第34話:紺碧と足音
いつの間にか相手のペースに持ち込まれた時は、無理に抜けようとしないほうがいい。
道は、南東に続いていた。
朝の光が、石畳を斜めに切っている。
五人分の影が、東に長く伸びていた。
「……首が、まだ痛い」
ジークが、首を回しながら言った。
「寝違えたの自分でしょ」
「テントが狭かったからです」
「テントは一張りしかないのよ」
「ですから、もう一張り——」
「却下」
ジークが、剣の柄を握り直した。
鞘の中で、何かが悲鳴を上げているような気がした。
***
街道を一時間ほど歩いたところで、ガルドが口を開いた。
「なあ」
「何」
「道中、賭けをしないか」
「却下」
「まだ内容も言ってないぞ」
「あなたが提案する賭けで得をしたことがないわ」
ガルドが、少し黙った。
「……ナーガ」
「なに?」
「賭けをしないか。一番先に道端で珍しいもの見つけた奴が勝ちだ」
「やる!」
「乗るな」とジーク。
「面白そうだよ」とラピス。
ラピスまで乗るのか。
(この一行、収拾がつかなくなってきたわ)
「ルールは?」
「俺が決める」
「それが問題なのよ」
ガルドが、歯を見せて笑った。
***
結果として——
ナーガが珍しい色の石を拾い、
ジークが見慣れない鳥を見つけ、
ラピスが道端に咲く名前のわからない花を見つけた。
ガルドの判定は「全部負け」だった。
「なんで!!」
「俺が一番先に、珍しいもんを見つけたからだ」
「何を見つけたの」
ガルドが、親指で後ろを指した。
「世界一珍しい、帝国の皇女の一行だ」
全員が、一瞬止まった。
ナーガが吹き出した。
ラピスが、静かに笑った。
ジークが、ため息をついた。
私は——
「賭けの景品は何だったの」
「次の街で、一回り大きいテントを買う。嬢ちゃんの財布から」
「却下」
「賛成」とナーガ。
「賛成です」とジーク。
「……賛成だよ」とラピス。
全員が、私を見た。
三対一。
(……この流れ、知ってる)
ため息をついた。
長く、深く。
「……わかったわ。ただし——」
「ただし?」
「次の街で一番安いやつを買う」
「一回り大きいやつだ」
「同じよ」
「違う」
また、全員が私を見た。
(……負けたわ)
「……好きにしなさい」
ガルドが、満足そうに歩き出した。
(癪ね。ペースを完全に握られてる)
でも——腹の底が、じわりと温かかった。
食べ物の熱じゃない。
もっと深い、奥の方。
ジークは戦友だ。
剣を交えた間合いを知っている。
肩を並べて戦う感覚を、身体が覚えている。
でも——ガルドは、違う。
(……父親みたいな男ね)
思った瞬間、自分で驚いた。
誰かにそれを感じたのは、いつ以来だろう。
正確には——感じたことが、あっただろうか。
私を皇女として育てた人間はいた。
でも、こんなふうに、くだらない賭けのペースに乗せて、
全員を丸め込んで、それを「当たり前」としてやり過ごす大人は——
(……口に出したら死んでも嫌だけど)
私は、前を向いたまま歩いた。
ガルドの背中は、今日も大きかった。
***
昼過ぎ。
小さな街道の宿場町で、昼食を取った。
焼いた肉と、根菜のスープ。
素朴な、旅人の飯。
「……美味しい」
ナーガが目を細めた。
「腹が膨れた」とガルド。
「腹が空いていたわ」
私はスープを飲みながら、言った。
「ずっと空いていたのよ。クロッサードに着いてから」
「食ってただろ」
「戦いながら食べても、腹は満たされないの」
ガルドが、少し黙って、また肉を食べた。
(今のは——本当のことよ)
戦いの中では、どれだけ食べても足りない。
腹が満たされるのは、こういう時だけ。
何でもない昼。何でもない飯。何でもない五人。
***
しばらく歩いたところで、ガルドが口を開いた。
「次の目的地だが」
「決めてないわ」
「決めた」
私は、ガルドを見た。
「……いつの間に」
「クロッサードを出る前から考えてた」
ガルドが、前を向いたまま言った。
「魔導皇都アルカナス。南東の魔法学都市だ」
「俺は好かねえ。理屈っぽい奴が多い」
「なのに提案するの」
「今のお前たちに必要だからだ」
「魔法が?」
「魔法というより、練度だ」
全員が、黙った。
「特に嬢ちゃん。衝撃波、10メートルで霧散してたぞ」
「……見てたの」
「見てた」
(……癪)
でも、反論できない。
あの衝撃波は確かに弱かった。
バロッサのそれと比べると、子供が石を投げたようなものだ。
「魔法の理屈を学べば、制御が上がる。
俺が言えることじゃないが——お前の場合、喰った力の使い方が荒い」
「あなたに言われたくないわ」
「俺は最初から力任せでやってきた。だからお前には同じ轍を踏んでほしくないんだよ」
師匠みたいな言い方。
(……本当に癪ね、この男)
「ジークは?」
「賛成です。姫様の練度が上がるなら」
「ラピスは?」
「魔法、好きだよ」
「ナーガは?」
「占いと魔法って相性いいかも」
四対一。
また、全員が私を見た。
「……アルカナスに行くわ」
「賢い判断だ」
「あなたに言われたくないわ」
ガルドが、鼻で笑った。
(……本当に、食えない男ね)
でも——腹の底に、また何かが落ちてきた。
反論できない、という悔しさ。
そして——反論しなくていい、という妙な安堵。
***
午後。
街道が丘を越えた先で、海が見えた。
クロッサードの港が、遠く、小さく、光っていた。
ガルドが——一瞬、止まった。
ほんの一瞬だけ。
港の方角に、目をやった。
それだけだった。
何も言わなかった。
また歩き出した。いつもの大股で。いつもの背中で。
ナーガが、ガルドの隣に並んだ。
何も言わなかった。
ただ、並んで歩いた。
それだけで良かった。
(……この子は本当に、正しい距離を知っている)
私は、二人の背中を見ながら、前を向いた。
***
丘の上で、立ち止まった。
風が吹いた。
南から、潮の匂いを含んだ風。
空を見上げた。
あの日見た群青の空よりも青く、クロッサードの海よりも、少し深い色。
ただ——あいつのように、ちょっと猛々しさがある。
紺碧。
嵐を呑んだ海が、そのまま空になったような色だった。
「きれいだね」
ラピスが、空を見上げながら言った。
濁りのない名の通りの色をした目に、紺碧が映っている。
「そうね」
私は、空を見ながら答えた。
ガルドは空を見なかった。
前を見ていた。
道の先を。まだ見ぬ場所を。
(——この男は、過去より先の方が好きなのね)
「さあ、行くわよ」
五人が、丘を下り始めた。
***
道の先に、また丘がある。
その向こうに、また街道がある。
その果てに——まだ食べたことのない何かが、待っている。
(アルカナスか)
魔法使いの街。
理屈っぽい人間が多い、とガルドは言った。
でも——魔法使いというのは、世界の理屈を食べて生きている人間だ。
美味しそう、とは思わない。
ただ——
(どんなご馳走が待っているか、少し気になるわ)
五人の足音が、南東への道を踏んでいく。
紺碧の空は、どこまでも続いていた。
クロッサード編、完結です。
テントが一回り大きくなります。
ガルドが全員を丸め込みました。
アナが渋々了解しました。これが今後の力学です。
ガルドが丘の上で港を振り返った一瞬——
気づいてくれた方、ありがとうございます。あの男は、多くを語りません。
次章【魔導皇都アルカナス編】、開幕します。
修行です。ガルドが「俺は好かねえが」と言いながら連れてきた街で、この五人が何を学ぶのか。
感想・評価・ブックマーク、全部次の旅の燃料になります。
次回更新は4月1日を予定しています。




