第八話:フォックス・テイルの占拠、あるいは無色透明のバグ
夜の北野は、昼間の観光地じみた浮ついた空気がデリートされ、静まり返ったサーバーのように冷え切っていた。
俺たちは、まだ顔を赤くしてブツブツ言っている道満と、悟りを開いたような顔の博雅、そしてようやく「パッチ当て」を切り上げた両親、さらに腰の抜けたままの神父を連れて、わが家であり店でもある『フォックス・テイル』の前に立っていた。
「……はぁ。やりたかないねー、ホンマによー。自分の店なのに、入るのがこんなに億劫なことあるか?」
俺が投げやりにドアを開けると、カウベルが乾いた音を鳴らした。
無人のカウンター席。いつもなら母ちゃんが立っているはずのその場所には、銀縁眼鏡を月光に反射させた保憲が、当然のような顔をして座っていた。テーブルの上には、見るからに高そうな特注の幕の内弁当が並んでいる。
「いつもオムライスをありがとうございます。これは、僕の両親からのささやかなお礼です。遠慮なく食べていただけますか?」
保憲は母ちゃんに向かって、いつになく丁寧な敬語で頭を下げた。泰臣に対しても「お疲れ様です、泰臣さん」と一礼する。その礼儀正しい姿に毒気を抜かれたのか、俺たちはカウンターへ並び、高級弁当の包みを解いた。空腹という名の低速モードには勝てない。俺たちは無言で箸を動かし始めた。
「……オムライス会長。……それで、全員の『権限』が必要ってのはどういう意味なんだ」
俺が焼き鮭を口に運びながら尋ねると、保憲は眼鏡のブリッジを押し上げ、いつもの冷徹なトーンに戻った。
「以前から加茂家と有世の土御門家は、学校の地下に眠る旧陰陽寮の文献を漁り、海外製バグの対処法をシミュレートしていたんだ。二代目安倍晴明が生きた幕末、黒船に紛れてログインしてきた外の妖を退治して回った記録があってね」
保憲はそう言うと、震える神父の胸元で揺れる銀の十字架を冷たく指差した。
「海外パッチをデリートするには『純銀』という物理コードが必要になる。そして、王の器たる妖を封じるには、その身に匹敵する純粋な妖気も欠かせない。……葉子さん、あなたの尻尾が六本目まで覚醒していることは、有世のドローンがしっかり観測済みですよ。不本意ながら、あれはこの街で最大最強のバックアップリソース(予備電力)だ」
有世が背後で「……す、すみません……」と申し訳なさそうにタブレットを提示する。本家での母ちゃんの姿が、バッチリ高精細なログとして記録されていた。
「港の倉庫の件は、博雅くんがいたことが幸運だった。君はそのままの純粋な『氣』で戦えるからね。……だが、僕たちはそうじゃない。僕たち陰陽師が練り上げる『氣』は、出力する際に個人の性格や霊力の質というノイズが混ざり、色がつく。いわば、特定の属性に最適化された専用OSのようなものだ」
保憲が指を鳴らすと、有世が空間にホログラムのグラフを展開した。
「道満さんの氣は黒色。憎悪や執着を糧にする、刺すように冷たい呪術特化型だ。……これは、安倍くんが転校初日に食らっていたね。有世、あの時の出力ログを」
ニヤリと笑う保憲。そうだ、あの時、有世が隠れて俺の被弾データを取っていたんだ。
「僕の氣は青。論理的で冷静な演算。有世は緑……植物のように広がる情報収集型。……だが、安倍くん。君だけは、計算式が成立しないんだよ」
保憲が眼鏡を外し、真っ直ぐに俺の瞳を覗き込んだ。
「君の氣の色は無色透明だ。……霊力も、呪の重さも、感情の揺らぎさえも反映されない。過去の文献をどれだけ漁っても、三代目・安倍晴明、君のような『空っぽのログ』を持つ術師は一人も存在しない。……君は、あらゆる属性を拒絶し、あらゆる定義を無効化する、生きたバグそのものなんだよ」
保憲の言葉に、弁当を食う手が完全に止まった。
なぁ、あんたならどう思う?
歴史上類を見ない「空っぽのログ」が、俺という存在の正体だなんて。
「……やりたかないねー、ホンマによー。……透明なんて、一番地味で目立たねー色じゃねーかよ」
俺の右手の指先が、保憲の指摘に呼応するように、無色透明な冷たい静電気を帯びてパチパチと音を立てていた。その「無色の火花」が、カウンターに置いてあった金属のスプーンを、触れもしないのにドロドロに融解させていく。




