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〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第六章「鍛冶郷アンボス編」

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第56話:「握る」

彼女だけは通常運行です

「俺は——」


その先が、なかなか出てこなかった。

酒場の喧騒だけが、遠くで鳴っていた。

ドルンの喉仏が、一度、上下した。


アナは、頬杖をついていた手を、

ゆっくりと外した。

ジョッキを、卓の端にそっと置く。

ことり、と、木の音が落ちた。



「別に、無理しなくていいわよ。私たちはあなたである必要がない。

 いい武器を作る職人が必要なだけ。ただ、ラピスが昔の誼で助けただけよ」



視線が、一斉に、アナに集まった。


ラピスが振り返る。ジークが眉を上げる。

ナーガが、口を半開きにする。

ガルドだけが、動かなかった。


「打てる人、他にも探せばいいだけだから」


アナの声は、平坦だった。

あたたかくもなく、冷たくもなく、ただ、食卓の皿の位置を直すような、それだけの温度。


ドルンの眉が、歪んだ。

髭の奥の頬が、わずかに赤くなる。


「……ふざけんな、嬢ちゃん」


低い。

職人のプライドをくすぐられたのか

声が素に戻っていた。


「できねえって、言ったわけじゃねえ」


「じゃあ、どっち」


アナが、ようやくドルンを正面から見た。


「できるの? できないの? はっきりして」


卓の上で、鉛の芯が、ぴたりと止まっていた。

ラピスが、膝の上で手を握り直す。

ナーガが、息を一度、飲んだ。

ガルドは、椅子の背にもたれたまま、口の端だけで笑った。


ドルンが、ジョッキを掴み直した。

空の底を、もう一度だけ舐める。

ことり、と卓に戻した。


「……三年前の、話だ」


喉が、掠れていた。



***



同じ村で生まれた、同じ師匠の下で鉄を覚えた男が、ひとり、いた。


名前は、ドルンの口からは、最後まで出なかった。

ただ、「あいつ」とだけ、何度も呼ばれた。


「ガキの頃からな、俺の方が、筋が良かったんだよ」


ドルンが二杯目を頼んだ。

店主が空のジョッキと引き換えに、新しいのを、どすんと置く。


「あいつは、遅え。不器用。鈍い。昔っからそうだ」


髭の奥が、ほんの少しだけ、歪んだ。

懐かしさとも、哀れみともつかない歪み方だった。


「だけどな」


ドルンの指が、ジョッキの縁を叩いた。


「あいつの槌は、止まらねえんだ」


コンテストの話は、途切れ途切れに漏れた。

村の鍛冶連合が年に一度開く、若手ぜんぶが出る大会。

同じ鉄、同じ火、同じ工程。

与えられた条件で、三日三晩、打ち続ける。


「俺が、最初の一日で、頭ひとつ抜けた」


ドルンが、卓の一点を見た。

その一点には、何もなかった。


「二日目も、悪くなかった」


そこで、言葉が止まった。


酒が、ジョッキの中で揺れた。


「……三日目の夜な」


ドルンが、喉を鳴らした。


「あいつの方から、——とん、と、音がし続けてたんだよ。

 止まらねえんだ。俺が寝ても、あいつは打ってた。

 俺が食っても、あいつは打ってた。

 夜中に目が覚めても、まだ、とん、とん、って、鳴ってた」


髭の奥の目が、少しだけ、遠くを見た。


「朝、作品を並べてよ」


ドルンが、笑った。乾いた笑いだった。


「——俺は、あいつの一打を、追えなかった」


ジョッキを傾ける。

中身は、とうに、空だった。

それでも、口元に運んで、最後の一滴まで、舐めた。


「それだけだ」


ドルンが、卓にどすんと肘をついた。

肘の下で、素材のリストが、少しだけ、歪む。



「あいつは、今、この街で、一番の看板を背負ってる」



ラピスが、ようやく、口を開いた。


「……ドルンさんは」

「俺は、槌を置いた。三年。

 オメエと会った時は修行中で、この世の全ての職人がかかってきても

 俺が負ける訳がないと思ってた。そんな哀れな男の話だ」


ドルンが、ぐいと顎を引いて、そのまま卓に突っ伏した。

鼾が、すぐに、聞こえ始めた。


店主が、迷惑そうに睨んだ。

ガルドが黙って銀貨を三枚、卓の端に積んだ。

店主の目が、ちょっとだけ、優しくなった。



※※※



夜の街道は、冷えていた。


秋の終わりの風が、革の外套の裾を、ひやりと撫でる。

頭上の月が、半分だけ、顔を出していた。


ドルンは、ガルドの肩の上で寝ていた。

片腕で、子どもを抱えるように担がれている。

鼾が、ガルドの耳元で、ごうごうと鳴っていた。


ジークが、斜め後ろから、声をかけた。


「ガルドさん、交代しましょうか」

「要らねえ。軽えよ、こいつ」


ガルドが、鼻で笑い、握り直した。


「鋼みてえに見えて、中身は、枯れ木だ」


五人は、ゆっくりと、宿までの道を歩いていた。

誰も、急がなかった。


ラピスが、先を歩くアナの背中と、

ガルドに担がれたドルンの頭とを、交互に、見ていた。

それから、静かに、口を開いた。


「……あのね」


ナーガが、振り返る。ジークも、歩調を緩めた。


「あの時の、ドルンさんは本当に格好よかったんです」


月の光が、ラピスの青髪を、少しだけ、透かした。


「宝石国の宮廷で。まだ、父の後ろに隠れてた頃」


ラピスは、歩きながら、静かに、記憶を掬っていた。


「鍛冶場の奥でね、火花が散ってて、槌の音が、あんまり大きくて、怖くて」


ラピスが、くすりと笑った。


「でも、ドルンさんが、振り返って、笑ってくれたんです」


ナーガが、歩幅を合わせて、聞いている。


「『守りてぇモンができた時は、この俺様が、剣を打ってやろう』って」


ラピスの足が、一瞬だけ、止まった。


「子供に向かって、そんなこと、言うんですよ。……格好良かったんです。本当に」


ラピスは、あの日父の服を握っていた日のことを思い出し、瞳が揺れた。

ジークが、ふ、と笑った。鞘の中で、刃が、少しだけ、揺れた気がした。

ナーガが、ちょっとだけ、目を細めた。砂漠の夜より、ずっと湿った光だと思った。

ガルドは、背中の荷物を、少しだけ、揺すり直した。


アナは、先頭を歩いていた。

振り返らなかった。

ただ、首を、少しだけ、空の方に、傾けた。


「……ふうん」


鼻から抜けるような一言。

それ以上は、何も、言わなかった。


宿の灯りが、道の先に、小さく、見え始めていた。



***



翌朝、窓の外で、鳥が一度、鋭く鳴いた。


アナが目を開けた時には、もう、宿の一階から、ラピスの声がしていた。


「これ、いつですか」

「今朝の、まだ暗えうちですよ」


宿の主人の、ぶっきらぼうな声。


階段を下りると、主人が、折り畳まれた紙と、分厚い封筒を、ラピスに渡しているところだった。


「あのドワーフさん、髭、剃ってましたよ」


主人の声が、少しだけ、弾んでいた。


「三年ぶりに見たな、剃った顔。まあ、目は、まだ半分、死んでましたけどね」


ラピスが、紙を開いた。


ごつごつした字だった。

酔いの抜けきらない手で書かれた、乱れた、でも、読める字だった。


『ギルドに依頼を出した。お前らが受けろ。

 俺からの、頼みだ。

 素材のリスト、作り直した。

 ——幻鉄は、あとでいい。それまでに、俺の腕が戻ってたら、もってこい。

 戻ってなきゃ、要らねえ。』


封筒の中には、改訂された素材リストが、入っていた。


——月光蜘蛛の糸。

——溶岩鉱脈の芯。

——赤金鉱。

——凍霧の結晶。


四つ。

幻鉄の二文字は、太い横線で、きっぱりと、消してあった。


ラピスが、その横線を、指先で、そっと、なぞった。


「……はい」


ラピスが、小さく、頷いた。


***


ギルドの受付嬢が、書類を見て、目をぱちくりさせた。


「ドルンさんからの、依頼、ですか?」

「はい」

「えっ。……本当に?」


受付嬢が、二度、書類を確認した。


「——失礼しました。最近はまともな依頼を出す気力もない、って伺っていたもので」


本音なのか、ジョークなのか、分からない調子で、女は言った。


「受けます」


ラピスが、はっきりと、答えた。


受付嬢が、書類に判を押した。

ぺたり、と、軽い音。


「それじゃあ、Cランクパーティ——大陸最強のGランクを含む皆さん、素材収集クエスト、登録しますね」


アナが、受付嬢を、じろりと、睨んだ。

受付嬢は、にっこり笑って、書類を引き下げた。



***



ギルドを出ると、街は、朝市の匂いで埋まっていた。


焼きたてのパン。鉄の冷める匂い。油。子供の声。


その雑踏の中を、五人は、歩いていた。


——おい、聞いたか。


——あのドルンが、依頼、出したらしいぞ。


——あの飲んだくれが?


——何を、打つ気だ。


——さあな。


街の雑音に、そんな切れ端が、ちらほらと、混じっていた。


アナは、聞こえないふりで、歩いた。

ラピスは、聞こえたはずなのに、顔には出さなかった。

ガルドだけが、一度だけ、口の端を、曲げた。


街の中ほどに、大きな鍛冶組合の工房があった。

開け放たれた扉の奥で、白熱した炉の赤が、ぼうと、揺れていた。


その前を、五人は、通り過ぎるだけだった。


***


工房の中で、ひとりの老いたドワーフが、槌を、振り上げていた。

白い髭。節くれ立った腕。背は低いが、鉄の前で、背筋は、真っ直ぐだった。


若い弟子が、老ドワーフの背中に向かって、話していた。


「親方、聞きましたか。ドルンさんが、依頼——」


弟子の声が、途中で、消えた。


老ドワーフの槌が、ちょうど、振り下ろされる直前で、止まっていた。


ほんの、一瞬。

赤熱した鉄の上で、槌が、空に、留まった。

炉の音と、炭の爆ぜる音だけが、工房を、満たした。


どこよりも長く、そして強く、鉄の音が響く工房。


老いた目が、一瞬だけ、遠くを見た。

通りの方——アナたちが、今まさに、通り過ぎた、方向。


でも、老ドワーフは、顔を向けなかった。

目線だけが、まっすぐ、鉄の上に、戻った。


「——おせえんだよ」


低い声が、髭の奥から、漏れた。


槌が、振り下ろされた。

金床が、鳴った。


かぁん、と、鋭く、澄んだ音が、一つ、工房の扉から、街路へ、飛び出した。


五人の背中は、もう、工房の前を、通り過ぎていた。


鍛冶郷アンボスに鳴り響く槌の音が、

まるで戦いの開始を告げる音のように鳴り響いた。



男たちの戦いが始まりました

鍛冶郷アンボス編、本格始動です。

次回は4月23日更新予定です。

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