表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第五章「魔導皇都アルカナス編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/74

第44話:「タガタメの」

守るものが違えば、刃の形も変わる。

でも——握る手の痛みだけは、同じだ。

最初の一人は、嗤った。


小娘だ。

赤い髪。白い肌。

防衛線の穴から出てきた、令嬢みたいな女。


——一太刀で終わる。


影が走った。


石畳を裂くように。音もなく。

黒い蛇が傭兵の足首に巻きつき、地面に縫いつけた。


「な——」


アナの掌が、胸に触れた。


一瞬。

男の顔から血の気が引く。

膝が折れる。

力が——抜けていく。


魔力を、喰われたのだ。


傭兵が持っていた身体強化の魔力。薄い。安い。


(——不味い。鉄屑を舐めたような味)


でも、数がある。


掌が二人目の肩に触れた。三人目の背中。四人目の腕。


喰うたびに、影の蛇が育つ。

地面を走る蛇が一匹ずつ太く、長く——そして数を増やしていく。


一匹が二匹に。

二匹が五匹に。


奪った魔力を蛇に変えている。

喰えば喰うほど、蛇が増える。


アナの周囲半径二十メートルが、黒い蛇の巣になった。


石畳。壁面。瓦礫の隙間。

あらゆる影に蛇が棲みつき、踏み込んだ足を絡め取る。


五人目が倒れた。六人目。七人目。


もう誰も嗤っていない。


「化け物——」


傭兵の一人が叫んだ。


アナは髪を耳にかけた。南風が邪魔をする。


「失礼ね。食事中よ」


蛇が一匹、石畳を滑るように走り、叫んだ傭兵の足を刈った。


十人分の魔力を喰った蛇の群れは、もう小さな軍勢だった。


西の防衛線から、傭兵が退いていく。


撤退ではない。回避だ。

蛇に塗りつぶされた一角を迂回して、別の壁面を攻める判断。

訓練された軍隊の、合理的な選択。


——面倒な奴ら。逃げ方まで上手い。


アナは壁に背を預けた。

息を整える。


左腕が、疼いた。


蛇紋が脈打つように光っている。

喰えば喰うほど、紋が濃くなる。


あの女の声が、耳の奥で囁いた。


——まだよ。もっと——


押し込む。


今は、黙れ。


壁の上から、銀の目がこちらを見ていた。


ゼノス。


あの目が——いつもと違う光を帯びている。



***



東の壁面が、軋んだ。


三人の傭兵が同時に壁を越えてくる。

研究棟の正面。窓が見える距離。


研究者たちが悲鳴を上げた。


「東が——研究棟に来ます!」


防衛魔法陣が火花を散らす。出力が足りない。

傭兵の剣が壁に食い込む。石の粉が飛んだ。


ゼノスが、手帳を閉じた。


——初めて見た。


研究棟の前に立った。

銀髪が南風に流れる。


指先が持ち上がる。

壁面に刻まれた防衛魔法陣に、触れた。


一筆。たった一行の術式を書き加える。


光が変わった。


青白い防壁が、深い紫に染まる。

密度が倍。いや——それ以上。


傭兵が弾き飛ばされた。

三人同時に壁から叩き落とされる。


研究者たちが目を見開いた。


「手書きで魔法陣を……」

「一行の追記で出力が倍に? あれは——」


ゼノスは振り返りもしない。


二つ目の壁面に手を当てる。三つ目。四つ目。

歩きながら、触れるだけで防衛陣を書き換えていく。

一筆ずつ。迷いなく。


研究棟を囲む防衛魔法陣が、紫の光の檻になった。


「研究は、作り直せないからね」


穏やかな声。

人を守った感慨は、ない。

紙の束と数式と三年分の実験データ。

それが傭兵の靴で踏まれることが、ただ許せないだけ。


誰もがタガタメに戦っていた。

ただ、ゼノスのそれは「研究」だった。


——いつ、いかなる時も。


ジークが壁の下から見上げた。


ゼノスの右手に、薄青い光が灯っている。

魔道ペン。

空中に、光の文字が走っている。


防衛陣を片手で維持しながら、もう片方の手が——何かを綴り続けている。


ジークが叫んだ。


「ゼノスさんが術式を二重展開してる——!」


ナーガが負傷者を抱えたまま見上げた。

空中に走る光の文字列。


「防衛と攻撃の同時展開……!」


——違う。


ラピスだけが、気づいた。


壁の上から曇りのない水晶の目で、光の文字を読み取る。


防衛術式では、ない。

攻撃術式でも、ない。


『被験体A 魔力捕食回数:推定12回

 接触から吸収完了まで0.2〜0.4秒

 変換先:影の蛇への再構成

 蛇体積と吸収魔力量の相関──線形ではない。指数関数的に──』


アナの戦闘データだった。


みんなが命懸けで戦っている最中に。

片手で研究棟を守りながら、もう片方の手で——味方の能力を記録していた。


「……ゼノス」


ラピスが呼んだ。


「ん?」


「それ、防衛陣じゃないよね」


ゼノスが振り返った。


銀の目が——輝いていた。


怖い、とラピスは思った。

恐怖ではなく。

この人の目に浮かぶ光が、磨かれる前の原石を見つけた時の自分と同じだと気づいたから。


「すごいんだよ、あの子」


ゼノスが笑った。

温度のない微笑みではなく、目が光っている。

初めて見る表情。


「暴食が魔力を再構成する速度……前例がない。目の前で起きてるのに記録しない手はないからね」


戦場で。

人の命が懸かっている最中に。

この男の最優先は——ノートだった。


ラピスは何も言えなかった。


敵でも味方でもない。

善意でも悪意でもない。


観察者。


それがゼノスの本性。


***


第一波が引いたのは、日が落ちてからだった。


壁の上に火が灯る。

研究者たちが交代で見張りについている。


ジークが剣を壁に立てかけた。

刃こぼれが光を散らしている。

五合分の重さが、刃に刻まれていた。


ナーガが最後の負傷者の手当てを終えて、壁の上に座り込んだ。

編み込みの髪が煤で灰色に染まっている。

手がまだ微かに光っている。砂漠の熱を仕舞い込んだ指先の、残り火。


ラピスは索敵陣を維持したまま壁の縁に腰を下ろしていた。

消耗している。でも陣は落とさない。


アナは少し離れた場所に立っていた。

腕を組んで、南の空を見ている。


ガルドは——壁の端に、一人で座っていた。


拳が赤い。

自分の血じゃない。殴った相手の鎧の塗料がこびりついている。


ナーガが立ち上がった。


迷わない。

歩いていく。ガルドの隣に。


座った。


「ガルド」


返事がない。


「あの人、誰なの」


昨日から——ずっと聞きたかった言葉を、ようやく。


砂漠育ちの女は、踏み込むことを恐れない。

蜃気楼と本物の区別がつく足で、この男の沈黙を踏んだ。


これは蜃気楼じゃない。本物の痛みだ。

だから——聞く。


沈黙。


火が爆ぜた。

風が壁の外を撫でていく。


全員が——聞いていた。


聞いていないふりをしながら。


ジークの手が剣の柄に触れている。

ラピスの索敵陣の光が、一瞬だけ揺れた。

アナは腕を組んだまま、動かない。


ガルドが口を開いた。


「弟がいた」


短い。


「目が、見えねえ」


短い。


「俺が目になるって、言った」


火が爆ぜる。


「……守れなかった。それだけだ」


それだけ。


何年分の後悔が、四行で終わった。


ナーガがガルドの横顔を見た。


「あの男は」

「——弟を、足手纏いだって切り離した奴だ」


声が低い。

怒りではない。怒りならまだ楽だ。

怒りにすらできない何かが、喉の奥で固まっている。


ナーガが膝を抱えた。


砂漠の夜は冷える。

でも今、隣にいるこの男の方が——冷たい。


「弟さん、今どこに?」

「……分からねぇ」


それ以上は、語らなかった。

火の音だけが壁の上を埋めている。


ジークは剣の柄を握ったまま、指が白くなっていた。


(——だから、殺さなかったのか)


あの戦場。ガルドの拳は傭兵を一撃で沈めていた。

でも殺さなかった。


あの拳は——殺す剣とは違う。


守るために鍛えた拳。

守れなかったから、止まれない拳。


鞘の中で、自分の剣が重くなった気がした。


ラピスは何も言わなかった。


ただ索敵陣の光を、ほんの少しだけ——ガルドの方に寄せた。


温めるように。見えないように。


アナは振り返らない。


(——この男は、自分の痛みに名前をつけない)


「守れなかった」。「それだけだ」。

何年分かも分からない後悔を、四行で片付ける男。


(嫌いじゃないわ、そういうの)


口には出さない。

絶対に。


***


ガルドが立ち上がった。

拳の赤い塗料を、壁で拭う。


南の空を見る。


星が出ている。

昨夜と同じ空。

でも——昨夜の目とは、違う。


焦点がある。


「明日、ケリをつける」


静かだった。


怒りでも。

悲しみでも。

武者震いでもない。


覚悟。


拳を握る音がした。


ジークがその背中を見た。


鞘に入れたまま抜けない言葉は、まだある。

でも今は——抜かなくていい。


明日は、ガルドの番だ。

「それだけだ」で語り終えるガルドの不器用さ。

でも——これだけ語ったことが、この男にとっては全力だったんだと思います。

次回、ガルドとあの男の因縁に決着を。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ