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〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第五章「魔導皇都アルカナス編」

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第40話:「嘘つきの贈り物」

取引は、言葉で始まる。

でも本当の駆け引きは、言わなかったことの中にある。

寝ていない。

朝の光が灰色の壁を這い上がってくるのを、アナスタシアは宿の窓辺で見ていた。


二日。


ガルドが嗅ぎ取った猶予は、一晩で一日に減った。


(考えろ。何を要求する。何を差し出す。——何を隠す)


下に降りると、全員がもう動いていた。

ラピスが借り受けた魔導書を三冊広げ、何かを書き写している。

夜通し読んでいたらしい。

目の下に隈。でも瞳だけが原石を見つけた時の光を放っている。

ナーガが干し果実を頬張りながらアナを見た。


「おはよう。寝てないでしょ」

「寝たわよ」

「嘘。目の下が砂嵐の後みたい」


アナはナーガの頬をつねった。


「占い師は黙ってて」


ジークが白湯を差し出す。何も言わない。

温度だけが完璧に整えてある。

この男はいつも、言葉より先に手が動く。

騎士というより——執事の本能。


ガルドはテーブルにいなかった。

パンの食べかけと、走り書きの紙。


『南東。昼に戻る。——ガ』


名前すら最後まで書かない男。


(もう動いてる。なら——私も)


白湯を一口。立ち上がる。


「行くわよ。ゼノスのところ」


***


研究棟。


昨日より瓶が増えている。

紫色の液体が入った新しいものが三本、机の端に並んでいた。

ナーガが入口で固まった。


「……ねえ、あのカビパン。まだあるんだけど」

「ああ、あれ? まだ食べられるよ」

「食べないで!!」


ゼノスが椅子の背もたれに逆向きにまたがっている。

足をぶらぶらさせる、子ども染みた行動だが、

銀髪が朝の光を弾いて、水銀みたいに揺れている。

その相反する2つが、より彼を神秘的な何かに感じさせている。



「さて。——要求、決まった?」


単刀直入。この男には前置きがない。

アナは一歩前に出た。

仲間を背中に。ゼノスを正面に。


「私たちの戦力を差し出すわ。

 グラディウスが来た時、この街の防衛に加わる。——その対価」

「うん」

「あなたに二人を預ける。ラピスとナーガ」


ゼノスの瞳が動いた。

アナではなく——背後の二人を、順番に見る。


「ラピスの魔法解析能力。ナーガの治癒能力。

 この二人を、あなたが指導しなさい」

「……面白い要求だね」


ゼノスが顎に手を当てた。


「きみ自身のスキルじゃなく?」

「私は自分で磨くわ。でもこの二人には、私にない可能性がある。

 宝石国にもアルザードにもいなかったタイプの教師が——あなた」


ラピスが目を丸くしている。

ナーガが「え、私も?」と自分を指差している。

ゼノスが立ち上がった。

椅子を回して、ラピスの前に歩み寄る。


「ラピスくん。きみの魔法体系——独学でしょ」

「……うん」

「配列理論に穴がある。でも、穴の空け方が面白い。

 我流で到達した場所が、正規ルートの三段階先にいる。——教えがいがあるね」


ラピスの頬がわずかに染まる。

褒められ慣れていない。

この少年は、いつも一人で磨いてきた。


ゼノスがナーガに向き直る。


「ナーガさん。治癒能力、不安定でしょ」

「……うん。出る時と出ない時がある」

「感情トリガー型だね。珍しいけど、制御法はある。

 砂漠系の素養なら——乾式浄化法が合うかな」


ナーガの目が、蜃気楼の向こうに水を見つけたような光を帯びる。


「やり方、知ってるの?」

「理論はね。実践は——きみの仕事」


アナは二人のやりとりを聞きながら、内心で計算していた。


(ゼノスは乗り気。ラピスとナーガの能力を観察できる——この男にとっても悪くない取引。研究材料が二人増える。だから——)


その時。



左腕が——痺れた。

手首の内側。皮膚の下を、何かが這う。

黒い蛇紋が、一瞬だけ浮き上がった。


(——ッ)


胃の底が抜ける。

底なしの穴。

身体の中に棲む何かが——目を覚ました。


視界が歪む。

一瞬。半秒。


右手で左手首を掴んだ。

爪を食い込ませる。


蛇紋が——引いていく。


三秒。

消えた。

誰も見ていない。


ラピスはゼノスの言葉に食いついている。

ナーガは乾式浄化法について質問を重ねている。

ジークは入口の壁際で外の気配を探っている。


はずだった。


ゼノスの視線だけ、アナの左手首にあった。


正確に。

的確に。

一秒も逃さず。


(……いつから)


背筋を冷たいものが走る。


この男は三階の窓から街を見下ろしていた。

昨日、門をくぐった時から——ずっと観ていた?

魔法陣で街全体を監視している?

それとも、あの「魔力が見える」目で、

最初から私の異常を——


ゼノスの視線が、左手首からアナの目に戻る。

目が合った。

何も言わない。


笑っている。

いつもの温度のない水銀。

何も見なかったように。

何も気づかなかったように。


嘘だ。全部見た。あの目は見ているはずだ。


アナは左手を自然に背中に回した。


「——取引は受けてくれるの? くれないの?」

「受けるよ」


ゼノスが肩をすくめた。

あっさりと。

まるで最初から答えが決まっていたように。


「ラピスくんの体系は僕と相性がいい。ナーガさんの素養も面白い。——いい取引だね」


取引成立。


アナが踵を返そうとした——その時。


「あ、もう一つ」


足が止まる。


「取引とは別に。

 ——きみにプレゼント」


全員の視線がゼノスに集まる。


「プレゼント?」

「きみの魔力、安定化させてあげる」


沈黙。


ラピスが首を傾げる。

ナーガの眉が動く。

ジークの目が鋭くなる。


「安定化……? アナの魔力、不安定なの?」


ラピスの問いに、ゼノスは窓辺に腰掛けて足をぶらぶらさせた。


「複数のスキルを食べてるでしょ。

 魔力の層が干渉し合って、ノイズが出るんだ。

 今すぐどうこうって話じゃないけど——整えたほうが、衝撃波の精度も上がる」


嘘は一言もない。

全部は一言も言っていない。


「なんで無料なのよ」

「健気な女の子へのプレゼント。——ダメ?」


ジークが壁から離れた。一歩。


「ゼノス殿。その『プレゼント』に条件があるのでは」


鞘の中の刃が、かすかに鳴った気がした。

騎士の勘が——信用するなと告げている。


「条件はないよ。ただ——」


水銀の瞳が、一瞬だけ変わる。

温度のない笑みの下に、学者の目。

解剖台の前に立つ目。


「安定化の過程を観察させてもらっていいかな。データが欲しいんだ」


出た。


この男の本音は、常にここに着地する。


ラピスが小さく息を吸った。何か言おうとして——止めた。

ゼノスの目の奥にあるものを、この少年だけが読んでいる。

硝子の向こうの光を読むように。


(観察。記録。データ。——私は実験動物じゃないわよ)


でも、断る理由がない。


発作は見られた。

隠しても無駄。むしろここで断ると面倒になりそうだ。

ならば——


「いいわ。ただし、記録の扱いは私の許可制。

 勝手に持ち出したら——飲み込むわよ」


ゼノスが瞬いた。


それから——楽しそうに頷いた。

本当に楽しいのか、楽しそうに見せているだけなのか、分からない。

この男は常にそうだ。そうやって生きてきたはずだ。


「了解。じゃあ、明日から始めよう」


***


昼過ぎ。


ガルドが戻った。


宿の一階。

全員が集まっている。

ガルドはテーブルに地図代わりの紙を広げ、拳で一点を叩いた。


「南東の森。焚き火の跡、新しい。数は——五、六十。先遣隊にしちゃ多い」

「部隊規模ね」

「ああ。本隊はその後ろにいる。嬢ちゃん、時間がねえぞ」


アナは頷いた。


「修行は明日から。二日で成果を出す。——各自、準備しなさい」


ラピスが魔導書を抱えた。

ナーガが拳を握った。


ただ、ジークだけが、黙って立っていた。

剣の柄を握る手が、白くなっている。

焦り。間合いを見誤る前の、あの息の浅さ。

グラディウスの傭兵——殺すための剣を振る兵団が来る。

自分の剣で、姫を守れるのか。


ガルドが、それを見ていた。

何も言わずに。腕を組んだまま。

全員が席を立ち、それぞれの準備に向かった後

——ガルドがジークの肩を掴んだ。


「おい、ガキ」

「……何ですか」

「明日から嬢ちゃんたちはゼノスに預ける。俺とお前は——見回りだ」

「見回り」

「ついでに、ちょっと付き合え」



ジークの目が上がる。

ガルドは笑っていない。

いつもの軽口がない。

傭兵の顔をしている。


「グラディウスの剣は、お前が知ってる剣とは違う。

 間合いも、重さも、殺し方も——全部違う」

「……教えてくれるんですか」

「教えるんじゃねえ。殴って覚えさせるんだ」


ジークの背筋が伸びた。

剣士の本能が——鞘の中で、刃を研ぎ始める。


「——お願いします」


ガルドが鼻を鳴らした。


「敬語は要らねえ。その代わり、剣で返せ」


窓の外。灰色の空が、

わずかに——赤みを帯び始めている。


明日から、全員が動く。


二日という名の砂時計が、もう落ち始めていた。

まるで、駆け足で進んでいるかのように。



ゼノスの「プレゼント」、素直に受け取った人いますか?

あの男が無料で動く時は、必ず裏に「観察したい」がある。

善意と好奇心の区別がつかないのが、この銀髪の一番怖いところです。


一方、ガルドがジークを引っ張り出したシーン。

「殴って覚えさせる」は冗談じゃないので、ジーク頑張れ。


次回、修行開始。二日で何ができるか——全員が試される回です。

4月7日更新予定です。

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