第五話:傾国の残響、あるいは九尾の昔話
「晴明、いい? 今から語るのは、パパと出会うよりも前。二代目の安倍晴明と出会うよりも昔。……初代の安倍晴明と出会うよりも、もっと、ずっと古の話よ」
母ちゃんが茶菓子を口に運びながら、さらりと「システム外」の爆弾を投下した。
広間にいた全員の動きが止まる。博雅の親父である県警本部長ですら、その言葉の重圧に喉を鳴らした。
「あの頃の母さんはね、次はどこの国を傾けようかしらって、そればかり楽しく考えていたの。既に西洋のいくつかの国は、母さんの言いなりだったわ」
母ちゃん……いや、かつて歴史の裏側で幾多の王朝を崩壊させてきた「金毛玉面九尾の狐」は、遠い目をして微笑んだ。西洋での彼女は、まさに暴れ回るバグそのものだったらしい。各国の王を掌の上で転がし、文明のログを書き換えてきた。
晴明たちは、あまりにスケールの違う「傾国の君」の武勇伝を聞かされ、ただただ呆気に取られるしかなかった。
「でもね、パリで立ちふさがったのが、その『霧の王』だったわ」
巨大な狐と、夜の支配者ヴァンパイア。
花の都パリを舞台にした、種族の存亡を賭けた死闘。母ちゃんが語るその光景は、現代の陰陽道では到底計り知れない、神話レベルの激突だった。
「……すご。ヴァンパイアと日本の妖怪の戦いなんて……都市伝説通り越して、もう映画の世界やん!」
道満が、これまでの緊張をどこかに置き忘れたように、少女らしい好奇心で目を輝かせて身を乗り出した。それを聞いた瀬戸が、肩の力を抜いて低く笑う。
「ハハッ、ハル坊も、道満ちゃんも、ほんで博雅くんも……十分、俺ら人間からすりゃ都市伝説やで? 今更映画一本増えたところで驚きもせんわ」
日本一の極道組織のトップが放った冗談に、広間の空気がほんの少しだけ和らいだ。だが、俺の胸の奥にあるザワつきは消えない。
「……なぁ、母ちゃん。結局、その『霧の王』ってのは、そんなに強いのか?」
俺が思わず尋ねると、母ちゃんはいつもの「あらあら」という微笑みのまま、静かに返した。
「強いわよ。……だってあの時、母さんは尻尾を『六本目』まで解放したもの」
「…………六本?」
俺の、あるいは道満や博雅の脳が思考を停止した。
九尾の狐が本気を出せば、この国のOSなんて一瞬で焼き切れる。その彼女が六本まで出したということは、それだけで一国が地図から消えかねない出力だ。
泰臣だけは、隣で苦笑いを浮かべていた。この「ろくでなし」の探偵は、自分の妻がどれほど規格外のプログラム(怪物)なのかを、とっくの昔に骨身に染みて理解しているらしい。
なぁ、あんたならどう思う?
シュン兄が消えた穴を狙って現れたのは、母ちゃんの「昔の喧嘩相手」だなんて。
母ちゃんが懐かしそうに目を細める中、俺の右手の指先は、今この瞬間も北野の旧領事館跡地で「リブート」しようとしている、最悪のパッチの熱を感じていた。




