第十八話:事後ログ、あるいは不均衡な習熟度
ネオンの光から解放され、夜の北野へと足を踏み出したのは、ホテルへログインしてからちょうど三時間後のことだった。秋の夜風が、火照った体に異様なほど冷たく染みる。
「……なぁ、道満。いつまでそんな、OSがフリーズしたような顔してんだわ」
横を歩く道満は、さっきまでのトロンとした表情はどこへやら、頬を膨らませて露骨にむくれていた。俺の左腕にしがみついてはいるが、その握りしめる力には、明らかにデリート(殺意)に近いノイズが混ざっている。
「……納得いかへん。……どうしても納得いかへんわ」
「何がやねん。葛城の味は、跡形もなく上書きしたやろ」
「そっちはええよ! ……そうやなくて、なんで晴明はあんなに『慣れて』るんよ! うち、あんなん初めてやったのに……あんた、手順がスムーズすぎやろ。どこでそんな、熟練のデバッガーみたいなテクニック身につけてきたんや!?」
道満の抗議に、俺は思わず視線を逸らした。
……はぁ。やりたかないねー、本当に。俺は掃除屋だぞ。あらゆる不具合に対処するのが仕事なんだ。それに、俺の親父と母ちゃんを思い出せ。あの環境で育って、真っ新なシステムを維持できるわけねーだろ。
そんな押し問答を繰り返しながら、ようやく明かりの漏れる『フォックス・テイル』の前まで戻ってきた。だが、道満はドアに手をかけようとする俺を引き止める。
「……待って。店に入る前に、もう一回だけ」
「はぁ? さっき散々やったやろ」
「足りひんのよ。……最後にもう一回だけ、ちゃんと上書きして」
道満の潤んだ瞳と、熱を帯びた吐息。俺は溜息をつきながらも、彼女の腰を引き寄せて唇を重ねた。
……だが、俺の脳内は、目の前の熱量とは裏腹に、最悪な演算で埋め尽くされていた。
なぁ、あんたならどう思う?
葛城を取り逃がしたまま、勢いでログインしちまった。俺は特定の彼女は作る気ないし、まだまだ遊びたい。でも、道満のこの「独占欲全開のログ」は、正直言ってヤバすぎる。一度実行を押したら、二度とキャンセルできない呪い(バグ)になりそうだ。
「……ん、……ぷはっ。……これでええわ。満足や」
道満が満足げにドアを開けると、カウベルが間の抜けた音を鳴らした。
店内に一歩踏み込んだ瞬間、俺たちの動きが止まった。
カウンターには、西園寺総理も、保憲も、有世も、そして両親も、全員が「揃って」こちらを見ていた。葛城を逃がしたという失態と、その後の「3時間の空白」を察している彼らの視線は、気味悪いほどに生暖かい。
「おかえり、晴明。随分と……丁寧な『上書き作業』だったみたいじゃない?」
母ちゃんが口角を上げ、ニヤニヤしながら俺の首筋を指差した。有世は真っ赤になってタブレットに顔を伏せ、保憲は眼鏡を曇らせて「……有世、ホテルの周辺ログの解析はもういいよ」と冷たく言い放つ。
そんな中、親父がすれ違いざま、俺だけに聞こえる掠れた声で囁いた。
「……このアホ。お前、この手の『執念深い女』に手ぇ出したら、どうなるか分かってんのか? ……一生ログインされたまま、システム権限を根こそぎ奪われるぞ。はぁー、情けない……」
親父の深い溜息が、俺の耳に最悪のデバフとして突き刺さった。
なぁ、あんたならどう思う?
敵を取り逃がした失態より、幼馴染との「関係のバグ」のほうが、この街の未来より危うく感じるなんて。
「……やりたかないねー、ホンマによー。……明日、葛城をデリートする前に、俺の人生が強制終了しそうやわ……」




