第76話:「打算と誤算」
計画通りに行く計画なんて、この世にないことを知りました。
坑道の奥へ、八人で進んだ。
ランタンの光が、岩肌をひと撫でずつ照らしていく。
足元の霧は、奥に行くほど薄くなった。
代わりに、湿気が濃くなった。
岩肌から、薄く水が滲んでいた。
マルクの大盾が、岩肌の凹凸を一度だけ擦った。
低い音が、ほんの一瞬、響いて消えた。
ガルドが、低く鼻を鳴らした。
レインが、最後尾で振り返る音。
それ以外は、八人分の足音だけだった。
奥へ、奥へ。
通路が、わずかに広くなった場所で——
レインが、立ち止まった。
「ここだ」
低い声が、私たちを止めた。
***
レインの指が、岩肌のひと筋を指した。
ランタンの光が、その指の先で揺れる。
岩肌に、薄く、青みがかった線が走っていた。
線の幅は、指一本分。
長さは、私の腕ほど。
——金属の脈。
「これが、噂のやつか」
ガルドが、低く呟いた。
レインが頷いた。
「色も、走り方も、聞いていた通り」
クレアが、杖の先で岩肌の線を撫でかけて、寸前で止めた。
「触らない方が、よさそうね」
「同感だ」
ガルドが続けた。
「いきなり崩したら、何が起きるか分からねえ」
マルクが、大盾の縁を、岩肌から半歩離した。
リーゼが、両手のひらを、輪の中央に向け直した。
ジークが、剣の柄を握り直した。
ラピスが、徽章に触れた。
——採取の構え、ではなかった。
警戒の構えだった。
***
私だけが、別の場所を見ていた。
幻鉄らしきものの、すぐ横。
岩肌が、わずかに平らになった面。
そこに——刻まれていた。
文字、だった。
文字、というよりは——線の連なりだった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
三行。
73話の祝詞と、同じ手の刻みだった。
「アナ様」
ジークが、私の視線の先を追った。
「……何か、書かれていますね」
「ええ」
私は、刻印の前にしゃがんだ。
ランタンの光を、文字の上に動かしてもらう。
クレアが近づいてきた。
「読めるの?」
私は、答えなかった。
刻印に、視線を落としたまま。
文字、というよりは線の連なりを、目で追っていた。
——曙光の四人が、私の顔を見ていた。
クレアは興味深そうに、目を細めた。
レインは何か言いたげに、口を半分だけ開いた。
リーゼは、両手のひらを下ろさないまま、視線だけを動かした。
マルクは盾を構えたまま、私に目を向けた。
私は、刻まれた線に、指の先を、軽く合わせた。
意味が、私の中に流れ込んでくる。
それを、声に出した。
***
「采る者、ここに立ち止まれ」
私の声が坑道の岩肌に、薄く跳ね返った。
「響かせるなかれ」
クレアが、息を呑む音。
「眠るものは、采る者を、許さぬ」
——三行を、読み終えた。
短い沈黙が、ランタンの光の中に落ちた。
クレアが最初に口を開いた。
「立ち止まれ……?」
「響かせるなかれ。許さぬ」
「これは、祝詞じゃない」
「警告ね」
レインが続けた。
「響かせるなかれ、か」
「音、か」
「音を立てたら許さぬ、と」
ガルドが低く鼻を鳴らした。
「……あの触手、音に反応していたな」
「ええ」
クレアが頷いた。
「音センサー型。古語の警告と生態が、合っている」
***
——その時。
私の中で別の声が、薄く立ち上がった。
73話の入口で読んだ、あの三行。
——「実りを采る者、来たれ」
——「響かせるなかれ」
——「眠る道は、実りを采る者を、祝福する」
(——響かせるなかれ)
(——采る者)
私の指の先が、岩肌の刻印の上で止まった。
「クレア」
私は顔を上げた。
「もう一つ、思い出した」
「……何を」
「入口の刻印にも、同じ言葉があったの」
クレアが目を細めた。
「同じ言葉……?」
「『采る者』。それと、『響かせるなかれ』」
私はゆっくり続けた。
「入口は、祝詞だった」
「『実りを采る者、来たれ』」
「『眠る道は、采る者を、祝福する』」
「そして、ここは——」
「『立ち止まれ』『許さぬ』」
レインの目が、わずかに大きくなった。
「入口は、祝福」
「ここは、警告」
「同じ手で、刻まれている」
クレアの杖の先が、岩肌から離れた。
「待って」
「『采る者』を入口で迎えて、ここで止めている……」
「設計されてる」
レインが低く言った。
「この鉱道、ぜんぶ」
***
「最後に、何があるか」
私はゆっくり立ち上がった。
私の声が坑道の岩肌に、薄く跳ね返った。
クレアが考え込むように、杖の先で砂を撫でた。
レインが視線を、奥の暗闇に向けた。
ガルドが低く鼻を鳴らした。
誰も、答えなかった。
——その時。
ジークが、ぽつりと呟いた。
「あの……気になっていたんですが」
「触手の主は、群れも人も、奥に引きずり込んでいました」
「引きずり込んだ先に、何かがある、ということですよね」
「それと——」
ジークの視線が、岩肌の青い線に動いた。
「採るな、と警告されている場所に、わざわざ採りやすい形で出ているというのは」
「……囮、ということでしょうか」
短い一拍。
クレアが目を見開いた。
レインの口が、半分だけ開いた。
ガルドの拳が、ふっと止まった。
「仰々しく書いてあるけど、案外単純なのかもしれないわね」
私は軽く息を吐いた。
「本物は、ここにない」
「触手の主が、運んでいる」
「あの体の奥に、ある」
***
「あの体の奥に、ある」
私の言葉が、誰のものとも分からない沈黙に落ちた。
「……つまり」
クレアが低く言った。
「あの触手を倒さないと、幻鉄は手に入らない、ということね」
「ええ。計画通りいかないものね。」
私は肩をすくめた。
「仰々しい設計の、案外単純な結論ね」
ガルドが低く笑った。
「あの頑固野郎が、待ってるのは、その『単純な結論』の先か」
「鍛冶の素材を、ねえ」
「あいつなら、笑うかもな」
「『お前ら、本当に持ってきやがったな』って」
「……あいつ、何でも『ぬかせ』で済ますからな」
ガルドが、もう一度、低く笑った。
***
レインが、ふと顔を上げた。
「ガル兄。鍛冶屋の名前は」
「ドルン」
「……ああ」
クレアが目を細めた。
「鍛冶郷で噂の、借金まみれの元宮廷鍛冶師ね」
「あの鍛冶屋、とんでもねえ代物を依頼してきやがったな」
レインが低く笑った。
「素材だけで、ガル兄たちのパーティを、ここまで連れてきたか」
「ふん」
ガルドが鼻を鳴らした。
「あいつなら、それくらい吹っかけてくる」
***
「行くか」
ガルドが立ち上がった。
「同じ方向だ」
レインも立ち上がった。
***
マルクが大盾の縁の泥を、岩肌の脇で軽く落とした。
ジークが剣の柄を、もう一度握り直した。
ラピスが徽章に、唇だけで触れた。
リーゼが両手のひらを、もう一度温め直した。
クレアが杖の先を、軽く回した。
準備が、整った。
「奥へ」
ガルドが、奥の暗闇に視線を戻した。
「曙光が案内した先まで」
「あの触手が、いるはずの場所まで」
——八人で、踏み出した。
***
曙光が前を歩いた。
レインが先頭。
ガルドはその後ろ。
——案内されている。
坑道がわずかに広くなった場所で、一度、曲がった。
天井が低くなる。
岩肌の湿気が濃くなる。
二つ目の曲がり角を、抜けた。
レインが立ち止まった。
「ここだ」
***
最後の部屋は、広かった。
——だが。
ランタンの光が、奥に届かなかった。
闇が、上から下りていた。
闇が、左右の壁から滲んでいた。
闇が、奥の通路から湧いていた。
——濃い。
「……こんなに、暗かったか?」
ガルドが低く呟いた。
レインが首を振った。
「いや」
「前は、奥の通路まで見えていた」
「壁の輪郭も、はっきり見えた」
クレアが続けた。
「ランタンを強めても、届かない」
杖の先に、薄い光を足した。
光が半歩先まで進んで、闇に吸われた。
——吸われた。
***
静寂。
触手の気配は、ない。
唸りもない。
咀嚼の音もない。
呼吸の音すら、ない。
「……いない」
レインがぽつり、漏らした。
「ここに、いない」
クレアが目を細めた。
「奥に移動した、ということ?」
ガルドが低く鼻を鳴らした。
「あんな図体が、音もなしに動くか」
——いない。
——だが、暗い。
「……ガル兄」
クレアが、わずかに視線を上に向けた。
「天井、こんなに高かった?」
レインも、同じ方向を見上げた。
「いや」
「前は、天井まで見えていた」
「光が、届いていた」
——上。
ランタンの光が、上に伸びていく。
光が、闇に吸われていく。
天井は、どこにも見えなかった。
(——上)
***
私の中で、何かが上に伸びていく。
あの夜、世界の音が意味を持ち始めた。
飲み込んだスキルが、また薄く起動した。
——今、伸びていくのは音ではない。
気配。
天井の闇の中の、気配。
ランタンの光も声も届かない、その奥。
私のスキルが、闇に薄く触れた。
闇が、応えた。
——いる。
——息を、潜めている。
(——上)
(——本当に、上)
——その瞬間。
天井の闇が、ぐにゃりと動いた。
落ちてくる——
「上ッ!!」
私の叫びと、それが重なった。
***
落下が、終わった。
地響き。
岩肌が、揺れた。
ランタンの光が、ようやくそれを照らした。
黒い塊。
触手が、絡み合っていた。
何本あるか、数える間もなかった。
部屋の中央に、半身が落ち着いていた。
奥の闇に、もう半身がまだ繋がっていた。
——上下が、繋がっている。
「散れッ!」
ガルドの叫び。
——気づいたら、私の体は浮いていた。
ガルドが私を、荷物のように抱えていた。
奥の岩陰に、一気に走り込む足音。
「あなた、そんなスピード出せたの」
「体鍛えりゃおめえもできるぞ」
マルクがジークとラピスを両脇に守った。
レインがクレアとリーゼを後ろに従えた。
(やっぱり、計画通りにいかないものね)
触手が、こちらに伸びてくる。
闇の中から、一本。
そして——もう一本。
そして——
ドルンは幻鉄の正体を知っての依頼だったのか?
それとも知らなかったのか?それとも・・・
さて、因縁の触手と邂逅しました。
曙光とアナパーティが力を合わせて倒すことができるのでしょうか?
そして倒した先には何があるのでしょうか。
次回更新は6/5金曜を予定しております。




