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〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第六章「鍛冶郷アンボス編」

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第69話:「忘れかけてたフルネーム」

今日は長めです。


通路の奥で、また唸り声がした。


獣ではない。

人でもない。


岩壁の向こう側で、何かがこちらを待っている。


そんな音だった。


隣で、ガルドの拳がゆっくり握られる。

だが、まだ青白い光は出ていない。


まだ、切迫した事態というには早過ぎた。


「行くぞ」


ガルドが先に進む。

私は半歩遅れて、その背中を追った。


炎息草の鞘は、まだ熱を保っている。

じくじくと火を抱えている暖かさが、

この空間では逆に安心材料になっていた。


奥へ進むほど、天井が低くなる。

壁が近い。

息を吸うたび、硫黄と鉄の匂いが喉に張りついた。


そして通路の終わりに、もう一つの空洞が口を開けていた。


***


灯りはない。


岩壁の亀裂から漏れる赤い光だけが、広間の底を鈍く照らしている。


最初に見えたのは、似つかわしくない鎖だった。


極太の鋼の鎖。

何重にも巻かれ、岩盤に打ち込まれた杭ではなく、広間の中央にそびえる柱へ繋がれている。



「嫌な予感がするな」

「同感ね」



その柱の根元で、何かが動いた。


ゆっくりと、立ち上がる。


二足歩行に見えた。

けれど、すぐに違うと分かった。


腕には肘が二つ。

脚には膝が三つ。


胸の中央では、皮膚のすぐ下で何かが脈打っている。

心臓に似ていた。

でも、心臓と呼びたくないものだった。


そいつの顎が、音もなく開く。


歯はない。

代わりに、骨のような白い棘がびっしり生えていた。


咆哮もない。

息遣いもない。


そして、額に認識番号がない。




間違いない。


鍛冶郷の地下にいた、あの無言の獣。

その同類だ。


ガルドが私の肩を引いた。


「下がってろ」

「頼まれなくても下がるわよ」


私は短く返し、影を足元に沈めた。



***



その時だった。


広間の奥。

岩壁の影が、わずかに揺れた。


人だ。



軍服。

後ろで固く束ねた黒髪。

腕には、分厚い書類の束。


女は私たちを見た瞬間、凍りついた。


「……あなた、たち」


声は冷たい。

けれど、その冷たさの奥で、何かが崩れる音がした。



予定が狂った音だ。



「カリナ・ヴォルツ」


私が名を呼ぶと、女の顎がわずかに引き締まった。


「お久しぶり、と言うべきかしら」


わざと唇の端を上げる。


背中を向けて消えた人間が、

わざわざ証拠隠滅のために、地下まで来ている。

律儀なことだ。

帝国の立派なポチと呼ぶには足りないくらいの忠犬だ。



ガルドが鼻を鳴らした。


「クロッサードからこっち、寒くなかったか?」


カリナの目が細くなる。


「……気付いていたの」


「ええ。とっくに」


私があっさり言うと、カリナの瞳が一瞬だけ揺れた。


「あなたの報告書は、あのお方に読まれているかしら」

「なんの話かしら?」

「さて、あなたの胸に聞いてみたら?」

「確かに、お姫様のお胸よりは聞き応えがあると思うわよ」


静かな牽制。


静寂を破ったのはガルドが笑いを噛み殺した音ではなかった。

背後で、鎖が悲鳴を上げた。



その刹那。声にならない音と共に

キメラが暴れ出した。



鋼の鎖が軋む。

柱が根元から鳴る。



メキ、メキ、と岩盤が割れていく。



「……間に合わなかった」


カリナが舌打ちし、書類を左脇に抱え直した。


「あなたたちのせいよ」


「は?」


ガルドが眉を寄せる。


カリナは冷たい目で言った。


「私が来た時には、もう目を覚ましていた。

 誰かが扉を開けたから。鎖が持っているうちに、

 書類だけでも回収するつもりだったのに」



火山の門。

古代刻印。

私たちが踏み込んだからか。


それとも、もっと前に誰かが起こしたのか。


「おめえさん。捨てられたんじゃねえか?」

「で、全部燃やすつもり? その書類も、そこの化け物も」


カリナは答えない。


ただ、書類を抱く腕に力が入った。


次の瞬間。


轟音。


柱が岩盤から抜け落ちた。


解き放たれた鎖が宙を叩き、キメラの巨体が跳ねる。

四歩。


たった四歩で、距離が消えた。


「三つ巴か」


ガルドが低く呟き、両拳を構えた。



***



キメラの腕が薙ぎ払われる。


軌道が読めない。


肘が二つあるせいで、普通なら止まるはずの角度から、さらに曲がる。

避けたはずの一撃が、もう一度こちらへ戻ってくる。


私は影の蛇を細く伸ばし、奴の足元へ走らせた。


絡め取る。


そう思った瞬間、三つの膝が奇妙に折れた。

脚が逆にたわみ、拘束をするりと抜ける。


関節が多い。

逃げる方向が多すぎる。


「厄介ね」


ガルドが横から拳を叩き込んだ。


まだ青白い光はない。

それでも、胸の中央で脈打っていた何かが潰れる音がした。


ぐしゃり。


だが、止まらない。


キメラの体が内側からねじれる。

潰れた場所を避けるように、別の血流が動き始めた。


『お馬鹿さんね』


頭の奥に、あの声が落ちた。


『その子、心臓が一つじゃないのよ』


「……いくつあるの」


『さあ。四つかしら。もっとかもしれないわね』


視線を切ると、カリナが岩壁に背をつけていた。


逃げてはいない。

書類を抱えたまま、私たちとキメラを同時に観察している。


けれど、目の端に揺れがある。


ガルドは、それを見逃さなかった。


「あんた」


戦闘の合間に、低い声が響く。


「これ、心臓を四つも持ってる化け物だな。よく作ったもんだ」


カリナは答えない。


「鍛冶郷のやつは片言を喋ったぞ。あっちが先か? こっちが先か?」


「……どちらも、過程よ」


言ってから、カリナ自身がわずかに目を細めた。


こぼした。


ガルドが薄く笑う。


「過程、ね。何の?」


「答える必要はないわ」


「答えなくていい。こっちも退屈凌ぎに、雑談してるだけだ」


ガルドの拳がキメラの顎を跳ね上げる。

異形の首が、ありえない角度に傾いた。


「兵器の、規格化」


カリナがぽつりと漏らした。


「規格化?」


「同じ仕様で量産する。輸送する。そして、配備する」


ガルドは返事の代わりに、キメラの脇腹へ重い一撃を入れた。


「配備、ね」


カリナはもう黙った。


だが、舌打ちが聞こえた。

硬い岩壁に反射して、やけにはっきりと。


兵器の規格化。

量産。

輸送。

配備。


戦争準備は、もう実験段階を過ぎている。




***




キメラの巨体が震える。


潰したはずの鼓動が止まり、別の場所で新しい鼓動が始まる。


ガルドの拳が三度入る。

胸の中央は完全に陥没した。


それでも、倒れない。


背中側で、また脈が打つ。


私は影の蛇を四本に増やし、異形の関節を狙った。


肘を砕く。

膝を折る。

腱を断つ。


それでも動く。


時間の感覚が薄くなっていく。


熱い。

いや、違う。


火山の熱が増しているのではない。

私の体温が上がりすぎている。


時間がない。


血の気を失ったナーガの唇が、脳裏にちらついた。


ガルドが大きく拳を引く。


今度は違った。


その手に、青白い光が宿っている。

タイムリミットまで遊んでいる暇はない。


呼吸が深く沈む。

ガルドの視線は、よじれた胴体の奥を見ていた。


四つの心臓ではない。

さらに奥。


本物の核。


その横顔に、一瞬だけ別の影を見た気がした。


この匂いを、彼は知っている。

同じような惨劇を、どこかで見てきたのだ。


でも、聞かない。

ここで口にしていいものではない。


閃光。


ガルドの拳が放たれた。


皮膚を裂き、肉を穿ち、偽物の心臓をすべて無視して、ただ一つの核だけを貫く。


砕ける音がした。


断末魔はなかった。


キメラは、よじれた姿勢のまま岩盤へ崩れ落ちた。




***




私は荒い息を吐き、片膝をついた。


顔を上げる。


カリナがいない。


書類の束ごと、消えていた。


「ガルド」


「ああ」


ガルドも肩で息をしている。

その額から汗が落ちるより早く、私は立ち上がった。


「戻るわよ」


「あ?」


「時間がない。普通に走っても、もうギリギリ間に合わない。鉱脈は諦める。今はナーガを生かすのが先」


来た道へ駆け出そうとして、二歩で足が止まった。


「嬢ちゃん」


背後からガルドの声。


「そういや、あいつ。どこに逃げた?」


床を見る。


カリナの足跡は、来た道へ向かっていない。

破壊された柱のさらに奥。


岩壁の影に沿って、人ひとり分の跡が薄く続いている。



「……奥へ行ってる」

「だな」

「逃げるなら普通、来た道を使うはず。それをしなかったってことは」

「使えない理由があるか、もっと早い道があるか」



ガルドが足元の紙片を、靴先で裏返した。


カリナが落とした書類の切れ端。


そこには、短くこう書かれていた。


『火山系適応個体——回収済』

「回収済、か」



唇を噛む。

私たちが雑兵を相手にしている間に、目当ての素材はもう運び出されていた。



「搬出ルートがあるってことね」


「確実にな」


「で、どうする?」



ガルドの問いに、頭の中で道筋を並べる。



来た道を戻る。

たぶん、間に合わない。



カリナの消えた奥へ進む。

近道かもしれない。

けれど、さらに深い場所へ引きずり込まれるかもしれない。



賭けだ。

嫌になるほど、分の悪い賭け。



「……追うわよ」

「乗った」




***




岩壁の影に隠された道は、人工の通路だった。


新しく掘られたものではない。

もともと存在していた道を、岩で塞ぎ、煤で塗り潰し、雑に隠していた。

カリナの靴底が煤を剥がし、その輪郭を暴いたのだ。



「ここだけ、空気が違う」

「妙に整いすぎてやがる」



二人並ぶには狭い。

ガルドを先頭に、私はその背を追う。



進むほど、岩壁の温度が下がっていく。

火山の鼓動とは違う、冷たい振動が足の裏から伝わってきた。



そして、通路は唐突に終わった。


目の前には、黒い金属の扉。



鋼より薄い。

けれど、見るだけで分かるほど硬い。


中央には銀色の盤面。

小さな丸い窪みの奥で、薄青い光が瞬いている。



「なんだ、こりゃ」


ガルドが顔を近づける。


「ちょっと、触らないで」

「触ってねえよ」

「覗き込まないでって言ってるの!」



私が叫んだ瞬間、青い光が弾けた。

直後。




岩壁から、五本の細い矢が射出された。




狙いは、ガルドの首。




ガルドの右手が消えた。

次の瞬間には、矢の束を空中で掴んでいた。

矢じりは掌の皮膚を一ミリだけ押し込み、そこで止まっている。


血は出ていない。


「なるほどな」


ガルドは矢を握り潰したまま、息を吐いた。




「網膜認証か。登録外が覗くと、この歓迎ってわけだ」

「呑気に分析してる場合じゃないでしょ」

「気をつけろ。あと一回分は残ってる」




ガルドが顎で射出口を示す。

暗がりの中に、まだ次の矢が眠っている。




「嬢ちゃん」

「何よ」

「お前が覗け」

「は?」



思いきり睨みつけた。



「私を次の的にする気?」

「いや」




ガルドが意地悪く笑う。



「お前なら通る気がする」

「根拠は?」

「勘だ」

「最低」

「最低だが、当たる方の勘だ」

「矢が私に当たる方の勘?」

「かもな。ただ、この扉を抜けねえとゲームオーバーだ」

「そうね」

「来た道を戻ってもこの仕掛けがあるってことはあっちも行き止まるはずだ。

 つまり、待ってるあいつも、俺らも天国行きだ」

「あなただけは地獄行きよ」

「根拠は?」

「勘よ」

「最低だな」




ため息をついて、盤面に近づいた。


問題は、すぐに分かった。

窪みの位置が高い。


カリナのような長身の軍人に合わせているのか、

私の目の高さより頭一つ分は上にある。


爪先立ちになる。

届かない。


首を伸ばす。

まだ届かない。



岩壁の縁に指をかけて登ろうとした瞬間、靴底が滑った。

背後で、ガルドが吹き出した。


「……ガルド」

「あ?」

「笑わないで」

「笑ってねえよ」

「笑ってるじゃない」

「少しは笑わせろ。これが最後の笑顔かも知れねえんだぞ」




睨み上げると、ガルドは握っていた矢の残骸を床に捨てた。




「お姫様を持ち上げてやる」

「……」

「文句あるか」

「ないわよ。」

「じゃあ、いくぞ」


ガルドの両手が、私の脇の下に入る。


次の瞬間、体がふわりと浮いた。


子供を抱えるみたいに。

あるいは、お姫様を扱うみたいに。


……絶対、前者だ。




***




盤面の窪みが、ようやく目の高さに来る。

青い光が、私の瞳をなぞった。



一拍。



光が揺れる。

読み取れない。

盤面の上部に、小さな数字が灯った。



『30』


『29』



さっきはなかったカウントダウン。



ガルドの腕に、わずかに力が入る。


「嬢ちゃん」

「分かってる」

「エラーなら、矢じゃ済まねえ。施設ごと焼く類のタイマーだぞ」

「分かってるって言ってるでしょ!」



『28』



カリナが入れたということは、この施設は帝国のものだ。

帝国のものなら、私にもチャンスがあるはずだ。



通って。

どうして通らないの。

覗き方が悪いのか。

角度か。

光彩の開き方か。


違う。


機械の青い光は、私の瞳の奥にある何かを弾いている。




『27』




冷や汗が背中を伝った。


ガルドは私を降ろさない。

呼吸も乱さない。


私なら開けられると、信じている。


その信頼が、今は怖い。


お願い。通って。




***




その頃。



“女”は、アナの意識の奥で息を殺していた。

青い光が、虹彩の奥まで入り込んでくる。



まずい。


覚醒した今のアナの瞳には、薄い鱗の紋様が浮かんでいる。

けれど、登録されているとしたら、それは覚醒前の瞳だろう。



ただの青い瞳。

異物が混じれば、通らない。



女は瞼の裏に手を当てるような感覚で、自我の扉を閉じた。



アナとのリンクを繋ぐ容量すらもったいない。

全ての労力をかけても間に合わないかも知れない。




『24』




女は、瞳に浮かぶ鱗の紋様を内側へ折り畳んだ。


一枚ずつ。

奥へ。

さらに奥へ。




そして、覚醒前の純粋な青だけを表面へ押し戻す。

機械の光が、さらに深く侵入してくる。

見せない。



私がここにいることを、絶対に見せない。


ゼノスのような研究者なら、まだ誤魔化せる。

だが、これは違う。


帝国の宰相直轄。

冷たい監視装置。


知られれば、アナの運命も、私自身の扱いも、最悪の方向へ転がる。




『12』

『11』

『10』

『9』



不可視の指先が震える。


『8』


それでも女は、鱗の輪郭を深淵へ押し込んだ。


『7』


力ずくで。

自分の存在ごと削るように。


『6』


表面には、無垢な青だけを残す。


『5』


『4』


『3』


あと少し。


耐えて。


『2』


最後の一押し。


女は己の輪郭を虹彩の裏側へねじ込んだ。


『1』


青い光が、ぴたりと止まった。



***



同時に、内なる女の内側で何かが弾けた。

使い切った。



意識の輪郭が薄れる。

深い底へ、強制的に引きずり込まれていく。



『——おやすみ、私の可愛い子』



声にならない言葉は、誰にも届かなかった。

女はそのまま、暗い意識の底へ沈んだ。



***



盤面の青が、白へ変わった。

カウントダウンの数字が消える。



「嬢ちゃん!やったぞ!」

「……え?」



呆然とする私の前で、岩壁の奥から女の声が響いた。

機械的で、やけに整った声。



『認証完了』

『帝国第一皇女。アナスタシア・フォン・カイゼル』



ガルドの腕の中で、私は息を吐いた。

通った。



何かが、最後の一秒で噛み合った。

けれど、何が起きたのか分からない。



「……間に合ったわね」

「ああ。寿命が縮んだ」




ガルドが私を床へ降ろす。




帝国第一皇女。

アナスタシア・フォン・カイゼル。




いつから、この生体データが登録されていたのか。

そもそも、私自身が忘れかけていた本当の名だ。


いつもなら、こういう時は頭の奥で声がする。


甘くて、ねっとりと絡みつく、あの女の声。



でも。

しない。



頭の中が、妙に静かだった。

理由は分からない。



ただ、この時、誰も気付いていなかった。


私の懐に隠された銀の器。

その盤面の数字が、ひっそりと一段階跳ね上がっていたことに。




***




重い駆動音が響く。

黒い金属扉が、横へ滑るように開いた。

その先にあったのは、洞窟ではなかった。



荒い岩肌は、完璧に平らに削られている。

足場の両側には、排水用の細い溝。

天井には等間隔の人工光。

壁面には、帝国軍の印章。




岩の中に造られた、軍事用の街道。


「こいつは……」

「ええ」



私は強張る顔を無理やり動かし、笑みを作った。



「先客たちの、ご立派な玄関口ね」

「玄関にしちゃあ、金がかかりすぎだな」

「この奥は、もっと酷いことになってる」



ガルドがこちらを見る。


何かを聞きたそうだった。

けれど、聞かなかった。


私たちは、人工の光に照らされた暗黒の街道へ足を踏み入れた。




***




同じ頃。


地上の医務室では、血のような夕日が窓を染めていた。


ラピスの掌の中で、青い石が淡く光る。


「兄上の力を、もう少しだけ……」


祈るように注がれた群青の魔力が、ナーガの胸へ沈んでいく。


薄い胸が一度、上下した。

二度目は、ほとんど動かなかった。


ラピスは息を止める。


待つ。


だが、次が来ない。


「……足りない」



こぼれた声に、ナーガの手を握っていたジークが振り返った。



「ラピス様、何か」

「いえ。何でもありません」



ラピスは首を振った。


そして、決意したように上着の内側へ手を入れる。

取り出したのは、銀色の小さな器。


盤面には、見慣れない薄い光。

ジークにとっては、初めて見るアーティファクトだった。



ラピスはそれを青い石に重ね、両手で包み込んだ。

盤面が明滅する。

短い電子音。



そして。



『やあ』



器の底から、穏やかな声が響いた。

穏やかなのに、温度がない。



『久しぶりだね、ラピス』

「ゼノス……」



その名前に、ジークが弾かれたように目を見開く。



「ラピス様、それは!」

「説明は後で」



ラピスは短く制し、盤面へ声を落とした。


「ナーガの呼吸が二度止まりました。

 兄上の力だけでは、もう保ちません。半日も持たないでしょう」


通信の向こうで、ゼノスはすぐには答えなかった。

ただ、薄く笑った気配だけがあった。



『興味深いね。君が僕に頭を下げる姿、直接見たかったな』

「今、下げています」

『ふふ。冗談だよ』



その瞬間、ゼノスの声から戯れが消えた。



『指示を出す。よく聞いて』



ラピスの背筋が伸びる。




『君の持つ徽章は、

 そもそも命を無理やり繋ぎ止めるものじゃない。

 やれるとしたら、命の流れを整えるくらいだろう。

 さらに、止まりかけた心臓を力で無理やり動かそうとすれば、

 反発して、もっと早く止まる』

「では、どうすれば」

『整えてあげるんだ。生命の流れを止めている“内側の冷え”を追い出す。

 徽章の魔力に頼るんじゃない。ナーガ自身に残っている体温を信じる方向でね

 僕が認めた男だ。君ならできる。』



ラピスは青い石を握り直した。



「……分かりました」

『それと、もう一つ』



ゼノスの声が、一段低くなる。



『アナの方の数字。君の側から見えているかい?』

「数字、ですか?」



『そう。なら、見ない方がいい』

「どういう意味ですか」

『今はまだ、知らない方が姫様のためだ』




通信が、一方的に切れた。

ラピスは銀の器を上着の内側へ戻す。



ジークが無言で見つめていた。

問い詰めたい顔だった。



ラピスは静かに告げる。



「このことは、アナ様には内密に」

「……承知しました」



腑には落ちていない。

ただ、ジークも術を持ってるわけではない。

毎回、誰かの危機をただ茫然とみている。

そんな自分に嫌気がさしていた。



ジークからただ成らぬ雰囲気を感じつつ

ラピスは再びナーガへ向き直った。

冷え切った胸に手を当てる。



命を引き戻すのではない。

残っている体温を、信じる。




まだ誰もナーガの命を諦めてはいなかった。


切りどころが難しく長めになってしまいました。

久しぶりにカリナとゼノス、そしてアナのフルネームが出てきましたが

カリナは何を持ってどこに消えたのでしょうか。

帝国の戦争準備もほぼ仕上がりの状況です。

さて、どこに攻め入るのか。

次回は5月16日(金)夜更新予定です。

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