第75話:「読むものと読まれるもの」
王女が王女たる所以。
八人が隊列を解いて、
車座になった。
ランタンの光が、
輪の中央で揺れる。
壁の岩肌が、
その光に淡くなぞられた。
リーゼが背の荷から、
軽食を取り出した。
乾燥肉。
乾パン。
薄い干し果実。
無言で、
それぞれの前に置いていく。
マルクが最初に乾燥肉を齧った。
黙ったまま、
ふた切れ続けて口に運ぶ。
ガルドが低く鼻を鳴らした。
「お前、変わってねえな」
マルクが頷いた。
それ以上は、
何も言わなかった。
***
ガルドが乾パンを齧りながら、
レインに目を向けた。
「で——お前ら、なんでここに」
レインが、
乾パンを半分だけ齧った。
言葉を選ぶ間があった。
「ガル兄。俺たちは——古代遺跡を探してた」
「古代遺跡」
ガルドが、
わずかに眉を上げる。
「読みたい刻印があった。古文の、奥の方の」
「読めたのか」
「途中までは。だが——」
レインが、言葉を切った。
クレアが口を挟む。
「途中までは読めたのよ」
「ただし、読み間違えた」
ガルドが、
視線をクレアに動かした。
「で、奥で何か起こったのか」
「ええ。起動させてしまったの」
クレアは、
坑道の奥の闇を見た。
「あれを」
私の中で、
触手の影がもう一度、ぐにゃりと動いた。
「ふん」
ガルドが鼻を鳴らした。
鼻息に、
薄く苦みが乗っていた。
「で、引けない、と」
「ええ」
レインが低く返した。
「読み損ねた箇所を、放っておけない」
「俺たちが起動させたものを、俺たちが放っておくわけにはいかない」
***
その瞬間。
ガルドの指が、
複雑な動きを始めた。
肩のあたりで、
ひとつ、もうひとつ、形が連なっていく。
複雑な手話のような、何か。
レインの指も、
同じ複雑さでそれに応えた。
——だが、私の目にも入った。
何かは、よく分からなかった。
ただ、勝手に入ってきた。
あの夜、
世界の音が意味を持ち始めた。
飲み込んだスキルが、
私の中で薄く起動した。
今度は音ではない。
指の形が意味を持って、
私の中に流れ込んできた。
——理解する。
意思とは関係なく。
(——知りたいと思ってしまった、私の罪ね)
ガルドの指が描いた、
最初の意味。
——あの時と同じだな。
レインの指が返した、
ふたつ目の意味。
——あの時よりは守れます。
***
その時、
私の中でいくつかの夜が立ち上がった。
過去の夜。
過去の日。
ガルドの背中の、
あちこちの夜。
凍霧の谷の奥で——
ガルドが十年分の拳を、
ひとつだけ打った夜。
巨体の狼の口から、
ガルドが牙をひとつだけ引き抜いた夜。
別の、あの日。
「俺、行ったことある」
「——曙光が、Cランクの頃だ」
ガルドが遠くを見て、
それだけぽつりと言った日。
***
目の前の曙光は、四人だった。
Sランクの剣士と、
Aランクの三人。
——四人。
点と点が、
私の中で薄く線を引きそうになっていた。
線にはならなかった。
ただ、
引きそうになっていた。
(——「あの時」)
レインが、
ガルドに問い返した。
「ガル兄たちは、何の目的でここに」
ガルドが、ぽつりと答えた。
「奥に、欲しいものがある」
「鍛冶の素材だ」
「素材」
「あの頑固野郎が、待ってる」
***
一拍、沈黙が落ちた。
レインの目が、
薄く曇った。
クレアが片眉を上げた。
リーゼがふと、
マルクの方を見る。
「ガル兄」
レインの声が、
わずかに低くなった。
「今のランクは」
「……C」
ガルドが低く返した。
レインが軽く目を伏せる。
「奥は——Aでも危ない」
「Cで踏み込める場所じゃない」
「言われなくても分かってる」
ガルドが、低く返した。
「だが、引けねえ」
(——止められてる、ね)
クレアが杖の先で、
地面の砂を軽くひっかいた。
「悪いけど、ガル兄」
「今回は、私たちで引き取らせて」
「あなたたちは、引いて」
リーゼが頷いた。
マルクも、
無言で頷いた。
***
私は、乾パンを齧り終えた。
口の中で、
薄く塩の味がした。
「あなたたち、古語は読めるの?」
全員の視線が、
私に集まった。
クレアが、
わずかに口角を上げる。
「読めるわよ。ただし、古文の奥は——」
「『古文』じゃなくて、『古語』」
私は、
指の先で坑道の床の砂をひと撫でした。
そして、
記憶に残っていた線を、
それらしく四つ並べた。
正確な古語ではない。
私に古語の知識があるわけではない。
書けるわけでもない。
本物の古語がそこにあれば、
スキルが勝手に意味を拾う。
けれど、
私がそれらしく真似ただけの線では、
何も起きなかった。
意味は、流れ込んでこない。
当然だ。
これは、古語ではない。
ただの、古語っぽいもの。
でも、
それでよかった。
私が知りたいのは、
この四人が本当に古語を読めるのか。
それとも、
古文の延長で分かった気になっているだけなのか。
ランタンの光が、
砂の上の四つの線を揺らした。
クレアが目を細める。
レインが、
じっと見下ろす。
リーゼが、
わずかに首を傾けた。
沈黙。
「……読めない、わ」
クレアが、
ようやく口を開いた。
「これは——古文より、もっと前のもの、かしら」
その瞬間、
私は心の中で小さく息を吐いた。
違う。
古文より前なのではない。
そもそも、
これは文字ではない。
けれど、
彼女たちはそれを断言できなかった。
「そう」
私は、
砂の上の線を見下ろしたまま言った。
「あなたたちが読めないから、今こんな事態に陥ってる訳でしょ?」
クレアの眉が、
ぴくりと動いた。
「待って」
レインが、
静かに口を挟んだ。
「今の言い方だと、君は読めるように聞こえる」
「聞こえるように言ったもの」
私は、
顔を上げた。
「でも、読めるのと、書けるのは違う」
「どういう意味?」
クレアが問う。
私は答えなかった。
答える前に、
ガルドが低く鼻を鳴らした。
「嬢ちゃんは読める」
全員の視線が、
今度はガルドに集まった。
ガルドは、
乾パンの欠片を噛み砕いてから、
面倒くさそうに続けた。
「嬢ちゃんが古語を読めたおかげで、
俺たちは素材も手に入れられた」
一拍。
坑道の中に、
ランタンの火が揺れる音だけが残った。
「俺が保証する」
ガルドの声には、
飾りがなかった。
だからこそ、
嘘には聞こえなかった。
レインが、
私を見る。
クレアが、
砂の上の線をもう一度見た。
リーゼは、
何かを考えるように目を伏せた。
マルクは、
黙ったまま頷いた。
「……なるほどね」
クレアが、
杖の先で砂を軽く払った。
「読める。でも、書けるわけじゃない」
「そういうこと」
私は肩をすくめた。
「本物があれば、読める」
「でも、正しく書けるほどの知識はない」
「だから、今のは試しただけ」
「試した?」
「あなたたちが、
本当に読めるのかどうか」
クレアが、
少しだけ目を細めた。
怒ったようにも見えたし、
面白がったようにも見えた。
「性格、悪いわね」
「生きるのに必要だったの」
ガルドが、
低く笑った。
「……お前は、いつもそれだな」
***
「なら、決まりね」
私は、
立ち上がりかけたガルドの隣に立った。
「引くに引けないなら、行くしかないでしょ」
「あなたたちは、前で戦える」
「私は、本物の古語があれば読める」
「お互い、ないものを持ってる」
「それだけ、よ」
一拍。
誰も、何も言わなかった。
レインが、
目を薄く伏せた。
クレアが、
片眉を上げる。
リーゼが、
口の端をわずかに緩めた。
「ちなみに、今のはなんて書いてあったんだ?」
皆の疑問を、
マルクが代弁した。
砂の上の線は、
クレアの杖で半分消えかけていた。
私は、人差し指を口に当てる。
そして、
不敵な笑みを浮かべた。
「知りたいなら、あなたも勉強すればいいわ」
ジークとラピスが顔を見合わせた。
全てを悟った顔をしていた。
読まれたのは、言葉だけではなかった。
***
「決まりだな」
ガルドが立ち上がった。
順に、八人が立ち上がる。
軽食の包みが、
それぞれの背の荷に戻されていった。
リーゼが、
最後の干し果実をひとつだけ、
ラピスの掌に乗せた。
ラピスが、
わずかに目を開く。
「……ありがとうございます」
「歩く。早めに、口に入れて」
リーゼの声は低かった。
ただし、
温かみのある声だった。
***
マルクが大盾を担ぎ直した。
盾の縁の乾いた泥が、
わずかにこぼれる。
ジークが剣の柄に手を添えた。
握り直す前に、
わずかに息を吸い、止め、吐いた。
ラピスが、
応急の杖を握り直した。
徽章に、
唇だけで何かを呟く。
誰にも聞こえない言葉だった。
クレアが杖の先で、
ランタンの輪を薄くなぞった。
レインが、
大剣を背に戻した。
***
「ガル兄」
レインが、
ガルドの隣に並んだ。
声は、押し殺してはいない。
ただし、低い。
「奥で——それらしいものを見た」
ガルドが、
わずかに視線をレインに動かした。
「鉱石らしきもの」
「青みがかった金属」
「岩肌に、薄く線になって走っていた」
レインが続ける。
「素人目だが——幻鉄、かもしれない」
(——あら)
私は、
ランタンの光の中で、
わずかに口の端を上げた。
「奥に向かう途中で見たのか」
「ええ」
「位置は」
「読み損ねた刻印の、ふた部屋手前」
「——ふた部屋」
ガルドが、低く繰り返した。
「あら、好都合じゃない」
私は、ガルドの隣に立った。
「あなたたちが向かう先と、同じ方向、ということでしょう?」
(——情報まで、ついてきた)
「決まったな」
ガルドが、
レインに視線を戻した。
***
八人の位置が、
もう一度決まった。
先頭に、マルク。
両手に、大盾。
その右後ろに、ガルド。
左後ろに、ジーク。
剣の鞘の口を、
軽く開けている。
中央に、私。
そのすぐ後ろに、ラピス。
さらに左右を、
クレアとリーゼが固めた。
殿は、レインだった。
大剣の柄に、
指を添えていた。
——隊列が、整った。
***
「行くぞ」
ガルドが、
奥の暗闇に向かって、ひと言だけ転がした。
ランタンの光が揺れる。
八人分の足音が、
揃って一歩、踏み出した。
——坑道の奥の、暗闇に。
陰謀渦巻く帝国で身につけたアナの処世術。
この場でブラフを決めるのは、さすが女王を目指す王女
さあ、曙光との臨時パーティはどうなるのか。
互いの欲しいものを手に入れられるのか。
次回は5/29(金)です




