第二十四話:オーバーライト・エンド、あるいは純銀の温度
北野の空は、何事もなかったかのように突き抜けるような秋晴れに戻っていた。
だが、その陽光の下を歩く俺たちは、頭からバケツの水を被ったような、ひどい有様だった。
「……はぁ。やりたかないねー、本当に。自分の術式の残響で、風邪引きそうやわ」
びしょ濡れのシャツを肌に張り付かせながら、俺たちは『フォックス・テイル』のドアを蹴破るようにして開けた。カウベルが間の抜けた音を立て、店内の客……いや、この街の「管理者」たちの視線が一斉に俺たちにログインした。
「おかえり。……あらあら、ずいぶん派手な水遊びをしてきたみたいね」
母ちゃんがニヤニヤしながら、バスタオルを三枚、カウンターに放り投げた。
俺たちはタオルを頭から被り、保憲や西園寺総理を前に、旧領事館跡地で葛城をどう「初期化」したかを簡潔にレポートした。天空によるドメイン構築、太裳の認識阻害、そして青龍による銀の雷雨――。
「……なるほど。吸血鬼の自己再生能力を逆手に取って、銀を宿した雨で物理的に溶かし切ったんか。……よう考えたね、安倍くん。ただの火力(騰蛇)で押し切るより、遥かにスマートで合理的なクリーンアップだ」
保憲が、珍しく素直に感心したように眼鏡を指で押し上げた。その横では、西園寺総理も満足げに頷いている。
「浄化の雷雨なんて、古の書物にあるような伝説級の術式を現代のパッチとして再現するなんて。……一国の総理として、あなたたちの独創性には脱帽するわ。これで外務省の裏口(特務二課)も、言い逃れできないほど綺麗に洗い流されたというわけね」
西園寺総理の賞賛を、俺はタオルの下で聞き流した。
「……総理。褒め言葉はいいから、約束の報酬を実行してくれ。……学生に『有給』なんて言葉はねーんだわ」
「ええ、わかっているわ。……あなたたち三人を、今日から一週間『国家機密任務に伴う公認欠席』として処理したわ。学校の出席簿には、何の問題も残らない。……それと、最高級のケーキセットを、今日から一週間分、この店にツケておくように手配したわ。もちろん、国費でね」
「……公欠一週間か。やりたかないねー、ホンマによー。……でも、これでようやく堂々と寝てられるわ」
俺はカウンターに突っ伏した。道満が横で「一週間も学校休んで、晴明と何したらええのよ……」と、顔を赤くしてブツブツ言っているのが聞こえるが、今の俺にはそれを処理するメモリは残っていない。
「……母ちゃん。オムライス、まだ残っとるんやろ? ……とりあえず、温かいもん食わせてくれ。……俺のシステム、もうシャットダウン寸前や」
俺はカウンターに突っ伏した。
なぁ、あんたならどう思う?
国家の危機を救って、最後はびしょ濡れのまま実家のオムライスを待つ。
左手の指輪は、濡れた肌に吸い付くように冷たくなっていたが、その内側には、確かな熱量がログとして刻まれていた。
「……とりあえず、一週間。……誰にも邪魔されず、ディープなスリープモードに入らせてくれ」
温かいオムライスが運ばれてくる香りに、俺の意識のプラグは完全に抜けかけた。
「……晴明、寝るな。食べ終えるまでが任務やろ」
道満が呆れ半分、照れ半分で俺の肩を小突く。その指先もまだ湿っていて、少しだけ冷たかった。
「……わかっとるよ。……あーあ、ようやく終わったんか。一気にログが軽くなった気分やわ」
俺はスプーンを手に取り、卵の海を割り込んだ。
保憲は既に「さて、外務省の残骸データをどう料理するか……」と、不敵な笑みを浮かべて有世と端末を覗き込んでいる。総理もりお先生のシーマに乗り込み、次の戦場へ向かう準備を始めた。
神戸の街に、一時のクリーンな時間が流れる。
なぁ、あんたならどう思う?
一線を越えた幼馴染と、お揃いの指輪。
吸血鬼より厄介な「甘いバグ」が、これから俺たちのログをどう書き換えていくのか――。
「……やりたかないねー、ホンマによー。……でも、今日だけは、このままシャットダウンさせてもらうわ」
俺はオムライスを一口放り込み、静かに目を閉じた。
左手の指輪が、隣の道満の気配に呼応して、静かに、優しく拍動していた。




