第77話:「私はそれを、笑えなかった」
ここぞという時の嘘は、時に人を悲しませる。
私はガルドを横目で見た。
ガルドが頷きながら、拳を構え直す。
「面倒な野郎だ」
声は、ほとんど出ていなかった。
唇だけが、そう動いた。ように見えた。
——それが分かるくらいには、ガルドと長く、時間を分けてきた。
気づいたのは、たぶん、私だけだった。
——音を立てるな。
坑道に入る前からの、八人の合意だった。
この化け物は、音を喰う。
声を。足音を。金属の鳴りを。
拾った音の数だけ、奥の闇が太る。
幻鉄は、この奥にある。
通るには、こいつを黙らせるしかない。
闇の中から、一本。
そして——もう一本。
そして——
数えるのを、やめた。
剣と杖。盾と大剣。詠唱と、治癒の光と、私の衝撃波。
八人分の構えが、音もなく整う。
——音を立てた瞬間、食われる。
全員が分かっていた。
分かったまま、誰も口を開かない。
来た。
マルクの大盾が、最初の三本を引き受けた。
通したのではない。流したのだ。
流された根元を、レインの大剣が落とす。
ラピスの水が、生え際を削る。
ジークの剣の腹が、押し戻す。
ガルドの拳が、奥へ飛んだ一本を砕く。
私の針が、もう一本を縫って止めた。
息をつく間も、惜しかった。
——一見、戦えているように見えた。
それに気づいたのは、私が一番最後だった。
触手は一本飛ばすたびに、二本生えた。
二本飛ばすたびに、三本生えた。
削れているのは、圧倒的にこちらだ。
体力を。覚悟を。時間を。
数えるのをやめたのは、数えると心が折れるからだった。
(——獲物に、なっていく)
狩りに出かけたはずなのに、狩られる側の呼吸に変わっていた。
声を出せば、喰われる。
だから八人は、まだ一度も、口を開いていない。
クレアの念話だけが、私たちを、一本に繋いでいた。
《ガル兄、盾が——もう、保たねえ……!》
マルクの念話が、頭の奥で軋んだ。
大盾を地に押し付けるように、構え直す。
その腕が震えているのが、背中越しに分かった。
《リーゼの守りも、もう薄いわ》
クレアの念話が続く。
リーゼが張った防御の光の膜が、目に見えて細くなっていた。
両手を重ねて、なんとか保っている。
《核を狙うしか、ありません》
ジークが柄を握り直す。
焦りは声に出さない。念話にも滲ませない。
それでも、握り直す指で分かってしまう。
私は針を絞り直した。
細く。鋭く。
闇の奥を、目で探る。
——けれど、核がどこにあるのか、見えない。
撃つ場所のない針なんて、ただの細い線だ。
念話の中で、一拍。
七人とも、答えを持っていなかった。
——七人とも。
《上だ》
ガルドの念話が、低く割り込んできた。
《あいつは天井から、俺らを嘲笑ってやがる。根が全部、そこからだ。》
《なら、傍観者をこちらに引き込めば、的になる》
闇のもっと先を、ガルドだけが見ていた。
私たちが核を探して下を向いている間、ガルドは、上を見ていた。
《ガルドさん。どうやって、落とすんですか》
ラピスの念話が、硬い。
《跳ぶ》
予想の斜め上の言葉に呆気にとられた皆が、聞き直す前に。
《俺が、跳ぶ》
念話が、一斉にざわついた。
《ガル兄、正気なの。あの高さよ》
クレアの毒が、めずらしく尖っていた。
《ガルドさん、足場もなしに——受けは。落ちたら、誰が受けるんですか》
ジークが、矢継ぎ早に詰める。
——遠ざかる命を、止められなかった男の声だった。
《ガル兄を、一人で行かせられるか》
レインが低く、前に出る。
《無茶だって、ガル兄……!》
マルクまでが、大盾の陰から叫んだ。
リーゼは、何も言えなかった。
防御の光を保つだけで、精一杯だった。
噛んだ唇から、血が滲んでいた。
ラピスは、何も言わなかった。
ただ、胸の徽章を、握りしめていた。
その指が、白い。
——また一人、失うかもしれない。そう思っている指だった。
止めなかったのは、私だけだった。
《で、どうするの?》
ガルドがやると言ったなら、やる。
やると言って、できなかったところを、私は一度も見たことがない。
だから、止める理由が、私にはなかった。
ただ、信じて、待てばよかった。
《——足場をくれ》
ガルドの念話が、ざわつきを一本に束ねた。
《マルク。最初の一段は、お前の大盾だ。蹴り上げさせろ》
マルクが大盾を地に立てた。
《十年前は——ガル兄に、担がれて逃げたんすよ》
《今度は、俺の番っす。ガル兄を、思いっきり、放り上げてやる》
——その念話は、笑っていた。
泣きそうな声で、笑っていた。
《ラピス。氷で、天井まで階段を組めるか》
ラピスが、ようやく、徽章から指を離した。
《……三段が、限界です。それ以上は、私の魔力が保ちません》
《三段でいい。あとは、俺が跳ぶ》
《——ガルドさん。落ちたら、許しませんから》
そう言って、ラピスの杖は、もう水を呼んでいた。
許しません——それは、行かせません、ではなかった。
生きて、戻ってきてくれ。
そう言っているのが、私には分かった。
《リーゼ。ラピスの氷を微調整してくれ》
《……ええ。ガルドさんの歩幅に合わせるわ》
リーゼの念話は、低く震えていた。
震えたまま、もう両手を構え直していた。
《クレア。下から追い風を吹かせてくれ》
《絶対に落とさない。落としてくれって言ってもやめないんだから》
私はガルドの目を見た。
焦りでも、諦めでもない。
私の知らない温度が、そこに灯っている。
——決めた人の、目だった。
止めなきゃ、と思った。
何を止めるのかも分からないまま、そう思った。
けれど、止める言葉は、念話にも乗らなかった。
ラピスの杖から、水が走った。
走った水が、宙で凍る。
一段。
二段。
三段。
天井までの階段が、音もなく立ち上がった。
リーゼが、氷の縁に指を添える。
段の高さが、ガルドの歩幅に、わずかにずれた。
クレアが、両手を下へ向けた。
足元から、ぬるい風が立ちのぼる。
ガルドの背を、押し上げる風だった。
マルクが、大盾を構えた。
《落とした後は、アナ、ジーク、レイン。おめえらに任せるぞ》
そう言い残して、助走を始めた。
大盾を蹴った足が、ガルドの体を宙へ投げた。
一段目。
二段目。
三段目。
最後の段で——ガルドの拳に、青白い光が点った。
見慣れた光だった。
見慣れて、いるはずだった。
いつもなら、拳の先だけが、ほのかに光る。
雑魚には、光らない。
中ボスでも、一閃ぶんだけ。
撃ったら、すぐ消える。
それが、ガルドの灯し方だった。
今日は、違った。
光が拳からあふれて、肘へ這い上がる。
肘から、肩へ。
腕ぜんぶが、青白く燃えていた。
消える気配が、ない。
(——ガルドさん)
そんな光り方を、私は見たことがない。
見たことがないということは——いつものガルドが、絶対にやらない灯し方だ。
分かっていて、跳んだ。
いつもより、ずっと深く灯すと、分かっていて。
拳が、半身の付け根に叩き込まれた。
天井から、何かの剥がれる音がした。
——落ちてくる。
私の番だった。
衝撃波を、針に絞る。
細く。
鋭く。
何本も。
いつもより威力が低いなら、数で攻める。
針の上に針を当て、威力を増してやる。
落ちてくる腹に、撃ち込んだ。
腹を縫う。
首を縫う。
尾を縫う。
(——逃さない)
狩られる側に回っていた呼吸が、もう一度、狩る側へ戻る。
獲物が、地に落ちた。
針に縫われて、もう動けない。
そこへ、二つの影が踏み込んだ。
ジークの剣が、首の付け根を断つ。
レインの大剣が、その上から、心臓を割った。
——静寂。
長い、長い静寂だった。
誰かが、息を吐いた。
吐いて、その場に膝をついた。
その音が合図みたいに、声が戻ってくる。
「やったぁ!」
リーゼだった。
もう、音を立ててよかった。
化け物はもう、音を喰わない。
笑った顔が、年相応に幼く見えた。
マルクが大盾を下ろす。
ジークが剣を納める。
クレアが長い息を、ようやく一つ吐いた。
みんな、生きていた。
全員、生きて、立っていた。
——少し遅れて、ガルドが戻ってきた。
(——遅い)
いつものガルドなら、真っ先に戻る。
誰よりも早く、誰かの前に立つ。
背中で、みんなを隠す。
それが、ガルドだった。
その足取りが、半歩、重い。
私は、最初、気づかなかった。
勝った安堵で、目が緩んでいた。
口の端に、赤い線。
胸の布に、黒い染み。
「ガルドさん!血が!」
「あいつの返り血だ」
ガルドが手の甲で、口の端を拭った。
拭って、笑う。
「派手に、やりすぎた」
笑い方は、いつも通りだった。
いつも通りすぎて——作ったみたいに、見えた。
(——返り血、ね)
そこで、ようやく、目が覚めた。
私は、知っている。
あの化け物の血は、黒い。
さっき針で縫った腹からも、黒い血が噴いた。
ガルドの胸の染みも、黒い。
黒い。
黒い。
——なのに。
口の端に滲んだ、それだけが。
わずかに赤かった。
赤いのは、人の血だ。
それくらいのことは、私が、一番よく知っている。
地下牢で、嫌というほど、見てきた。
ガルドは、それを手の甲で拭って、隠した。
返り血、ということにして。
派手にやりすぎた、ということにして。
誰も、気づかなかった。
リーゼも。マルクも。クレアも。
笑っていた。
勝ったのだから、笑っていい。
——声が、ほとんど出ていなくても。
——唇だけが、そう動いても。
それに気づくくらい、私はこの人を、見てきた。
その輪の中で。
私はそれを、笑えなかった。
音を喰う化け物を、八人で倒しました。誰も欠けずに。
でも、ガルドの口の端に滲んだ、たった一滴の赤い血。
あれが何を意味するのか——気づいたのは、アナだけでした。
幻鉄は、まだ手の中にありません。勝った後に残った、幻鉄よりも大事な小さな違和感という発見。
次回、その正体に少しだけ近づきます。
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いつもお読みいただきありがとうございます。
更新が滞り気味で申し訳ありません。
現在、序盤の展開・文章・読みやすさを大きく見直した【改稿版】を準備しています。
現行版はこのまま残しつつ、
初めて読む方にも追いやすい形になるよう、
アナの覚醒までの流れや仲間との出会いを整理する予定です。
公開時期が決まりましたら、またこちらでもお知らせします。
今後とも、ご愛読よろしくお願いいたします。




