第54話:「錆びついた槌と男」
鉄の匂いと火花の街で、ラピスが思い出します。
朝。
霧が薄くなり始めた頃、街が見えた。
街道を進む先、丘の向こうに、低く広がる石造りの屋根。
霧が薄くなったにもかかわらず、街の輪郭はぼんやりしている。
火の煙ではない。鉄を打つ、男たちが発する煙だった。
ラピスが足を速めた。
「——着いた」
ジークの肩が、少し軽くなった。
ナーガが「あったかそう」と呟いた。
ガルドは腕を組んで、何か言おうとして、やめた。
アナは——最後尾で、息を吐いた。
三週間。
走り、狩り、寝て、また走った。
霧降の月の冷気が、毎朝、骨まで沁みた。
それが、ここで、終わる。
やっと終わる。
(今度は槌をつけなんて言わないでしょうね)
街の門に、木の看板が掲げられていた。
『鍛冶祭り、開催中』
***
街に入ると、空気が変わった。
鉄の匂い。炭の匂い。油の匂い。
それらが、人を縫うように街路を流れている。
通りのあちこちで、ドワーフが大声で笑っている。
右手には槌、左手には酒。
(やっぱりお酒が好きなのね)
ドワーフ以外の客たち——冒険者、商人、観光客——が、
その声の合間に混じって動いていた。
「……すごい」
ラピスが、目を丸くした。
通りの端の鍛冶場から、火花が飛び散った。
髭に火の粉を受けたまま、
ドワーフが隣のドワーフと酒を酌み交わしていた。
ガルドが鼻を鳴らした。
「……十年前と、変わってねえな」
懐かしい、とは言わなかった。
ナーガが「髭、焦げないの?」と聞いた。
ガルドが短く答えた。
「あいつら、髭が焦げるくらいじゃ手を止めねえ」
「……ドワーフ、怖い」
ラピスが小さく笑った。
そして、また周囲を見回した。
すべてが、幼い頃に嗅いだことのある匂いだった。
宝石国の宮廷の、鍛冶場の奥。
でも——名前までは、思い出せなかった。
***
ギルドに、立ち寄った。
街に着いた冒険者は、まずギルドでカードを見せる——
のが、少し前までの手続きだった。
受付の女——この街のギルドは、人間の女性だった——
が、五人のカードを慣れた手つきで受け取って、台の上に置かれた小さな水晶に触れさせた。
ほんの数秒で、水晶が淡く光った。
「直近三週間の実績、届きました」
ラピスが目を瞬いた。
「今のは——」
「あ、これ? 最近入ったばかりの魔道具なんですよ」
女が、嬉しそうに説明を始めた。
「大陸中のギルドに同時配備されて、
本部との書類のやり取りが、もうほとんど要らないんです。
魔導皇都アルカナスで開発された最新式だとかで」
ラピスが、ゆっくり口を閉じた。
女が、楽しそうに続けた。
「なんでも、銀髪の天才の、若い研究員が一人で設計したらしいですよ。信じられますか?」
ラピスの肩が、ほんの少しだけ固まった。
ジークが視線を泳がせた。
ナーガが「えっ……」と小さく漏らした。
ガルドが腕を組んだまま、鼻から息を抜いた。
アナが、無表情のままカードを受け取った。
(——また、あんたか)
内心だけで、呟いた。
受付の女の話は仕事そっちのけで話し続けたことに気づき
一回咳払いをして、五枚のカードを並べ直した——
ジーク——Dランク。
ラピス——Dランク。
ナーガ——Dランク。
ガルド——Aランク。
アナ ——Gランク。
ジークが小さく息を吐いた。
ラピスが口元を押さえた。
ナーガが目を丸くしてガルドを見上げた。
そして——パーティーランクが、Cに格上げされていた。
「ギリ、Cか」
ガルドが呟いた。
少し笑った。
一様に視線がアナに集まった
アナのカードは、
見るまでもなく受け取って、胸元に仕舞った。
何も言わなかった。
言う必要もなかった。
「大陸最強のGランク、今日も健在で」
ジークが、囁いた。
アナが、ギルドの扉を無言で開けて、外に出た。
四人が肩を震わせながら後を追った。
***
受付の女が、一枚の依頼書を追加で差し出した。
「ご到着祝いも兼ねまして——こちら、お勧めです」
依頼書には、こう書かれていた。
『街道沿いの魔物討伐。
鍛冶祭りに向かう客を襲撃。
至急対処求む。依頼主:鍛冶祭り運営委員会』
ランクはC。報酬は、金貨四十枚。
その下に、小さく、追加報酬の欄があった。
『特別報酬:鍛冶祭り参加者推薦枠×1』
ラピスが首を傾げた。
「参加者推薦枠?」
「参加を辞退された鍛冶師の枠を、代わりに誰か一人にお渡しできる券です。
今からでも、知り合いの職人をコンテストに出場させられます」
「……へえ」
ラピスは、あまり気に留めなかった。
「武器を依頼するなら、直接のほうが話が早いかな、と」
受付の女が、柔らかく笑った。
「ええ。そちらも便利です」
ラピスは書類を受け取り、鞄の底に仕舞った。
ガルドが、横から低く言った。
「受けるか」
「うん」
五人は、そのまま街を出た。
***
討伐は、半日で済んだ。
街道沿いの森に巣食っていた、犬型の魔物十数頭。
パーティーランクCに、ぎりぎり見合う案件。
レインの問いを胸にしたジークが、守りながら斬る剣筋で先頭を切った。
クレアの指導を引き継いだラピスが、詠唱を畳んだまま援護した。
ナーガが戦闘中に負傷者を迷わず選別した。
ガルドが拳で流し、仲間に通した。
アナは——後方で、衝撃波を放った。
二十メートル先の魔物に、針のように細い一条が届いた。
倒した。
誰も、驚かなかった。
最近では、当たり前の光景になりつつあった。
***
夕方、街に戻って報告を済ませた。
受付の女が、推薦枠の書類に印を押した。
「お疲れ様でした。これで、推薦枠はいつでもお使いいただけます」
ラピスが書類を折り畳んで、鞄の奥に仕舞った。
ガルドが「飯だ」と短く言った。
五人は、宿の方向に歩き出した。
***
街は、夜になっても明るかった。
むしろ夜の方が明るかった。
鍛冶場の火が、通りに面した戸口から漏れている。
ドワーフたちが、まだ槌を振るっていた。
祭りが近づくほど、街が眠らなくなるのだと、ガルドが歩きながら呟いた。
ラピスは、歩きながら、何度か鍛冶場を覗いた。
並んだ金床。
赤く焼けた鋼。
ハンマーを握る毛深い手。
火花が舞う度に、
ラピスの記憶も叩かれた。
記憶の奥で、ドワーフの姿が強くなっていった。
宝石国の宮廷の、鍛冶場。
幼いラピスが、父に連れられて行った場所。
そこに、大きな手があった。
笑いながら、ラピスに言った声があった。
(——お前も守りてぇモンができた時は、この——)
名前は、まだ、霧の中。
五人が、宿にほど近い酒場の前を通り過ぎようとしていた時だった。
——怒鳴り声。
「おい、ドルン! もう三ヶ月だぞ! いつ払うんだ!」
ラピスの足が、止まった。
酒場の前で、一人のドワーフが、借金取りに絡まれていた。
白髭。
肩幅が広い。
腕は、太い。
叩き上げられた鉄のようにオーラを放っている。
が服はよれよれで、目は濁っていた。
髪はボサボサで酒の匂いが、強い。
「……金はねえって、何度も言ったろ」
ドワーフの声は、低く、かすれていた。
借金取りが、舌打ちして、帳簿を突きつけた。
「いいか。来週までだ。払えねえなら——」
ラピスが、その横顔を、じっと見ていた。
白髭の奥の、顎の線。
肩の構え。
手。
——指の関節の、大きさ。
記憶の底で、何かが動いた。
宮廷の鍛冶場で、槌を握っていた手。
笑いながら、ラピスに言った声。
(——この——様が剣を打ってやろう)
名前。
思い出せなかった名前が、ふと、口をついた。
「……ドルン?」
借金取りが、面倒くさそうに振り返った。
白髭のドワーフも、ゆっくりと顔を向けた。
目を細めて、ラピスを見る。
「……あ? 誰だお前——」
ラピスの顔を、じっと見る。
「……ん?」
眉が寄って、戻って、もう一度寄る。
「……あ? あの、チビか?」
ラピスが、小さく頷いた。
「ラピスです。宝石国の」
ドルンの口が、開いたまま、しばらく、閉じなかった。
借金取りが、ラピスの品のある顔立ちと
それを守るように仁王立ちするガルドに視線を移し
気押されたように、半歩引いた。
ガルドが、腕を組んだまま、横でぼそりと呟いた。
「……世間は狭えな」
槌を置いた男と、
青髪の王子の再会でした。
あの頃とは立場が逆転したような
借金取り付きの登場シーンは、
かつての宮廷鍛冶師にも、ラピスにも少し不憫かもしれません。
次回、ラピスは借金返済に一縷の望みをかけ
ゼノスのレシピを取り出します。
ドルンの瞳に火は灯るのでしょうか
次回更新は4月21日を予定しています。




