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〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第五章「魔導皇都アルカナス編」

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第42話:「銀の処方箋」

良薬口に苦し。

大丈夫。


朝靄が研究棟の窓を白く染めている。

アナスタシアは手のひらを握り、開いた。

五本の指が動く。

呼吸もできる。

心臓も動いている。


(昨夜のは——夢。そういうことにしなさい、アナスタシア)


訓練場に降りると、ラピスが魔法陣のインクを広げていた。

ナーガは柱に背を預けて朝の占いの最中。

ゼノスは二階の窓からメモ帳片手にこちらを見下ろしている。


いつもの朝。いつもの場所。


「始めるわよ」


影の蛇を呼ぶ。

意識を手の甲に集中させる。

深紅の魔力が肌の下で脈打って——


蛇が、腕に巻きついた。


自分の、腕に。


「——っ」


黒い紋様が手首から這い出す。

血管を辿るように肘へ、肩へ。

内側から押し広げるように皮膚の下を蛇が走る。


視界が赤く染まった。


耳の奥で甘い音がする。

自分の魔力の味。

喰ったことのない甘さが舌の裏側に広がっていく。


甘い。甘い。底なしに——


(美味しい)


違う。これは——自分の魔力を、自分が喰っている。


「アナ!」


ジークが剣を手放した。

鋼が石畳に跳ねる。

音がやけに遠い。

ラピスのインク瓶が倒れる。

青いインクが陣の上を流れていくのが、なぜか鮮明に見えた。


「アナの目が——赤い。」


あの森の大角鹿と同じ。理性を手放した獣の赤になっていた。


「……来ないで」


声が掠れる。

喉が渇いている。

喉じゃない。

身体の芯。

内臓の奥。

骨の髄まで飢えが這い上がってくる。



影の蛇が暴れた。制御を失った魔力が地面を割る。亀裂。石畳が砕ける。



ナーガの鼻先が、微かに動いた。


(この匂い——知ってる)


あの森で嗅いだ、凶暴化した獣と同じ匂い。

ナーガが走った。ジークより先に。ラピスが止める間もなく。


「ナーガ——!」

「大丈夫」


振り向きもしない。蜃気楼の向こう側を覗き込むように、

真っすぐアナの前に立った。

暴れる影の蛇。

黒い蛇紋。

赤い目。


それでもナーガは、笑った。


「大丈夫だよ、アナ。ここにいるから」


褐色の手が、蛇紋の走る腕に触れた。

蛇紋が——止まる。

消えてはいない。

脈のように明滅を繰り返しながら、ゆっくりと速度が落ちていく。


ナーガの掌に、光が灯っていた。

クロッサードで見せた不安定な輝きじゃない。

小さい。

けれど揺らがない。


「同じ匂いだったの。あの森の獣と」


ナーガがぽつりと言った。


「でもね——蜃気楼の奥に、アナがいるの見えるもん。本物の」


アナの赤い瞳が一瞬だけ深紅に揺れ戻る。

手が伸びかけた。

ナーガの肩に。

この温かい身体に。

理由のない衝動が背骨を走って——



(……ダメ。この手は、ダメ)



拳を握った。爪が掌に食い込む。血の味。


「ラピス——!」


ナーガが振り返って叫ぶ。


「この子を止められる薬がいる!」


ラピスは走っていた。


研究棟の階段を三段飛ばしで駆け上がる。

書庫の鍵を開ける。

埃と古い紙の匂い。

何十年も人が触れていない棚が並んでいる。


指先が背表紙を辿る。

『魔力異常に関する報告書』。

違う。

『属性変異の臨床記録』。

違う。



もっと奥。もっと古い場所に——

あった。

かすれた革綴じの記録。

表紙に二文字。



「暴食」。



磨かれる前の原石みたいに、鈍い光を放っている。

ページを捲る。

抑制薬の調合法。分量。手順。

——ただし、いくつかの工程に空白。誰かが意図的に削った跡。



そして暴食者の名前の欄。紙の繊維ごと、刃物で削り取られていた。



「なんで……名前だけ消されてるんだ」



考えている時間はない。

不完全でもいい。ラピスは記録を抱えて走り出した。


一方。


ジークフリートは市場を駆けていた。

ラピスが走り書いた買い物リスト。

半分は判読不能だったが、形と色は頭に焼きついている。


「これと——この白い花弁のもの。すぐに要ります」


薬草店で束を受け取り、裏山へ。

自生する薬草は店に置いていない。

茎を折る。力加減がわからず、潰した。

二本目も潰した。

三本目でようやく——折れた。



剣なら一閃で断てる。だが茎は刃では折れない。

四本目は上手くいった。

不器用な指が、少しだけ覚えた。


ラピスが机に記録を叩きつけた。


「ゼノス——暴食者の抑制薬! 欠損があるんだ、一部の工程が消されてて——」


うわ言を言いながら、目をキラつかせ

アナの観察をしていたゼノスがラピスの本を受け取り、目が紙面を走らせた。


三秒。


「ああ、ここはこうだね」


空欄の横に、迷いのない筆跡で数字を書き込んでいく。

調合温度。攪拌の回転数。冷却時間。

一つも止まらない手で、空白を埋めていく。


「これくらいなら、すぐだよ」


ラピスが奥歯を噛んだ。

走って、転んで、埃まみれになって探し当てた欠損を——

この男は立ったまま数秒で補完した。


ジークが息を切らして戻る。額に汗。手に薬草の束。


「間に合い……ました」

「うん。少し潰れてるけど、薬効に影響はないよ」


ゼノスの指が調合を始める。

試験管を傾ける角度。

滴下の間隔。


すべてが正確で、すべてに無駄がない。


その左手で、手帳に何かを書き込んでいた。


魔力波形の推移。発作の持続時間。蛇紋の展開速度。抑制薬の反応速度。


天才の手は二つの仕事を同時にこなす。右手は善意。左手は——記録。

銀色の液体が小瓶に揺れている。


「飲んでみてくれるかな」


アナの腕の蛇紋はナーガの光でかろうじて抑えられているだけ。

明滅が速くなっている。


迷わない。受け取り、一息で飲み干し、器を投げた。


蛇紋が引いていく。

手首から。

肘から。


黒い線が引き潮のように退いて、消えた。目の赤が薄れ、深紅の瞳が戻る。


息がつけた。

視界が澄む。

耳鳴りが消えた。


代わりに——味が来た。


「…………っ!!」


苦い。

なんてものじゃない。

舌の上で錆びた鉄が溶けている。

腐った樹液を煮詰めて砂利をまぶしたような——


「あなた——味は計算の外なわけ!?」

「うん。味には興味がないかな。まずはお姫様から感謝の言葉をもらえると思ったよ」


ゼノスは微動だにしない。


「感謝するわ」

「変わった感謝の仕方だ」


ナーガが恐る恐る口を挟む。


「え——お薬ってもう少しこう、飲みやすくしたり——」

「しないよ。効けばいいんだから」

「味見は……しなかったんですか」


ジークが真顔で訊いた。


「意味がないからね」

「水——水を持ってきなさいジーク! 今すぐ!」

「はいっ!」


ジークが駆けた。全力で。この日二度目の全力疾走。


——その瞬間。


苦味の底で、何かが弾けた。


(——この苦さ)


知っている。


幼い手。大きな掌。

差し出された杯。「飲みなさい」と言う声。


顔が見えない。場所もわからない。

いつもジークが届けてくれてた薬とは比にならない。


ただ苦くて、苦くて、泣きたくなるほど苦くて

——でも、その手だけは優しい温もりがあった。


(……なに、今の)


記憶は溶けた。手を伸ばした瞬間に。蜃気楼みたいに。


「——これ、持っておいて」


 ゼノスが小さな箱を差し出した。掌に収まるサイズの銀色の魔道具。


「何よ」

「魔力通信器。次に発作が起きたら薬を作り直すよ。

 連絡手段、置いておくね」


 善意の贈り物。にしては——やけに準備がいい。


「手回しがいいわね、あなた」

「備えは大事だよ」


 笑顔も、声色の変化もない。銀の髪が窓の光を反射する。


(……まあ、いいわ)


アナは通信器をポケットに入れた。

善意だろうと打算だろうと、使えるものは使う。


お互い、私利私欲。それだけ。


***


夕暮れ。ガルドが戻った。

土埃まみれの革鎧。

血の匂いはない。戦闘はなかったらしい。


「グラディウスが来る」


 短い。


「二日——いや、明日には届くだろ」


それだけ。

いつものガルドなら冗談にもならない軽口で

場の空気を緩めるのが、この男の流儀だ。


それがない。


(この男が黙って帰ってくるのは——初めてね)


「ガルドさん、大丈夫?」


 ナーガが首を傾げる。


「……寝てねえだけだ」


壁に背を預けて、目を閉じた。

寝る体勢。いつもの姿。


でも——腕を組んだ右の拳だけが、白い。


夜。

外壁の上に立つと、南の空が見えた。

星の手前を、土煙が覆い始めている。

まだ遠い。

けれど確実に——近づいている。


(嵐が来る)


今度は、外から。


器の底で嗤う女。

黒い蛇紋。

苦い薬。


そして——黙って帰ってきた男の、白い拳。


一日で、これだけ動いた。


(……忙しいわね、まったく)


城壁の旗が、南風に煽られて千切れそうに呻いていた。



「苦い薬」でちょっとアナの記憶が呼び起こされました。

仲間全員が自分の武器で動いた、初めてのシーン。

あの時はジークだけでしたが、今では3人の仲間と1人の観察者が助けてくれました。


一方、ガルドの様子がちょっとおかしいですね。

戦闘が近いから?発展途上のガキたちを守れるか不安だから?それとも・・・

気のせいかもしれません。気のせいじゃないかもしれません。


次回、鋼牙の兵団と相対します。

次回更新は4/9予定です

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