第二十一話:加茂の盤面、あるいは外務省の裏口
翌朝。登校した俺たちを待っていたのは、授業のチャイムではなく、保憲からの「生徒会室へ来い」という強制割り込み(インタラプト)だった。
「……はぁ。やりたかないねー、本当に。まだ一睡もしてねーんだわ」
欠伸を噛み殺しながら、俺と博雅、そしてまだ俺の顔をまともに見られない道満の三人が生徒会室の重いドアを開けると、そこには優雅にモーニングティーを啜る保憲と、無機質にキーボードを叩く有世がいた。
「おはよう、副会長。それに会計と総務も。……昨夜は良い『上書き』ができたかな?」
「……保憲。そのログ、今すぐ物理消去しねーと、お前のオムライスに呪いをパッチするぞ」
俺の脅しを柳に風と受け流し、保憲は眼鏡を指で押し上げた。その瞳には、昨夜の密談で得たであろう、国家の暗部を写した「黒いデータ」が冷たく光っている。
「昨夜、予告通り外務大臣が我が家へログインしてきたわ。……大臣自ら、この街の『不具合』について、加茂家に公式な口止め料を提示してきた。正確には交渉だよ。外務省の裏側、通称『特務二課』と呼ばれるセクターが、今回の葛城の暴走に深く関わっていた。彼らは西洋の怪異を『外交上の抑止力』、つまり他国に対する生きたパッチとして利用しようとしていたんだ」
「外交上の、抑止力……? 始祖の吸血鬼を、兵器にしようとしてたんか」
博雅が拳を握りしめ、吐き捨てるように言った。その声には、武士の家系としての真っ当な憤りが乗っている。
「そうさ。霧の王は、そのためのテストケースだったというわけだ。葛城という狂ったアーティストに餌を与え、日本国内でどれだけの『領域支配』が可能か、外務が勝手にが予算を投じて実験させていたんだよ。……だが、葛城は計算外の進化を遂げ、飼い主の手を噛み切って暴走した。外相が頭を下げに来たのは、その証拠隠滅の片棒を、歴史ある加茂家に担がせるためや」
保憲の冷徹な解説に、室内が凍りついた。つまり、あの美術商に海外製のウイルスを横流ししたのは、この国の「外」を守るべき組織だったというログだ。
「……やりたかないねー、ホンマによー。自分らで火を放っておいて、俺たちに消火活動をさせんのかよ。西園寺総理が神戸に来たのも、その裏口を見張るため……いや、外務省の失態を叩くための材料探しだったってわけか」
「その通り。総理と外相は、今この瞬間もこの街の権限を奪い合っている。政治家にとっては、神戸の住民がキャンバスに閉じ込められることすら、政敵を失脚させるための『コスト』に過ぎひん。……そして葛城は、その醜いノイズを逆手に取り、正午に自分だけの『真実』を描き込もうとしているんだ」
保憲がモニターを指さす。旧領事館跡地を中心に、目視できないほどの密度の霧が、再び北野の街を包囲し始めていた。
なぁ、あんたならどう思う?
吸血鬼の呪いよりも、それを「政治の道具」にしようとする人間たちのシステムのほうが、よっぽどバグってると思わないか。
「……保憲。大臣がなんやいうねん。俺たちは生徒会だ。学校の敷地内だろうが、この街だろうが、俺たちの視界を汚す連中は、まとめて初期化してやるしないやろ。……その大臣にも、ついでに特大のエラーメッセージを送りつけてやるぜ」
「……ククッ、頼もしいね、副会長。……正午まで、あと一時間だ。太陽が天頂に達し、奴の『霧』が最も弱まる瞬間……それが唯一のデバッグ・チャンスだ」
俺は左手の指輪を強く握りしめ、生徒会室を後にした。
外務大臣の思惑も、国家の傲慢も、葛城の最高傑作も。俺たちの「上書き(パッチ)」で、一滴残らず消し去ってやる。




