第二十二話:正午のフレーム、あるいは偽りの習作
北野の急な坂道を上りきった先、旧領事館跡地はもはや現実の風景をログアウトしていた。空は正午の太陽に焼かれているはずなのに、そこだけが血を混ぜたような淀んだ色彩に塗りつぶされている。アトリエから溢れ出した「霧」が、街の輪郭をキャンバスのように書き換えていた。
「……はぁ。やりたかないねー、ほんまによ。直射日光の下で、あんなキモいアーティストの相手なんてさ」
俺は五芒星のジッポを弾き、最後の一服を空に吐き出した。隣には、左手の中指に嵌めた指輪を強く握りしめた道満。そして、黄金の氣を全身から溢れさせる博雅。
「――おや。思ったより早く来ましたね。私の最高傑作、『神戸』の仕上げには、あなたたちの色が不可欠だ」
領事館の屋根の上、葛城が筆を掲げて立っていた。背中からは吸血鬼の始祖から奪った白銀の翼が広がり、その瞳は「海外製パッチ」の過負荷で、ドロドロに濁っている。
「……行くで、二人とも。……このドメイン、今すぐ全削除や!!」
俺の合図と共に、博雅が黄金の龍となって先陣を切り、道満が浄化の白雷を天空へ放つ。だが、葛城は嘲笑うかのようにその身を霧へと変えた。
「無駄なんですよ! 雷も拳も、ただの絵具を散らすだけです!」
道満が叫ぶ。彼女の白雷は霧を貫くが、葛城の本体には届かない。博雅の拳もまた、手応えなく空間を打つばかり。葛城は霧そのものとなり、決定打を許さない。
その光景を、俺はただじっと見つめていた。一歩も動かず、左手の指輪に宿る銀の熱量だけを感じながら。
「おい、晴明! 何しとんねん! ぼーっとしとる場合か!」
道満の怒声が飛ぶが、俺の意識は別のセクターにログインしていた。葛城の術式の構成、外務省が流したパッチの脆弱性、そして――この指輪が持つ、本当の実行権限。
なぁ、あんたならどう思う?
仲間が必死に戦っている横で、一人だけ冷徹に「敵のソースコード」を読み解こうとする掃除屋なんて。
「……やりたかないねー、ホンマによー。……でも、このパズル、もう解けちまったんだわ」
俺の左手の指輪が、葛城の「霧」という名の偽りのドメインを暴くために、静かに、そして鋭く脈動し始めた。
「……博雅、道満、一旦下がれ」
俺は二人の攻撃の残響を切り裂くように声を上げた。
葛城の「霧」はただの回避プログラムじゃない。外務省が横流ししたパッチが、この街の結界を「支持体」としてハックし、奴の存在を空間全体に分散させているんだ。
「晴明、何を……! このままやと奴の筆が街を飲み込むで!」
道満が焦燥に駆られながら叫ぶ。だが俺は、左手の指輪を天にかざした。
「葛城。お前、自分のことを『唯一無二の表現者』だと思っとるやろ? ……残念やけどな、そのコードには重大な脆弱性がある。お前が使ってるその『白銀の翼』……霧の王から奪った力は、今の太陽の光とは致命的に同期しとらんのよ」
俺は指輪に、俺の「無色透明」な氣を流し込んだ。
両親の情愛が結晶化した銀の熱量が、俺の氣を触媒にして、北野の空に突き刺さる。
「……ッ、何をしている!? 私の色彩に余計なノイズを混ぜるな!」
葛城の余裕が初めて消えた。霧がうねり、集束して、奴の形が領事館の時計塔の上に無理やりレンダリングされる。
「ノイズじゃねーよ。これは『白紙化』だ。……道満! 俺の指輪に、お前の雷を叩き込め!!」
「……はぁ!? ……っ、わかった! 滅茶苦茶にしなや、副会長!!」
道満が迷いを捨て、俺の左手に自身の左手を重ねた。指輪と指輪が接触した瞬間、昨夜の「上書き」を遥かに凌駕する暴力的なまでの熱量が、アトリエ……いや、北野の空全体に波及していく。
なぁ、あんたならどう思う?
世界を救うための最終コマンドが、昨日まで喧嘩してた幼馴染との「共同作業」だなんてさ。
「……やりたかないねー、ホンマによー。……葛城。お前の最高傑作は、ここで強制終了や!!」
俺と道満、二つの指輪が放つ白銀の輝きが、葛城の偽りの霧を根こそぎホワイトアウトさせていく。




