。
◇
数日後。
「こんにちは」
「おう」
紀人が店に入ってきた。
いつもの席へ座る。
パンさんが飲み物を用意しながら、ふと思い出した。
「紀人」
「はい?」
「お前、川出のことどう思う?」
「……はい?」
紀人の手が止まった。
「どうって何がですか」
「女関係」
「もっと分かんないですよ」
「そうか」
「そうですよ。何で俺に聞くんですか」
パンさんは飲み物を紀人の前へ置いた。
「いやな。この前、川出が来たんだよ」
「川出さんなら、よく来るじゃないですか」
「菓子買ってった」
「へえ」
「持ち帰りで」
「それがどうしたんです?」
「名前も知らねえ相手に」
紀人が止まった。
「……名前も知らない?」
「そう」
「誰です?」
「だから知らねえんだよ」
「パンさんが?」
「川出も」
「……え?」
紀人は少し考えた。
「どういうことですか?」
「俺が聞きてえよ」
パンさんが腕を組む。
「名前も知らねえ相手に、お礼だっつって菓子買ってったんだ」
「お礼?」
「そう」
「何のお礼です?」
「知らん」
「男ですか? 女ですか?」
「知らん」
「どこで会ったんです?」
「知らん」
「何知ってるんですか」
「何も知らん」
「じゃあ何で女関係の話になってるんですか」
パンさんは紀人を見る。
「勘だ」
「一番信用できないやつじゃないですか」
「馬鹿野郎。こういうのは勘が大事なんだよ」
「そうですか?」
「そうだ」
紀人は飲み物を一口飲み、少し考える。
「……でも」
「何だ」
「名前も知らないんですよね」
「ああ」
「お礼したくて、焼き菓子買って」
「ああ」
「ちゃんと渡せるかも分からない」
「そうなんだよ」
「……」
紀人も少しだけ怪しい気がしてきた。
「何かありますね」
「だろ?」
パンさんが身を乗り出す。
「絶対何かあるんだよ」
「ものすごい美人だったとか?」
「それだ」
「いや、分かんないですよ」
「でも、名前も聞けねえくらいの美人だったら?」
「川出さん、そこまで女性に弱そうに見えないですけど」
「そういう奴ほど危ねえんだよ」
「それ、さっきから根拠あります?」
「経験だ」
「パンさんの?」
「世の中の」
「急に広くなったな」
紀人も少し面白くなってきた。
「美人局とか?」
「お前」
「はい?」
「高校生がどこでそんな言葉覚えた」
「普通に知ってますよ!」
「もっと健全に生きろ」
「パンさんが始めた話でしょうが!」
「俺は美人局なんて言ってねえ」
「悪い女に引っかかってるみたいな話してたじゃないですか」
「まだ悪い女とは言ってない」
「ほぼ言ってますよ」
パンさんは少し考えた。
「……悪い女か」
「何で今採用するんですか」
「あり得るな」
「俺のせいみたいになるからやめてください」
二人とも。
真相から、どんどん遠ざかっていた。
◇
「でも」
紀人が言う。
「普通に誰かに助けてもらっただけじゃないですか?」
「だったら名前くらい聞くだろ」
「聞く余裕なかったとか」
「じゃあどうやって菓子渡すんだ」
「……確かに」
「しかも、本人に直接渡せるか分からねえみたいなこと言ってたぞ」
「それは怪しいですね」
「だろ?」
「でも、川出さんが騙されてるって決まったわけじゃないですよ」
「分かってる」
「本当に?」
「俺はただ心配してるだけだ」
「何も分かってないのに?」
「何も分かってねえから心配なんだろ」
「……」
紀人は考えた。
「それ、正しいこと言ってるようで、たぶん正しくないですよ」
「細けえな」
パンさんはグラスを拭き始める。
「次来たら、一言言っとくか」
「何をです?」
「深入りすんなって」
「絶対余計なお世話ですよ」
「こういうのは周りが言わねえと駄目なんだよ」
「だから何も分かってないじゃないですか」
「大丈夫だ」
「何が?」
「俺に任せろ」
「一番任せちゃ駄目な気がする……」
紀人は嫌な予感しかしなかった。
◇
その数日後。
夜。
店の扉が開いた。
「こんばんは」
「おう」
川出だった。
仕事帰りらしい。
いつものようにカウンターへ座る。
「今日、空いてますね」
「時間が時間だからな」
「いつもの、いいです?」
「ああ」
パンさんが準備を始める。
そして、川出を見る。
「……」
「?」
川出が気づいた。
「何です?」
「いや」
「さっきから見てません?」
「見てねえよ」
「見てますよ」
パンさんはグラスを置き、少しだけ真面目な顔をした。
「川出」
「はい?」
「女遊びもほどほどにしとけよ」
「…………」
川出の動きが止まった。
「…………は?」
「分かってる」
「何がです?」
「皆まで言うな」
「いや、言ってください。何の話ですか?」
「いつものか?」
「話変えないでくださいよ!」
「深入りはするな」
「だから何に!?」
「悪い女には気をつけろよ」
「誰の話してるんですか!?」
パンさんは答えない。
黙っていつもの飲み物を用意する。
「はい」
「いや、『はい』じゃなくて!」
「飲め」
「何なんですか、今日!」
川出は本気で困っていた。
当然だった。
川出が焼き菓子を持っていった相手は。
悪い女でも。
謎の美女でも。
美人局でもない。
ネズミだった。
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企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
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本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




