第70話:「姫」
今日は駆け足です
扉が、開いた。
その先は行きとは違い、明らかに人工的だった。
見た目だけではない。
火山の熱は消え、換気のための風すら
心地いいものだった。
「帝国様様だな」
天井に淡い光が等間隔で落ちている。
両側の壁に、ご丁寧に印章が彫り込まれていた。
(——)
息が、うまく吐けなかった。
十数年過ごしてきた、城の地下とは似ても似つかない。
ただ、不気味なほど圧迫感を感じた。
「気味が悪ぃ」
「そうね」
(誰が、これを、ここまで運んだの)
(運んできた人間が、何人いるの)
(——そして、何人、消えたの)
「行くぞ」
そんな感傷から剥がしてくれら声が今の私にはいる。
時間は、1/3も残っていない。
カリナの足跡は、まだ薄く、奥へ続いている。
***
通路を歩きながら、壁の印章を、目で追った。
帝国軍の紋章の、下に。
小さな文字が、刻まれている。
(——読める)
頭の奥で静かに巡る。
言語理解のスキルが勝手に翻訳してくれる。
“火山系鉱脈・芯”
“規格・第三世代”
“加工後用途——照明、暖房、駆動補助”
文字の下に、簡素な図表。半透明の塊。
内側に、赤い脈のような筋が走っている。
——もしかして
顔を、上げた。
「ガルド」
「あ?」
「上、見て」
ガルドが、首を傾けた。
光の中の赤い脈を、しばらく見つめた。
それから、眉間の皺が深くなった。
「……あれ、芯か?」
「芯よ。壁の規格に、書いてある」
「あいつら、芯を、明かりに、してんのか」
「掘り尽くした側の、余裕ってやつね」
ガルドが、息を吐いた。何かを言いかけて、飲み込んだ。ドルンと、同じ顔だった。
***
わざわざガルドに頼むまでもない。
あんな屈辱はもうごめんだ。
影を、足元に呼んだ。
——出ない。
地面から、黒い塊が立ち上がろうとして、
すぐに崩れた。形にすら、なれなかった。
影の蛇は、地面の上で薄く滲んで、消えた。
(——あら)
頭の中で、何かを待ってみる。
いつもの、甘い声を。
しない。
返事も、お小言も、ない。
(……静かね)
(いつもなら、何か、言ってくるのに)
胃の底が、軽く冷たくなった。
(まあ、気分屋ね、あの子も)
唇の端を、軽く上げる。
(——まあ、いつか起きるでしょう)
そう、決めつけてしまった。
「ガルド」
「あ?」
「あれ、取りたいんだけど」
「影で、取れねえのか」
「今は」
それ以上は、説明しなかった。
ガルドも、聞き返さなかった。
ガルドが、ふん、と鼻を鳴らした。
「貸せ」
「は?」
「今度はお姫様を肩車をして差し上げよう」
(——肩車って何よ。さっきよりはマシなはずよ)
「キャッ!」
軽い悲鳴をあげると同時に体重が、ふっと消えた。
と思ったら、天井が、近くなった。
「姫、景色はいかがですか?」
「わ、悪くはないわね」
「ウチの姫はかわいくねえな」
そんなガルドの小言を受け流すほど、
芯に見惚れてしまった。
光源は、思ったよりも薄い、ガラスの殻に包まれていた。赤く脈打つ塊が、ゆっくり息をしている。
これを最初に見つけた人間は、たぶん、息を呑んだはずだ。炉の中でしか会えない素材が、火の中に置かれずに、ただ空気の中で、脈を打っている。
ドルンなら、抱きしめるかもしれない。
帝国の誰かは、抱きしめなかった。
ガラスで囲って、廊下に、ぶら下げた。
——使えるだけ、使えばいい。
そういう、整え方だった。
手を、伸ばす。殻の留め金は、簡単な作りだった。
外すと半透明の、赤く脈打つ塊が、
私の掌に——ことり、と収まった。
熱が、まだ内側で動いていた。
心臓を、手のひらで握ったような感触だった。
「やっと、あなたも報われるわね」
口の端を、上げる。
残りの光は、まだ規則的に、落ちている。
廊下の奥まで、ずっと続いている。
「もらえるだけ貰っていくわよ」
***
カリナの足跡が、廊下の奥へ、まだ薄く続いていた。
岩盤の凹凸の、影の側に。
書類の束を抱えて走った人間の歩幅。
多分、これを辿ると出口に着くはずだ。
「鉱脈の方は、これで片付いたわ。」
「あいつはどうする?」
「また後ろから付いて来るわ。」
ガルドが、頷いた。短かった。
こういう時、ガルドは議論をしない。
私が決めた道に、ただ付き合う。
——背中を、預けている、ということだった。
***
分岐があった。
左は、さらに奥へ。
右は——わずかに、上向きに傾斜していた。
風が、来た。
火山の硫黄でも、機械の冷たさでも、なかった。
土と、木と、わずかに街の煙の匂い。
(——地上)
「こっちだ」
ガルドが、先に踏み込んだ。
通路の天井が、徐々に低くなる。
人工の光もまばらになり、最後の方は、
岩肌の隙間から漏れる、外の薄明かりだけになった。
通路の終わり。外からは——
たぶん、苔と岩肌に紛れて、見えない。
ガルドが、押し開いた。
森の縁の、苔の匂いが、流れ込んできた。
赤い夕日が、傾いていた。
街道は、見えなかった。
だが、煙突の煙の筋が、薄く東に見えていた。
鍛冶郷アンボスの煙。
息を、吐いた。
「——戻ってきたわね」
「ぎりぎりだ」
ガルドが、片膝をついた。
広い背中が、また、夕日の中に置かれた。
「掴まってろ」
「……もう慣れたわ」
両腕を、回した。ガルドが立ち上がる。
地面が、遠くなった。走り出した。
火山地帯から抜けたばかりのガルドの足は、それでも、まだ力強かった。息は、少し上がっている。それでも、止めなかった。
ただ、運ばれていた。
(——便利な男ね)
ただ、楽だから。ではない。
便利という言葉は目的と成果が結びついた状態をいうらしい。
(私はあの子を便利に使いすぎたのかもしれないわね)
***
医務室の扉を、開けた。
部屋の中の空気の重さが、最初に肌に刺さった。
夕日の赤が、まだ半分残っていた。
ラピスが、青い石を両手で握ったまま、振り返った。
「アナ様」
ジークが、ナーガの手を握り続けていた。
ナーガの唇は、まだ白かった。胸が上下している。 ただし、その動きは薄かった。
影の鞘を、解いた。
紅い、揺れる赤の葉が、ガラス越しに空気に触れる。
熱が、ふっと流れた。
「炎息草よ」
ラピスの手が、紅い葉を受け取った。
「煎じて、飲ませて」
「冷えを、追い出す方向で」
ラピスの目が、わずかに揺れた。
「内側の冷え」という言葉を、誰から、いつ、聞いたのか。私は、知らない。
だが、ラピスの目は、もう、知っている目だった。
「分かりました」
医者が、すぐに湯を用意した。
紅い葉が、湯の中でほどけた。
湯気が、立ち上がる。
ナーガの唇に、湯気の、薄い紅が含まされた。
——一拍。
ナーガの胸が、上下した。
一度。
二度。
三度。
四度。
「……戻りました」
ラピスが、息を吐いた。
「呼吸が、戻りました」
ジークが、ナーガの手を握ったまま、目を閉じた。
肩が、ひとつだけ、大きく動いた。
完全な回復では、なかった。
ナーガは、まだ目を開けない。
だが、白い息は——もう、止まらなかった。
ラピスが、青い石を握り直した。
その指先が、わずかに震えていた。
震えを、誰にも見せたくないのだろう。
私は、見ないことにした。
「……ありがとうございます、アナ様」
ラピスが、頭を下げた。
「あんたのためにやったわけじゃないわよ」
「分かっています」
ラピスの口の端が、ほんの少しだけ、上がった。
「分かっていますよ、アナ様」
何も、言わなかった。
ジークの、ナーガを握る手の上に、
夕日の最後の赤が落ちていた。
ちょっと書き出したら15000文字を優に超えてしまい、
切りどころを探しつつ、削りつつで更新が滞ってしまいました!申し訳ありません!
今日から3日連続で更新していきます。
そろそろ鍛冶の里から次の目的地に向かうため、スピードアップしていきます!
さて、無事全ての材料が揃いましたが、
ナーガを助けることでいっぱいで、
何かを頼まれたことを忘れています。
どんな武器が出来上がるのでしょうか。
次回更新は5/20(水)夜です。
よろしくお願いします!




