第59話:「失意の連戦と覚悟のダンジョン」(4/26修正)
覚悟の連戦が、はじまります。
夜が、白んでいた。
焚き火の煙が薄く立ち昇り、消えた。
ナーガがアナの腕にしがみついて、離れようとしなかった。離さないように力をこめている、というよりは、離せないでいるのだった。
ガルドが、低い声で言った。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
「平気よ」
答えは、強がりではなかった。だが、アナがいつも返してきた声よりも、半分ほど低かった。
ジークもラピスも、それに気づいた。気づいた、ということを口にしなかった。
ラピスが、座ったまま膝を抱えた。脇腹に巻かれた包帯が、夜露で湿っている。
「アナ……」
言葉にしないことを、目で訴えていた。帰ろう、と。アンボスに戻って、ドルンの仕事を待って、ゆっくり休もう、と。
ジークも同じ視線をアナに向けていた。剣を握った手が、まだ少し震えている。
ナーガでさえ、しがみついた腕をすこし緩めて、アナの目を覗いた。
帰ろう、と。
アナは、夜明け前の空を見上げた。
「帰ってる暇はないわ」
五人ぶんの息が、止まる。
「早く武器を作って、もっと強くなってもらわないと」
誰の武器、とは言わなかった。だが、ジークもラピスも、それぞれの手を見た。剣を、杖を、握りしめた。
ジークが、口を開きかけて、閉じた。
ラピスは、目を伏せた。
ガルドが、立ったまま、頭を下げた。
珍しい。
珍しいというのは、上品な意味ではない。骨ばった大男が、若い娘に頭を下げるのを、誰も見たことがない、という意味だった。
「すまねえ。危ねえとこに置いた」
そういう声だった。
ジークが、ラピスが、唇を噛んだ。
ガルドだけが悪いわけではない、と。倒れたのは自分たちだ、と。
それでも、ガルドが頭を下げたから、二人も下げた。
ナーガだけが、アナの肩に頭をすり寄せた。
アナは、ふっと笑った。久しぶりの、ちょっと意地悪な笑みだった。
「次に行こう」
朝霧の中を、五つの足音が抜けていった。
帰り道に、背を向けた形だった。
鍛冶郷アンボスの槌音は、もう、届かない方角だった。
ナーガが、アナの肩越しに、少しだけ顔を出した。
ジークが、剣を背負い直した。
ラピスは、杖を杖として使わず、地面に当てずに、抱えるように持った。脇腹を庇うためだ。
ガルドだけが、いつもの歩幅で歩いた。
五人の影が、霧に溶けた。
その頃。
鍛冶郷アンボスの片隅で、槌音が鳴っていた。
鳴って、止まった。
鳴って、止まった。
鳴って、止まった。
ドルンの工房だった。
床には、失敗作が積まれていた。山と呼ぶには低いが、塚と呼ぶには多い。剣の半成品、刃の試し打ち、鍔の試作。それぞれが、何かが足りない、何かが余っている、という顔をして転がっていた。
ドルンが、また一つ、鎚を投げた。
鈍い音がした。
失敗作が増えた。
老ドワーフは、両手を広げて見つめた。
握った。
開いた。
握った。
開いた。
何かを、確認していた。
何かが、戻っていなかった。
扉が、開いた。
ノックもなしに、もう一人の老ドワーフが入ってきた。
バルガ。
アンボスでドルンより少し古株の、ライバル工房の主だった。
「まだ作っとるんか、老いぼれ」
「お前こそ寝とけ。棺桶が泣くぞ」
「棺桶ならお前のが先に湿るわい」
バルガが、失敗作の山を見た。一つ手に取って、傾けた。
傾けて、戻した。
「悪くねえな」
ドルンは、答えなかった。
「だが」
バルガは、その失敗作を、足元に置いた。
「お前の手じゃねえな」
ドルンの両手が、止まった。
握ろうとして、握れなかった。
バルガは、それを見ていなかった。見ていない、という顔で背を向けた。
「祭りまでに間に合わなんだら、ワシの工房の名がこの郷で一番になっちまうぜ」
「……ぬかせ」
「精々あがけ」
扉が閉まった。
ドルンの工房に、また槌音が戻った。
鳴って、止まった。
鳴って、止まった。
失敗作の山が、ひとつ、増えた。
森を抜け、岩肌の道に入った頃、空はもう昼に近かった。
ジークの肩が痛んでいる。動かすたびに眉が寄る。
ラピスの脇腹が痛んでいる。歩幅が、少しだけ狭い。
ナーガはアナの腕に、まだしがみついている。アナの体温を、一度も離していなかった。
そして。
ガルドが、平然と歩いていた。
昨夜、月光蜘蛛の親玉の目を素手で潰した男が、何事もなかったように歩幅を保っていた。
ジークだけが、それを横目で見た。
横目で見て、見なかったことにした。
ガルドが、ふと言った。
「お前ら、聞け」
五人ぶんの足音が、揃った。
「ラピス」
「はい」
「杖の振り方じゃねえ。視線の置き方だ」
ラピスが、目を見開いた。
「魔法ってのは、お前が『そこ』だと思ったとこに飛ぶ。お前の目が泳いだら、魔法も泳ぐ。怖い時こそ、視線は獲物の真ん中に置け」
「……はい」
「ジーク」
「はい」
「剣の引きが浅い」
ジークが、自分の腰を見た。
「斬る前に、引く間合いを倍とれ。お前は若え。引きの間合いで、命を一つ拾える」
「はい」
ガルドはアナを見なかった。
ナーガを見た。
「お前は」
ナーガが、こてんと、首をかしげた。
「お前は、自分を最後に治せ」
ナーガが、目を瞬かせた。
「仲間より先に倒れたら、誰も治せねえ。お前が立ってる間しか、治癒は届かねえんだ」
「……はい」
ナーガが、小さく、頷いた。
最後に。
ガルドは、アナを見た。
「お前は」
アナが、ガルドを見上げた。
「お前は、お前のままでいろ」
それだけだった。
それだけだったが、ジークの剣を握る手が、ぐっと固くなった。
ラピスの杖の握り方が、ぐっと深くなった。
ナーガが、アナの腰に、ぎゅっと、抱きついた。
アナは、何も言わなかった。
言えなかった、のかもしれない。
それぞれが、それぞれの中で、何かを決めた。
ジークは、姫を二度と倒れさせない、と決めた。
ラピスは、自分の魔法で、誰も傷つけさせない、と決めた。
ナーガは、自分を、最後まで残すと決めた。
アナは。
アナは、自分のままでいる、ということが、何を意味するのか、まだわからなかった。
ガルドだけが、いつもの歩幅で歩いていた。
夕方。
岩の口が、ぽっかりと開いていた。
ダンジョン。
五人は、その入口の前から、十歩ほど離れた場所に焚き火を組んだ。
ジークが薪を集め、ラピスが火をおこし、ナーガがアナの腕の中に丸まり、ガルドが地図を広げた。
「初めてだろ。聞いとけ」
四人が、ガルドを見た。
「一列で進むな。横に広がれ。後ろから挟まれたら、一列ってのは棺桶だ」
ジークがうなずいた。
「音を立てるな。魔物は耳がいい。剣を抜く時も、刃と鞘を擦らせるな」
ラピスがうなずいた。
「引き際を見極めろ。深追いした奴から死ぬ。一歩でも怪しいと思ったら、それは怪しい。引け」
ナーガが、目を伏せた。
「最後に」
ガルドは、四人をぐるりと見た。
「仲間の声を聞け。自分の耳を、信じすぎるな」
焚き火が、はぜた。
四人が、ゆっくりとうなずいた。
夜が、ふっと、暗くなった。
ジークが、剣を膝に置いて寝た。
ラピスが、杖を抱きしめて寝た。
ナーガが、アナの腕の中で、長く息を吐いた。
ガルドが、焚き火の向こうで、見張りに立った。
アナだけが、まだ起きていた。
焚き火の光から、少しだけ顔を背けて、懐から魔道通信器を取り出した。
小さな、四角い、銀色の器。
表示が、灯っていた。
「1.8」
アナは、それを見つめた。
「2.3」が、「1.8」になっていた。
下がっていた。
何が下がったのか、アナにはわからなかった。
だが、下がった、ということだけは、わかった。
指で、画面をなぞった。
冷たかった。
ナーガが、アナの腕の中で、寝言のような小さな声を漏らした。
アナは、通信器を懐に戻した。
焚き火の音だけが、残った。
ガルドが、見張りに立ったまま、こちらを見ずに言った。
「寝ろ」
「うん」
アナは、横になった。
ナーガの背中の、規則的な呼吸を、自分の呼吸に合わせた。
合わせようとして、少し、ずれた。
ずれたまま、目を閉じた。
夜が、深くなった。
明日、五人は、初めてのダンジョンに入る。
その時刻。
遠く離れた、別の国の、別の建物の、別の部屋。
冷たい光が、机を照らしていた。
机の上には、水晶。
水晶の中に、文字が浮かんでいた。
「1.8」
影があった。
影の主は、椅子に座っていた。
顔は、見えなかった。
机の上に、長い指が組まれていた。
ふっ、と。
息のような、笑みのような音が漏れた。
「なるほど」
低い声だった。
「そう来ましたか」
水晶の中の数字が、揺れもせず、ただ「1.8」のまま、灯っていた。
影は、立ち上がらなかった。
立ち上がる気配すらなかった。
ただ、見ていた。
ただ、見ていた。
冷たい光が、消えた。
戦いの夜が明け、五人は休まずに次の獲物へ向かいました。
ガルドはそれぞれに必要な言葉を残し、アナは自分の手の中で動いた数字を、誰にも告げませんでした。
「1.8」を観ていたのは、あいつでしょうか。
初めてのダンジョンで、五人は何と出会うのか。
次回は4/26を予定しております




