第53話:「大陸最強のGランク」
ランクは変わらなかった。
でも、通り名が生まれました。
朝。
走り込みは、日常になっていた。
宿を出て、街の城壁を半周する。
汗が冷たくなる前に、朝飯を食って、ギルドに向かう。
体の痛みが、段々「痛い」じゃなくなっていく。
それが、修行ということなのかもしれない。
アナは、最後尾にいた。
足の裏が、硬くなり始めている。
それだけは、認めていた。
***
ギルドで、査定結果が出る日だった。
受付の女が、五枚のカードを差し出した。
ジーク——F→Eランク。
ラピス——F→Eランク。
ナーガ——F→Dランク。
ガルド——C→Aランク。
アナ ——G→Gランク。
四人の顔が、それぞれの色に染まった。
ジークが目を瞬いた。
ラピスが「Eに上がった!」と声を上げた。
ナーガが「D! 二つも!?」と両手で顔を覆った。
ガルドが、自分のカードを見下ろしていた。
「……A、か」
低い声。感想というより、確認みたいな。
受付の女が補足した。
「曙光のレイン様から、推薦状が届いておりました。
正式な審議を経て、昇格が決定しております」
ガルドが、少し笑った。
珍しく、目の奥まで。
「おだてやがって、あのガキ」
——で、アナ。
アナのカードには、変化がなかった。
G。
何度見てもG。
裏側を見てもG。
アナは、カードを握りしめて、受付の女を睨んだ。
「……なんで私だけ」
受付の女が困った顔をした。
一拍。
ジークが、姿勢を正して、真顔で言った。
「姫様、大陸最強のGランクですよ」
「……は?」
ラピスが、即座に乗った。
「誰にも止められないGランクだもんね」
ナーガが、にこにこ笑顔で。
「うん、世界一有名なGランク」
ガルドが、鼻で笑った。
「——違えねえ」
アナの口が、開いたまま、閉じた。
文句を言うタイミングを、完全に、失った。
アナは、無言でギルドの扉に向かった。
「待ってください!」
ジークの声をきっかけに
三人は肩を震わせながら後を追った。
***
昼、宿の談話室。
ラピスが、一枚の羊皮紙を手にしていた。
「ねえ、みんな」
目が、輝いている。
「この先の街で——鍛冶祭りがあるんだ」
ナーガが「鍛冶?」と首を傾げた。
ラピスが羊皮紙を広げた。
大陸北部の街の名前と、日付と、簡単な絵が描かれていた。
「大陸中の鍛冶師が集まる祭り。
ドワーフも来る。腕利きが腕を競って、優勝者が打つ武器は——伝説級になるって言われてる」
少年の頃の目だった。
何か綺麗なものを見つけた時に見せるラピスの目。
ジークが身を乗り出した。
「次の街が、その鍛冶祭りの街……ですか?」
「うん」
一拍置いて、ガルドが混ざった。
「——あの祭りか」
ラピスが目を上げた。
「ガルド、知ってるの?」
「昔、一度行ったことがある。傭兵時代にな」
ガルドが椅子に深く腰掛けた。
腕を組んで、遠い目。
「ドワーフの親父どもが、一晩中、酒飲みながら鍛えてる。
隣の鍛冶台に火花が飛んできて、髭に穴が開いてても気にしねえ連中だ」
ナーガが笑った。
「それ、ドワーフっぽいね」
「祭りの三日間は、街中が鉄臭え。
でもな——あそこで打たれた剣は、十年、二十年、持つ」
ガルドの目の奥が、少しだけ柔らかくなる。
そして、ゆっくり肉を飲み込むように、低く言った。
「——お前ら、ちょうどだ」
ラピスが、顔を上げた。
「え?」
「武器を見直すのに、ちょうどいい時期だ」
一同が、黙った。
クレアの言葉が、ラピスの頭の中で重なった。
——次に会う時は、綺麗に磨いてきて。
レインの一言が、ジークの胸の奥で響いた。
——鞘の中の迷いが、重い。
武器も、詠唱も、剣も、磨き直すには場所がいる。
戦いを一番知る男からの嬉しい提案だった。
(武器って私は何が似合うんだろう)
ただ一人を除いて。
***
翌朝、五人はギルドで依頼書を選んでいた。
パーティーランクがDに上がり、受けられる案件が増えていた。
討伐、護衛、素材採集——街道沿いに進みながら、まとめて処理できる組み合わせ。
ガルドが三枚の依頼書を掲げて、受付の女に押し出した。
「まとめて引き受けりゃ、街までタダ飯じゃねえ、儲け仕事だ」
受付の女が、書類を確認して、頷いた。
「Aランクの推薦がありますので、
この三件、同時受注を認めます」
ジークが小声で言った。
「ガルドさんがAになった恩恵が、もう効いてきましたね」
ガルドが鼻で笑って、依頼書を折り畳んだ。
「この恩恵は俺だけのもんじゃねえ。
回り回って、お前たちのレベルアップにもつながる。
肩書きなんざ、使えるうちに使っとけ」
アナは、カウンターの端で、水を一杯もらって啜っていた。
Gランク。
カードは、胸元に仕舞ったまま。
***
街を出る朝、ガルドが短く言った。
「よし!鍛冶祭りの街まで、三週間。しっかり稼ぎながら行くぞ」
ジークが頷いた。ラピスの目が、まだ興奮で輝いている。
ナーガが両手で拳を握った。アナは無言で、最後尾に立った。
走った。
クエストを受けた。
走った。
素材を集めた。
走った。
野営した。
走った。
——紅葉の月が、霧降の月に変わっていた。
街道の脇の木々から、葉が落ちていた。
朝霧が、濃くなってきた。息が、白くなる日も増えた。
日々は、辛かった。
疲れと寒さで、朝起き上がるのが憂鬱になる。
足が棒になる。
汗が冷え切る前に、また走る。
腹が空くのを、忘れそうになる日もあった。
それでも、止まらなかった。
鍛冶祭り。三週間の先にある、熱と火花の街。
——新しい武器が、そこで待っている。
その一点だけが、全員の胸に焚かれた火だった。
ジークは、剣の重さが、少しだけ軽くなった気がしていた。
守りながら斬る、その軌道が、頭ではなく体で組めるようになってきた。
レインの一言が、まだ胸の奥に刺さっている。
ラピスは、詠唱の「畳み方」を掴み始めていた。
最後の一節だけを残して、あとは一瞬で組む。
気配が、以前より漏れない。
クレアの、見せるだけの指導が、形になりつつあった。
ナーガは、戦場で治す順番を、迷わなくなっていた。
ガルドは、相変わらずだった。
やっとランクと強さが見合った。
アナは——
衝撃波が、二十メートル近く届くようになっていた。
十メートルで霧散していた「針」が、
今では、細く、長く、走る。
走り込みで体が持ち応えるようになったからか、
集中力が伸びたからか、
アナ自身にも、本当のところは分からなかった。
でも、届く。
それは、嘘じゃなかった。
***
霧降の月の、ある夜。
鍛冶祭りの街まで、あと一日。
焚き火の前で、
五人は狩った獣の肉を食べていた。
ヘトヘトだった。
でも、誰の目も、死んでいなかった。
——明日、やっと鍛冶祭りの街だ。
武器を新しくするため
どれだけのお金が必要なのかはわからない。
だから、クエストに精を出した。
ラピスが、肉を頬張りながら、口火を切った。
「僕、新しい杖が欲しいんだ」
クレアの指導で気づいたこと——
詠唱を畳む負荷に、今の杖が耐えられていない。
魔力の流れを整える触媒として、もっと繊細な杖が必要だった。
ジークが、自分の剣を鞘から少し引き出した。
「俺も、剣を見直したい。今の剣は——十年使ってきた。でも」
レインの一言が、まだ消化しきれていない。
「鞘の中の迷いが重い」。
剣を変えれば、答えが出るわけじゃない。
それでも、新しい剣と向き合う時間が、ジークには必要だった。
ナーガが、治癒具の話をした。
リーゼから教わった順番組みを、
もっと速く正確にできる補助具があるらしい。
ラピスが頷いた。
ジークも頷いた。
ガルドは、肉の骨をしゃぶりながら聞いていた。
「俺か? 俺は、拳でいい」
ラピスが「それはそれで」と苦笑した。
ガルドが、ふと、腕を見下ろした。
「……腕輪でも、作ってもらうか」
拳を守る何か。
次の戦いで、もう一段先まで踏み込むための、小さな道具。
ラピスが目を輝かせた。
「いいね、ガルドの腕輪」。
——そして、火が一つ弾けた。
話題が、途切れた瞬間。
アナは、スープを啜っていた。
武器の話に、口を挟む場所がなかった。
暴食は、武器じゃない。
影の蛇は、武器じゃない。
衝撃波は、武器じゃない。
(私は疲れにくくする防具でも作ってもらおうかしら)
装備のしようが、ない。
アナは、静かに肉を口に運んだ。
気にしていない振りで。
——そこで、ラピスが口を開いた。
「アナは、何が欲しい?」
アナは、顔を上げなかった。
「私は暴食よ。武器なんて、いらないわ」
声が、少し固かった。
ラピスが、首を傾げた。
「……でも、何か、あるかもしれないよ。アナに合う何か」
ナーガが頷いた。
「ドワーフなら、変わったものも作れるって聞くよ」
ジークが小さく同意した。
「姫様に合う、何か——です」
ガルドが、肉の骨を焚き火に投げ入れた。
火が、ぽん、と爆ぜた。
「大陸最強のGランクだしな。変な道具の一つや二つ、あっても悪かねえ」
ラピスが吹き出した。
ナーガが声を上げて笑った。
「ガルドさん!」
ジークまでと窘めようとして、堪えきれずに笑った。
アナが、スプーンを置いた。
「——うるさいわよ」
でも、口の端が、少しだけ上がっていた。
焚き火の光が、五人の顔を照らしている。
霧降の月の夜の冷たい空気の中で、そこだけが、温かかった。
(——大陸最強のGランク、か)
アナは、左腕を、無意識に撫でた。
蛇紋は、浮いていない。
今夜は、静かだった。
明日、鍛冶祭りの街に着く。
Gランクのまま、アナはそこに踏み込む。
カードのランクは変わらないまま。
でも、胸の奥に仕舞ったG印が、
少しだけ誇らしく見えた夜だったかもしれません。
次回、鍛冶祭りの街で、ラピスが一つ、名前を思い出します。
次回更新は4月20日を予定しています。




