第9話 変わらない教室
教室は、いつも通りだった。
「昨日何してた?」
「寝てたかスマホ見てたかのどっちか」
くだらない会話と、笑い声。
誰が何を話しているのかも、もうよく分からない。
それでも、なんとなく面白いから不思議だ。
こういう時間は、嫌いじゃない。
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「……ねえ」
後ろから声がする。
振り返らなくても分かる。
「なに」
「今日、多い」
「何が」
「感情」
短く、それだけ。
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周りを見る。
笑ってるやつ、騒いでるやつ、スマホ見てるやつ。
特に変わったことはない。
誰かが机を引く音がして、少しだけ会話が途切れる。
すぐにまた、元に戻る。
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「別に、いつもと同じだろ」
「……そう」
それだけ言って、紗夜は視線を落とした。
ペン先が、ほんの一瞬だけ止まる。
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「橘ー」
横から声が飛んできた。
「ノート貸して」
見ると、久保春樹がこっちを見ていた。
「いいけど」
「助かるわー、昨日普通に寝落ちした」
机に肘をつきながら、あっけらかんと言う。
反省の色は一切ない。
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「またかよ」
「いや昨日はマジでやばかった」
「何が」
「気づいたら朝。びっくりした」
「それただの寝落ちだろ」
「いや、あれは一周回って事件だろ」
適当なことを言いながら、久保はノートをめくる。
紙の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
その様子を見て、近くのやつが笑った。
こういうやつだから、こいつは好かれるんだろう。
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「てかさ」
ノートから顔を上げて、久保が言う。
「昨日、帰りどうしたっけ」
「は?」
「いや、なんか記憶あいまいでさ」
本気なのか、ただのノリなのか分からない。
「普通に帰ったんじゃねえの」
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「……ああ、普通に帰ったけど」
ほんの少しだけ、間があった。
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「そうか」
軽く返す。
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「……なんかさ」
久保が、もう一度口を開く。
「帰ったのは覚えてるんだけどさ」
「途中が、なんか飛んでるんだよな」
笑いながら言ってるのに、どこか噛み合っていない。
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「まあいいか、覚えてないし」
すぐに自分で流す。
「寝てたら記憶飛ぶんだよな、たまに」
「それはただ寝すぎなだけだろ」
「いやマジで。気づいたら朝だし」
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そのまま、どうでもいい話が続く。
周りも、いつもと変わらない。
笑い声も、雑音も、そのまま。
さっきと、何も変わらないはずなのに、
少しだけ、同じ会話をもう一度聞いているような気がした。
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横で、紗夜の手が止まる。
すぐに動く。
何もなかったみたいに。
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「でさ、今度さ――」
話は別の方向に流れていく。
誰もさっきのことを気にしていない。
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横を見ると、紗夜は前を向いたままだった。
何も言わない。
いつもと同じ、表情。
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ほんの少しだけ、
呼吸が浅い気がした。
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チャイムが鳴る。
昼休みが終わる。
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教室は、変わらないままだった。
少なくとも、見える範囲では。




