第71話:「五つの覚悟」
後悔先立たず。ただ、その後悔をどう次に生かすかで人の価値は決まる。
医務室を出ると、夕日はもう、地平線の向こうに沈み切っていた。
代わりに、月が薄く高く昇っている。
(早く、横になりたいわね)
そう思ったところで、ふと、頭の隅に、何かが引っかかった。
(——あら)
足が、止まった。ガルドが、半歩先で振り返る。
「どうした、嬢ちゃん」
「ドルンのとこ、まだ顔出してないわよ、私たち」
ガルドが、しばらく口を半開きにして、私を見ていた。
それから、低く笑った。
「あの爺さん、酒の瓶を空けて、待ち草臥れてる頃合いだな」
(ナーガに気を取られすぎた)
言い訳は、口にしなかった。
***
ドルンの工房の戸を叩くと、奥から、ふん、という、聞き慣れた鼻息が、返ってきた。
「来やがったな、宮廷育ち」
「夜分に、ごめんあそばせ」
戸を開けると、机の上に酒瓶が一本、いや二本置いてあった。中身は、半分ほど減っている。
(——やっぱり、飲んでた)
腰の包みから、二つを取り出した。
凍霧の結晶。
溶岩鉱脈の芯。
机の上に、並べる。
ドルンの目が、わずかに開いた。
凍霧の結晶を、ごつい指でつまみ上げ、残り火の薄い光に透かした。
「……綺麗、だな」
低く、漏れた。
「綺麗、ね」
私は、唇の端を、軽く上げた。
「寒い谷で、半泣きで取ってきたやつよ。綺麗だなで終わらせないでよ」
「そりゃどうも、ありがとうございました。って
お前らの武器のためだろ。」
ドルンが、低く笑った。
「ガルド。嬢ちゃん、半泣きだったか」
「本泣きの一歩手前だ」
「違うわよ、まつ毛についた氷が溶けたのよ」
ラピスとジークの口元が、わずかに緩んだ。
——硬さが、ほんの少しだけ、抜けた。
***
ドルンが、次に、芯を、つまみ上げた。
指が、ほんの一瞬、止まった。
ドルンは、芯を頬の高さまで、ゆっくり持ち上げた。
内側の赤い脈が、皺の中の目に映っている。
炉の中の、消えかけた残り火が、ぱち、と一度だけ鳴った。
ドルンが、芯を、机の中央の白い布の上に、戻した。
——大切に、扱っていた。
口では文句を言いながら、指は、宝物を扱う指だった。
「……お前ら」
低い声だった。
「もうひとつ、頼めるか」
一拍。
「幻鉄」
工房の中の、空気が、止まった。
——あとでいい。腕が戻ってたら、もってこい。
「あの時は、お前らの腕も、俺の腕も、まだ足りてねえと思ってた」
ドルンが、頭を軽く掻いた。
「だが——お前らが、ここまで来やがった」
「俺の方が、追いつくしかねえだろ」
一拍。
「頼めるか」
「あら?私たちのための材料だったんじゃないの?」
ドルンが、低く笑った。
そして、槌になりそうな重たい頭を垂れた。
「この通りだ。」
私はあざとく、わざとらしく考えたフリをして
「ですってよ、ラピス。」
「僕ですか?!」
「元はと言ったら、あなたが言い出したんでしょ」
「皆さん、やりましょう!」
ラピスが、わずかに、頷いた。
ジークが、一度、まばたきをした。
ガルドは、何も言わなかった。
私は、ドルンを見た。
「行くわよ」
「ええ。覚悟を、決めるわ」
ラピスが、続けた。
「もとから、保留にしていただけです。取りに行く約束は、消えていません」
ドルンが、ふん、と鼻を鳴らした。
「いい返事だ」
それから、目を、細めた。
「だが、お前ら、自分たちのランクは、分かってるか」
「Cランクよ」
「あぁ。幻鉄の場所は、お前らの足じゃ、表からは届かねえ」
工房の空気が、もう一段、引き締まった。
「だから——俺の方で、段取りは、つけてある」
ドルンが、机の引き出しから、一枚の地図を取り出した。
赤いインクで、ひとつ、印が、つけてある。
「幻鉄が、ありそうなところ、付近」
「お前らじゃ、Aランクの依頼は、受けられねえ」
「だから、Cランクの依頼を、ギルドに仕込む。
幻鉄付近の、別件のクエストとしてだ」
「お前らは、それを、受理しろ」
「依頼の中身は、こなしてもいい。途中で寄り道して、幻鉄を、取ってくる」
「表向きは、Cランクの仕事。裏で、Aランクの場所に、踏み込む」
「ふん。鍛冶屋が、ずいぶん、悪知恵が回るのね」
「宮廷で、剣を打ってた頃の、土産話だ」
ドルンが、地図を、机に伏せた。
「俺は、今夜のうちに、ギルドに話を通しておく」
「お前らは、明日、夜明け前に、ギルドに行け。
掲示板に、Cランクの依頼が、貼られてる」
「中身は、見れば分かる」
「で、だ」
ドルンが、わざとらしく音を鳴らし机に両手をついた。
「お前らが、幻鉄を取ってきたら、いよいよ、本番だ。
打つもんを、聞いておく」
***
最初に口を開いたのは、ラピスだった。
「私は——守る力が、欲しいです」
「守る力、ね」
「ただし、本当の守りでは、ありません」
ラピスの指が、胸元の青い石に触れた。
確かめるような触れ方だった。
「攻めは、最大の防御、それが兄上の口癖でした。」
「兄上を、守れませんでした」
一拍。
「ナーガも、守れませんでした」
ラピスの喉が、もう一度、動いた。
「だから、強くなりたい。攻撃力で、守る、矛盾した武器を」
「その矛盾を抱える覚悟で、僕は、握ります
兄の言葉だけでも守っていきます。」
ドルンが、しばらくラピスを見ていた。
それから、紙片に何かを書きつけた。
「青い石は、軸にする。鞘から抜く瞬間に、徽章の魔力が、刀身を通る」
「一閃だけ、攻撃に変わる」
「外したら、二の太刀は、ねえ」
「——構いません」
ラピスは、深く頷いた。
「兄上はいつも一撃」
***
次に、口を開いたのは、ジークだった。
自分の両の掌を、見下ろしていた。
それから、ゆっくり、顔を上げた。
「私には、剣を」
「騎士の剣か」
「ただ、斬るための剣では、ありません」
ジークの目が、医務室の方向を、一度見た。
そして、自分の握り損ねたままの両の掌に、戻った。
「敵なら、斬れます。道なら、進めます。けれど——」
「遠ざかっていく命を、どう止めればいいのか、私には、分かりませんでした」
「振るう前に、何かを止められる剣を」
「振るったあとに、何かを繋ぎ止められる剣を」
「斬る以外のことも、できる剣を、お願いします」
ドルンが、しばらくジークの顔を見ていた。
それから、こう言った。
「お前さん、それ、剣の話か」
「——」
ジークの目が、揺れた。
ドルンは、それ以上は追及しなかった。
「剣身の片側を、刃に。もう片側を、平らにする」
「振るう前に、平らな面で、止められる。振るったあとに、平らな面で、抱えられる」
「どっちを向けて構えるかは、お前さんの判断だ」
ジークが、ゆっくり頷いた。
「お願いします」
***
「ナーガの分は、私たちが代弁するわ」
ラピスが、頷いた。
「治癒の力を、防御に転用できる装備を」
「自分の体を、治癒で守れるように。
あの子の体の弱さは、もう、見ていられないわ」
「武器ではなく、アクセサリーか」
ドルンが髭を触りながら、考え込んだ
「治癒の魔力が、常時、薄く本人を包むような装具ってのは無理なのか?」
「ガルドさん、そりゃいくら何でも」
ガルドのトンデモ理論を魔道士のラピスが突っ込んだ。
「できるぞ。それこそ宝石国に行ってた時に、そういう術式を学んだ気がするぞ。」
「世の中、何が起こるか分からないわね。」
ラピスとドルンの目が軽くあった。
「ナーガ本人の治癒の波形を、組み込まねえと、ならねえ。あいつが起きたら、見せてもらおう」
ラピスの声が、わずかに明るくなった。
「起きたら、必ず」
***
私の番だった。
ドルンの机の縁に、軽く肘をついた。
「私は——集中力を上げる、アクセサリーを」
「あと、使う魔力が、減るやつ」
ドルンが、首を傾けた。
「お前さん。内側に、相方が、いる時の用かよ」
眉が、一瞬、上がった。
「俺ぁ、鍛冶屋だ。素材を見れば、術者の使い方も、見えてくる」
何も、言わなかった。
ドルンも、それ以上は聞かなかった。
「いいぜ。耳飾りと、指輪の、二つで一組だ。集中力は二倍、使う魔力は半分」
「声を拾う精度も、上がる」
「——声を、拾う」
その言葉を、繰り返した。
ドルンが、にやり、と笑った。
「お前さんの言語理解は、世界の音を意味に変えるレベルだろう。
耳飾りで、その閾値が下がる」
「風に消える声まで、聞こえるようになる。
そうなりゃ、眠ってる嬢ちゃんの負担も減るだろう」
——あの夜、ゼノスが、風に消した「ありがとう」。
あれの、もう一段、上の段階、ということだった。
「なぜわかったの?」
「鍛冶屋の目を舐めるんじゃねえってことにしとけ」
腑に落ちないが、これ以上聞いても何も出てこないことは
流石のアナでも分かった。
***
そして最後に、口を開いたのは、ガルドだった。
入口の柱に肩を預けて、ずっと聞いていた。
腕を、組んでいた。普段のおふざけが、なかった。
「俺は、攻撃力アップだ」
「以上だ」
工房の中の空気が、一瞬、止まった。
ドルンが、ガルドを見た。
「……以上、か」
「以上だ」
ガルドの目は、平らだった。
ドルンが、しばらく、見ていた。
私も、横目で、見ていた。
ラピスとジークは、互いを見て、何かを言いかけて、やめた。
ドルンが、ふん、と鼻を鳴らした。
「分かった」
それ以上は、何も聞かなかった。
これ以上聞いても何も出てこないことは
言わずもがなだった。
***
ドルンが、五人分の紙片を、束ねた。
「素材は、足りねえ部分もあるが、
お前らはとにかく明日、夜明け前に、ギルドへ行け。
掲示板の、Cランクの方だ。あとは俺がうまくやっておく」
私たちは、頷いた。
工房を出る時、ガルドが、入口で、ふと足を止めた。
振り返って、ドルンを見た。
ドルンも、ガルドを見た。
何も、言わなかった。
ガルドが、軽く顎を引いた。
ドルンが、ふん、と鼻を鳴らした。
——その鼻息は、私たちに向けたものでは、なかった。
***
ドルンの小屋から出ることには月は真上をすぎていた。
(——何か、ガルドが、ドルンに言いたいことが、残ってる)
たぶん、気のせい。
そういうことに、しておくしか、なかった。
軽く、息を吐く。
宿の灯りが、薄く見えてきた。
明日、ギルドの掲示板に、何が貼られているのか。
明日、私たちが、何を取りに行くのか。
(覚悟、ね)
アナの覚悟とは別に、ガルドもまた覚悟を決めていた
それぞれの想いを口にした中
ガルドだけ、奥歯にものが挟まったような印象ですね。
どうしたんでしょう。
彼の覚悟はまた明日、明らかになります。
そして、ランクCのパーティーがランクAのクエストに挑む時。
何が起こるのでしょうか。
次回更新は5/20夜を予定しております。




