第四話 俺が倒した
第四話 俺が倒した
その日の夜。
紀人は、パンさんの店の二階にある自分の部屋へ戻っていた。
電気はつけていない。
窓から差し込む街の明かりだけが、薄暗い室内をぼんやりと照らしている。
ベッドにも座らず、紀人は床に腰を下ろしていた。
ずっと、右手を見ている。
「…………」
何度見ても、ただの手だった。
五本の指。
掌。
握れば、いつもの拳になる。
そのはずだった。
だが、指を曲げようとするたびに――あの感触が蘇る。
カンガルーの力を乗せた拳。
サクラの身体を捉えた瞬間。
「……っ」
紀人は反射的に手を開いた。
何もない。
当然だ。
もう変身は解いている。メモリーの力だって使っていない。
それなのに、拳から腕の奥まで、あの衝撃だけがこびりついている。
「……くそ」
右手を伏せる。
見ていたくなかった。
◇
階下から、食器の触れ合う音が聞こえてくる。
店はまだ営業中らしい。
いつもなら腹が減れば下へ行く。
パンさんに何か作ってもらい、くだらない話をする。
それで一日が終わる。
今日は、階段を下りる気になれなかった。
コンコン。
扉が叩かれた。
「紀人?」
パンさんの声だった。
紀人は顔を上げる。
「……何?」
「帰ってきてからずっと静かだけど、大丈夫か?」
「大丈夫」
ほとんど反射的に答えていた。
「そうか?」
「うん」
「飯は?」
「いらない」
少し間があった。
「珍しいな」
「腹減ってない」
「……分かった」
足音が離れていく。
紀人は小さく息を吐いた。
大丈夫。
そんなわけがない。
でも、何と説明すればいい。
今日。
昔から一緒に空手をやってきた相手と戦った。
その相手は怪人になっていて。
最後に、自分の拳で――。
「…………」
紀人は両手で顔を覆った。
「言えるかよ……」
◇
目を閉じる。
『勝ち逃げ』
サクラの声がした。
「…………」
目を開ける。
誰もいない。
『次は……私が……』
「やめろよ」
暗い部屋に、自分の声だけが落ちる。
『ちゃんと……』
「やめろって」
その先は聞けなかった。
たぶん。
サクラなら「勝つ」と言ったはずだ。
次は私が、ちゃんと勝つ。
きっと、そう言うつもりだった。
「…………」
紀人は頭を振った。
違う。
そんなことを考えて逃げるな。
今日起きたことを、ちゃんと考えなければならない。
そう思う。
けれど。
考えようとするたび、最後に残る言葉は一つしかなかった。
「……俺が倒した」
初めて声にした。
その言葉が、妙に重く室内へ沈んでいく。
「俺が……サクラを殺した」
サクラがわざと受けた。
それは分かっている。
自分も止めようとした。
それも事実だ。
ただ、間に合わなかった。
どれだけ理由を並べても。
どれだけ言い訳を探しても。
最後に残る事実は変わらない。
拳を出したのは自分だ。
そして。
当てたのも、自分だった。
◇
白蟻を倒した時。
こんなことは考えなかった。
最初に現れた、白い蟻の怪人たち。
一体。
また一体。
次々に倒した。
誰かを守るためだった。
怪人だから。
放っておけば人を襲うから。
倒さなければならない。
そう思っていた。
疑いもしなかった。
でも。
「……怪人」
サクラも怪人だった。
見た目だけなら、完全に。
それでも。
その中にはサクラがいた。
自分の名前を覚えていた。
家族を覚えていた。
道場を覚えていた。
紀人のことも覚えていた。
笑った。
怒った。
憎まれ口を叩いた。
勝負した。
どこまでいっても。
あいつは、サクラだった。
「…………」
紀人の背中を、冷たいものが走った。
だったら。
今までの奴らは?
「……いや」
考えるな。
そう思った。
けれど、もう遅かった。
今まで戦ってきた怪人たちが、次々と頭に浮かぶ。
もし。
あいつらも。
元は――。
「…………」
喉が鳴る。
人間だったら?
「やめろ」
自分に言い聞かせる。
「まだ分かんねえだろ」
誰も答えない。
分からない。
その通りだ。
証拠なんてない。
でも。
サクラは人間だった。
それだけは知っている。
そして今日。
怪人になっていた。
「……じゃあ」
紀人は、もう一度右手を見る。
今まで。
何人。
倒した?
「…………」
息が詰まった。
「違う」
勢いよく立ち上がる。
「違うって」
誰に否定しているのか、自分でも分からない。
「サクラが特別だっただけかもしれない」
そうだ。
特殊な例だった。
たまたま。
そう考えればいい。
でも。
なら、どうしてサクラが怪人になった。
誰が。
何のために。
そして。
他には絶対にいないと。
誰が言える。
「…………」
紀人は力なく床へ座り直した。
◇
机の上に置いたベルトを見る。
今までは。
あれを使えば戦えると思っていた。
誰かを守れる。
怪人を倒せる。
強くなれる。
それでよかった。
今日までは。
「……怪人を倒す」
口にしてみる。
今までなら、何の違和感もなかった言葉。
今は。
その向こうに、サクラの顔が浮かぶ。
「……無理だろ」
次に怪人が現れたら。
自分は、今までと同じように殴れるのか。
相手が誰かの友達だったら。
誰かの家族だったら。
怪人の姿の中で、まだ誰かが助けを求めていたら。
「……っ」
紀人は頭を抱えた。
「分かんねえよ……!」
倒さなければ、人が襲われる。
でも。
倒した相手が人間だったら。
なら。
どうすればいい。
殴るのか。
殴らないのか。
どちらを選んでも、誰かが傷つくかもしれない。
「サクラ……」
名前が漏れた。
「お前のせいだからな」
返事はない。
「こんなの……知らなかったんだぞ」
拳を握りかける。
また、指が止まる。
「俺……」
声が震えた。
「どうやって戦えばいいんだよ」
◇
再び扉が叩かれた。
「紀人」
パンさんだった。
「何?」
「本当に大丈夫か?」
「…………」
今度は、すぐに答えられなかった。
「紀人?」
「……大丈夫」
結局。
同じ言葉しか出てこない。
「そうか」
パンさんは、それ以上聞かなかった。
足音が遠ざかっていく。
無理に扉を開けることも。
何があったのか問い詰めることもない。
その優しさが、今は少し苦しかった。
「……大丈夫なわけないだろ」
誰に聞かせるでもなく。
自分自身へ向けて呟いた。
◇
夜が深くなる。
紀人はベッドへ横になった。
眠れる気はしない。
目を閉じる。
『私の勝ちね』
「……違う」
『勝ち逃げ』
「違うって」
『次は……』
「やめろよ」
目を開ける。
暗い天井。
「…………」
紀人は右手を持ち上げた。
暗闇の中で、拳を作ろうとする。
指が途中で止まる。
握れない。
「……くそ」
もう一度。
ゆっくりと指を曲げる。
その瞬間。
あの感触が戻った。
拳がサクラを捉える。
サクラの身体が浮く。
吹き飛ぶ。
地面へ落ちる。
「っ……!」
紀人は手を開いた。
息が乱れていた。
「…………」
この拳で。
誰かを守ってきたつもりだった。
でも今日。
この拳で。
「俺が……殺した」
声にする。
今度は逃げない。
「サクラを」
一度、息を吸う。
そして。
最後まで言った。
「俺が倒したんだ」
部屋は静かだった。
誰も否定してくれない。
誰も「違う」と言ってくれない。
紀人は右手を見つめたまま。
朝まで、一度も眠ることができなかった。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




