第二話 帰れない
第二話 帰れない
水面の怪物は、サクラが動くたびに同じように動いた。
右腕を上げれば、上げる。
顔を傾ければ、傾ける。
目を逸らして、もう一度見る。
それでも消えない。
「……私、なの?」
声に出したところで、答えは分かっていた。
あれは自分だ。
ただ、認めたくないだけだった。
サクラはゆっくりと自分の身体へ視線を落とす。
人間だった頃の面影は、わずかに残っている。
けれど、それ以上に異質なものが全身を覆っていた。
背中には翼。
腕も脚も、自分が知っている形とは違う。
さっきから感じていた身体の重さや、動かすたびに生じる違和感。その理由が、ようやく分かった気がした。
「何で……」
思い返す。
道場。
帰り道。
キッチンカー。
ブドウのクレープ。
そこから先は、やはり何もない。
「誰が……こんなこと……」
答えは返ってこない。
サクラは水面から目を逸らした。
見ているだけで、自分ではない誰かの身体を押しつけられているような気分になる。
でも、目を逸らしても身体まで消えてくれるわけではなかった。
「……帰らなきゃ」
ふと、口から出た。
家。
両親。
帰ってこなければ、当然心配しているはずだ。
もう警察へ連絡しているかもしれない。
帰らないと。
そう思って一歩踏み出し――止まった。
「…………」
この姿で?
玄関を開ける?
母親の前に立つ?
父親へ「ただいま」と言う?
想像しただけで、足が動かなくなった。
怪人。
さっき水面に映ったものを見れば、誰だってそう呼ぶだろう。
自分自身ですら、最初はそう思った。
なら。
家族なら怖がらないなんて、どうして言える。
「……無理」
小さく呟いた。
「帰れない……」
その言葉は、思っていた以上に重かった。
◇
しばらく、その場から動けなかった。
警察へ行く。
病院へ行く。
誰かに助けを求める。
どれも、この姿で人前に出ることが前提になる。
それが怖い。
けれど、何もせずここにいるわけにもいかない。
「……落ち着け」
サクラは自分に言い聞かせた。
まず状況を確認する。
空手でも同じだ。
相手が何をしてくるか分からない時ほど、焦った方が負ける。
そう考えて、近くの木へ手を伸ばした。
身体を支えるつもりで、幹へ軽く触れる。
ミシッ。
「え?」
サクラは慌てて手を離した。
遅かった。
幹に、大きな亀裂が走っている。
「ちょっと……」
そんなに力を入れたつもりはない。
ただ、手をついただけだった。
サクラは自分の手を見る。
「……嘘でしょ」
確かめるように、近くに転がっていた石へ足先を当てる。
転がす。
その程度のつもりだった。
パキッ。
石が割れた。
「…………」
今度こそ、言葉が出なかった。
空手を続けていれば、力の加減は嫌でも身体に染みつく。
殴る時。
寸止めする時。
組手。
試合。
稽古。
力を入れる。
抜く。
何年もかけて、その感覚を身体へ叩き込んできた。
なのに。
今の身体には、それが通じない。
「私……ほとんど力入れてないのに……」
木を見る。
石を見る。
そして、自分の手を見る。
もし、これが人間だったら。
「…………」
浮かんだ想像を振り払おうとする。
けれど消えない。
誰かの腕を掴んだら。
肩を押したら。
反射的に拳を出したら。
ほんの少し加減を間違えただけで。
「……殺す」
自分の声に、自分でぞっとした。
「私、人を殺しかねない……」
その瞬間。
人のいる場所へ行くという選択肢が、全部消えた。
◇
家族へ連絡しよう。
そう思って、すぐに気づく。
スマホがない。
どこへ行ったのかも分からない。
あの部屋にあったのか。
連れてこられる途中で失くしたのか。
それすら分からない。
「……最悪」
連絡手段までない。
仮にあったとしても。
何と伝えればいい。
私は無事です。
でも怪人になりました。
だから帰れません。
そんな話を、誰が信じる。
いや。
信じられた方が怖い。
迎えに来られたらどうする。
今の自分が、家族を傷つけない保証なんてどこにもない。
「ごめん……」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
父親か。
母親か。
それとも。
帰れない自分自身か。
◇
サクラは、人のいない方へ歩いた。
道路を避ける。
建物を避ける。
できるだけ木の多い場所を選ぶ。
身体はまだ痛い。
けれど、さっきより少しだけ動かし方が分かってきた。
それが逆に怖かった。
この身体に、慣れ始めている。
「……慣れたくない」
思わず口にする。
でも。
転ばないためには慣れなければならない。
物を壊さないためにも。
誰かを傷つけないためにも。
嫌でも、この身体を扱えるようになるしかない。
やがて、人目につかない場所に古びた建物を見つけた。
もう使われていないらしい。
窓は割れ、一部は蔦に覆われている。
誰かが頻繁に出入りしている気配もない。
「……ここなら」
少なくとも、今すぐ誰かと鉢合わせする可能性は低い。
サクラは中へ入った。
埃っぽい。
薄暗い。
快適とは言い難い。
それでも。
今の自分には、人がいないというだけで十分だった。
壁際へ腰を下ろす。
静かになった途端。
今まで考えないようにしていたことが、一気に押し寄せてきた。
どうしてこうなった。
誰がやった。
元に戻れるのか。
家族は今どうしている。
道場では。
紀人は。
「…………」
紀人の顔が浮かんだところで、咲子は目を閉じた。
「今、あいつのこと考えてどうすんのよ……」
自分でも呆れる。
こんな状況なのに。
それでも。
いつもの道場。
いつもの組手。
いつもの自分。
思い浮かべれば浮かべるほど、胸が苦しくなった。
戻りたい。
あそこへ。
いつもの自分に。
けれど。
サクラは、自分の手を見る。
もう、それは人間の手ではなかった。
「……帰れない」
今度は、はっきり口にした。
家にも。
道場にも。
今のままでは、どこにも。
サクラは膝を抱えようとして、途中で動きを止めた。
異形になった身体では、以前と同じようにはできない。
少しだけ迷って。
そのまま壁へ背を預けた。
「……どうすればいいのよ」
答えは。
どこにもなかった。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




