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〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第五章「魔導皇都アルカナス編」

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第35話:赤い眼の咆哮

本当に強い奴は、腕を組んだまま戦場を見ている。



ラピスは歩きながら魔導書を読んでいた。

宝石国を出てから、ずっとそうだ。荷物の半分が本。ジークが呆れるほどに。


「また読んでるの」

「うん。面白いんだ、魔法って」


難解な魔導書を「面白い」で片付ける天才は厄介だ。

おかげで索敵陣も拘束陣も使えるようになっている。

教わったわけでもないのに、読んだだけで。



(……この子の吸収力は、私の暴食より質が悪いわね)



森に入って、二日目の朝だった。

空気が変わった。

湿った土の匂いに、鉄錆のような何かが混じっている。


「ナーガ」

「……うん。何かいる」


ナーガが目を閉じた。

いつもの三秒——ではなかった。


五秒。十秒。


「……おかしい」

「何が」

「気配が——揺れてる。怒ってる、みたいな」

「怒ってる?」

「動物たちが、何かにすごく怒ってる」


その瞬間、木々が揺れた。


***


出てきたのは、大角鹿だった。

通常は草食。人を襲わない。

森の臆病者。


——のはずだった。


目が、赤かった。

瞳じゃない。白目の部分まで、べったりと赤い。

口の端から泡を吹いている。

角を下げて、こちらを見ている。

なぜかモンスター化している。


「……大角鹿だろ。こいつは本来——」


ガルドが、言い終わる前に突進してきた。

速い。

草食のそれじゃない。肉食獣の加速。


「散れ!」


ジークが叫んだ。

全員が左右に飛ぶ。

大角鹿が、ジークのいた場所を貫いた。

地面が抉れる。角が土に刺さり、引き抜く。

振り返る。赤い目が、私を捉えた。

迷わず影を発動させようとした。



「嬢ちゃん」


ガルドが、木に背をもたれた。

腕を組んでいる。

私たちと同じ空間にいるのに全く違う空気をまとっている。


「衝撃波と体術だけで戦え。捕食は使うな」

「……今、言う?」

「今だから言う」

「暴食を使えば一瞬で終わるわ」

「だから使うな」

「理由は」

「食って覚えた力を、食わずに使えるようになれ。じゃなきゃ一生食い続けるだけだ」


(……癪だけど、正論ね)


大角鹿が、再び突進の体勢に入る。


「ジーク」

「はい」

「前を頼むわ」

「承知しました」


ジークが抜剣した。


***


ジークが前に出る。

剣を構える。間合いを測る。

大角鹿が突進した。

ジークが横に跳んで、角の付け根を狙う。

斬った。


——浅い。


毛皮が異常に硬い。通常の大角鹿の三倍は厚い。


「硬い……!」

「ラピス!」

「うん」


ラピスが魔法陣を展開した。

地面に光の紋様が走る。

大角鹿の足元——拘束陣。

足が止まった。二秒。


「今よ」


私は右手を上げた。

振動を溜める。指先に集中する。


——放った。


衝撃波が飛んだ。

大角鹿に当たった。

当たった——が。


「っ——」


怯んだだけだった。

バロッサの衝撃波なら吹き飛ばしていた。


私のそれは——押し返しただけ。


(足りない。全然足りない)


ラピスの拘束が切れた。

大角鹿が暴れる。

角が横薙ぎに振られた。


「ナーガ、下がって!」


ナーガが転がるように避けた。

でも——枝が腕を掠めた。

赤い線が、ナーガの腕に走る。


「ナーガ!」

「大丈夫——大丈夫。自分で治す」


ナーガが自分の腕に手を当てた。

光——が、出ない。

いや、出ている。でも、弱い。

クロッサードの時の半分もない。


「……なんで」


ナーガの声が、震えた。


「あの時はできたのに——なんで」


手のひらが、蜃気楼みたいに揺れている。

力が定まらない。形にならない。


「あの時は必死だったから……でも、今は——」

「ナーガ、下がれ」


ジークが、ナーガの前に立った。

剣を構え直す。

大角鹿が再び突進する。

ジークが受け止めた。

剣と角がぶつかる。火花が散る。

押されている。ラピスがもう一度拘束陣を張る。

私がもう一度衝撃波を放つ。


当たる。怯む。でも——倒れない。


三度目の突進。

今度はラピスを狙った。


「ラピス——!」


ラピスが後ろに飛ぶ。

間に合わない。角が迫る。

骨の一、二本では足りないだろう。


その刹那。

轟音。

大角鹿が、横に吹き飛んだ。

十メートル。で足りるだろか。


木を三本なぎ倒して、止まっていた。

動かない。

土煙の奥に立っていたガルドが、拳を下ろした。

木にもたれていた姿勢から、一歩も動いていなかった。


ただ——右拳を、一度だけ振っただけ。


衝撃波。

桁が、違った。


私のそれとは——何もかもが、違った。


***


静寂。

森に、鳥の声が戻ってくる。


「……一発」


ジークが、呟いた。


「一発ですか」

「一発だ」


ガルドが、拳を開いて指を振った。


何でもないように。


「ガルドさん、すごい……」


ナーガが、目を丸くしている。


「すごくない。嬢ちゃんのが十発分詰まってるだけだ」

「つまり、十倍すごい」

「算数の話はしてない」


ラピスが、大角鹿を見ていた。


「ねえ——この鹿、泡を吹いてる」


全員が、倒れた大角鹿を見た。

口から白い泡。

赤い目はまだ充血している。


そして——体中に、赤黒い紋様が浮かんでいた。

魔法陣。

外部から刻まれた、魔法の痕跡。


「……誰かが、こいつを凶暴化させてる」


ガルドが、膝をついて紋様を見た。


「俺はこの街道を何度も通ってる。大角鹿がこんなになるのは——普通じゃない」

「魔法で凶暴化?」

「ラピス、この紋様に見覚えは?」


ラピスが、しゃがんで紋様を見た。

魔導書と見比べながら、目が、光を読むように細まった。


「……増幅陣。魔力を無理やり流し込んで、本能を暴走させる術式だね」

「誰がこんなことを」

「分からない。でも——術式の精度が高い。素人じゃない」


全員が黙った。

風が吹いた。生温く、肌にまとわりつく風。

アルカナスの方角から。


「……嬢ちゃん」

「何」

「この先——面倒なことになるぞ」

「でしょうね」


私は、自分の右手を見た。


さっきの衝撃波。三発打って、一頭も倒せなかった。


ガルドは一発で終わらせた。


(足りない。制御も、威力も、全然足りない)


そして——


(やっぱりアルカナスが必要ね)


ガルドを見た。


腕を組んで、何食わぬ顔で立っている。


(……計算してたのかしら、あの男)


最初からこうなると分かっていて、アルカナスを提案した?


私が自分の力不足を痛感するまで、黙って待っていた?


(……本当に、食えない男)


癪だ。


癪だけど——


「急ぎましょう」


私は、前を向いた。


「アルカナスまで、あと何日?」

「歩きなら四日だ」

「三日で着くわ」

「寝ないのか」

「寝るわよ。ただし——歩く速度を上げるの」


ガルドが、短く笑った。


「いい判断だ」

「あなたに言われたくないわ」


森の奥から、また何かの咆哮が聞こえた。

遠い。でも確かに——赤い目の獣が、まだいる。

この森だけじゃない。

アルカナスに近づくほど、

何かが壊れて始めるのに気付く日はそう遠くなかった。



ここからは戦闘シーン多めで行きます。

ガルドの一撃に比べに物足りない4人。

それぞれの課題が見えてきたモンスター戦。

このままでは帝国に仕返しをするなんて、夢のまた夢です。

さらに、モンスターの凶暴化。大角鹿の体に刻まれた増幅陣。

誰かが、意図的にやっているのですが、一体何のために。

アルカナスまであと三日。何が待っているのか——次回をお楽しみに。

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