第十六話:ブラッド・ペイント
「……クハハッ! 素晴らしい、実にいい色だ! 安倍晴明、君のその澄んだ『白』が恐怖に染まる瞬間、私のキャンバスは完成する!」
吸血鬼の権限を強引にインストールした葛城が、狂ったように笑いながら宙に指を滑らせた。その軌跡がそのまま鮮血の絵具となり、空中で鋭利な「銀の鎖」へと実体化して俺たちに襲いかかる。
保憲の分析によれば、俺の氣は「無色透明」だ。だが葛城には、それが極限まで研ぎ澄まされた、穢れなき「白」に見えているらしい。勝手に色を定義して、自分の画材にしようとするその傲慢さが、心底鼻につく。
「ちっ、物理演算を無視して描き込み(レンダリング)しやがって!」
俺は咄嗟に左手を突き出した。無色透明の氣が左手の指輪を通り、白銀の障壁となって鎖を弾く。だが、吸血鬼の自己再生能力を取り込んだ葛城の攻撃は、切っても切っても、キャンバスの筆跡をなぞるように無限に増殖していく。
「晴明、こいつの波長、ぐちゃぐちゃや! うちの浄化の雷がシステムエラーで弾かれよる……!」
道満が必死に白雷を放つが、葛城の周囲に展開された「霧の防壁」に減衰され、デリートしきれない。博雅の黄金の拳も、霧に遮られて決定打を欠いていた。
「……今日はここまでにしておきましょう。最高傑作の完成には、最後に特別な『色』を添えなくては」
高笑いと共に葛城が霧の中へ逃れようとする。「あ、待てッ! 逃げんのか!」と真っ先に反応したのは道満だった。浄化の白雷を纏い、霧の尾を引いて逃げる葛城の背中に飛びかかる。だが、それが葛城の仕掛けた最悪のトラップだった。
「――おっと。そんなに私の画材になりたいのですか?」
霧の中から現れた葛城の手が、道満の手首を掴んで引き寄せる。次の瞬間、葛城の冷たい唇が道満の唇を強引に塞いだ。吸血鬼の権限を介した強制的な「情報の掠奪」。道満の大事な呪のパケットが、唇を通じて葛城へと吸い取られていく。
「……ッ!! んんんんー!!」
道満が激しい雷で葛城を吹き飛ばした頃には、葛城は満足げに自分の唇をなぞり、霧の向こうへと消失していた。
「……う、うう。……うちの、……うちのファーストキスがぁぁぁ!!」
静まり返ったアトリエの床に崩れ落ち、道満が子供のように泣きじゃくる。屈辱という名のノイズで、彼女の精神ログは完全にオーバーロードしていた。
「……おい。いつまでログイン不能しとんねん。不細工やぞ、道満」
俺は彼女の前に跪いた。「汚されたんなら、上書き(オーバーライト)してやりゃあいいんだろ」
「……え?」
道満が呆然とした瞬間、俺は彼女の顎を掴んで、強引に唇を塞いだ。葛城の冷たい感触をデリートするように、熱い熱量を叩き込む。抵抗しようとする道満の舌を、俺はさらに深く、逃がさないように絡めとった。
ファーストキスどころか、「ファーストディープキス」まで一気に強制ログイン。道満の脳内に溜まった葛城のゴミデータが、俺の熱量で一気にクリーンアップされていく。
「…………ぷはッ」
唇を離すと、道満は茹で上がったサーバーみたいに顔を真っ赤にして、酸素不足で肩を上下させていた。潤んだ瞳で、トロンとした上目遣いのまま俺をじっと見つめてくる。
「……すっ、ご……。……何これ、頭の中、真っ白や……」
道満は熱に浮かされたような声でポツリと零した。さっきまでの絶望ログはどこへやら、俺が流し込んだ「上書きパッチ」の余熱に、システムが完全にバグらされているらしい。
「……上書き完了。これで、お前の最初のログは俺のもんだ。文句ねーだろ?」
「…………あんた、……ホンマに、……最低のデバッガーやわ」
道満はそう毒づきながらも、フラフラと立ち上がった。その時、すぐ側で石像のように固まっていた博雅が、ようやく再起動したように乾いた声を絞り出した。
「……あー、悪い。俺、今の今まで自分の存在、完全に忘れてたわ。……というか、今の、俺も『観測ログ』から消していいか?」
博雅は顔を引きつらせ、どこか遠い目をして天を仰いでいる。目の前で繰り広げられたあまりに濃厚な上書き(ディープキス)シーンに、生真面目な武士の氣が完全にフリーズしていたらしい。
「……気にするな。お前の記憶を消去するのも、俺の仕事のうちだわ」
なぁ、あんたならどう思う?
最悪のバグを上書きするために、親友を「空気」にしてまで濃厚なパッチを当てるなんて。
「……やりたかないねー、ホンマによー。……道満、行くぞ。もう葛城の味なんて、一ミリも残ってないやろ」




