第32話:世の中全て、誤差の範囲内
強さだけが、力じゃない
水路は、噂通りだった。
膝まで浸かる泥水。
においは——説明したくない。
「ガルド、通れるって言ったわよね」
「通れるとは言った」
「通れるのと、耐えられるかは別の話よ」
「そんなもん誤差の範囲だろう。文句は出口で言え」
ガルドが先頭を歩く。
松明を掲げ、濁った水を蹴りながら。
ジークが後ろに続く。
その表情が、今の彼の精神状態をすべて語っていた。
「ジークさん、大丈夫?」
「……問題ありません」
「顔が『問題あります』って言ってるよ」
「気のせいです」
ラピスとおぶられたナーガが小さく笑った。
(賑やかね)
暗い水路の中。逃亡の最中。
夜明けまでの時間を削りながら。
それでも——うるさい。
これが今の、私の一行だ。
出口が見えた。
朝の、灰色の光。
ガルドが手を上げて止まる。
「……人の気配がする」
ナーガが目を閉じた。三秒。
「六人。それと——」
息を呑む。
「もっと大きい何かが、一つ」
出口を抜けた先は、街外れの荒れ地だった。
帝国の旗が、朝風に靡いている。
整列した六人の兵士。帝国正規軍の鎧だ。クロッサードの海賊じゃない。
その後ろに、バロッサが立っていた。
そして。
兵の前に、一人の女が立っていた。
三十代。黒髪を後ろで束ねた、帝国の軍服。
目が——氷みたいだった。
感情の温度がない。
値踏みでも、品定めでもない。ただの、処理の目。
(帝国の人間ね)
胃の底が、しゅるりと収縮した。
獲物の気配ではない。天敵の気配だ。
「アナスタシア第一皇女」
女が言った。
「お迎えに上がりました。帝国近衛第一師団、参謀補佐のカリナ・ヴォルツと申します」
「まずは、はじめましての挨拶じゃなくて?」
「失礼しました。」
「……参謀補佐が直接来るのね」
「バイパー様の危険度に応じた対応です」
カリナが、わずかに微笑んだ。
笑顔のほうが、よほど怖かった。
「ガルド」
バロッサが口を開いた。
「昨夜の傷はどうだ」
「見た通りだ」
「そうか」
バロッサが、ゆっくりと前に出る。
「帝国の依頼は受けた。だが——」
カリナを一瞥する。
「俺のやり方でやる」
カリナの表情が微かに曇った。
バロッサが両腕を上げる。
空気が、変わった。
肌が粟立つ。
圧力ではない。
地面の底から這い上がってくる、低い振動。
「逃げろ!」
ガルドが私を突き飛ばした。
直後。
爆音。
衝撃波が、荒れ地を薙いだ。
岩が砕け、土が抉れる。空気そのものが悲鳴を上げるような、暴力的な圧。
ジークがラピスを抱えて転がる。
ナーガがガルドに引っ張られ、地面に伏せる。
だけど、私は——立っていた。
衝撃波の、真正面に。
(……美味しそう)
「アナ!!」
思った瞬間、もう手が動いていた。
両腕を広げる。
受け止めるんじゃない。
——迎えに行く。
まるでアナコンダが獲物を飲み込むように
衝撃波が私に触れた瞬間、黒い影が飲み込んだ。
腹の底に落ちる感覚。
固いのに、とろける。
嵐を一口で食べたような——途方もない満腹感。
衝撃波が、消えた。
静寂。
荒れ地に、朝の風だけが吹いている。
バロッサは、動いていなかった。
「……喰った」
呟く声がかすれている。
「俺の衝撃波を——喰った」
カリナが兵に目配せした。
ただ、目の前で起きたことを全く信じていないようだった。
「まぐれです。仲間の誰かがやったのでしょう。」
冷たく言い放ち、その後、及び腰になった部下を鼓舞するべく叫んだ。
「一度喰えたからといって、同じことが続くとは限らない!殺しなさい」
六人が一斉に動いた。
私は——あくびをこらえた。
(消化、終わった)
腹の底に、新しい力が収まっている。
さっきまでなかったものが、今はある。
さっきまでなかったのに、まるで昔から使えた技のように。
「使ってあげる。来なさい」
呟いた。
最初の一人が剣を振り上げる。
私は右手を上げた。
振動。
指先から——衝撃波が出た。
一人が吹き飛んだ。壁みたいに飛んだ。
「っ——」
二人目。
三人目。
四人目。
右手を振るたびに、飛んでいく。
音がするたびに、一人減る。
(思ったより——美味しかった)
五人目が止まった。
六人目が後退した。
全員が私を見ている。化け物を見る目で。
カリナの氷の目が——割れた。
「撤退」
言い終わる前に、カリナはもう走っていた。
整然とした後退ではない。全速力の逃走だ。
兵も走る。鎧の音を撒き散らしながら。
隊列も何もない。ただ、遠ざかる。遠ざかる。
私は右手を上げ、振動を溜める。
——放った。
衝撃波が地面を10メートルで霧散した。
(……練習が必要ね)
「あははははははは!!」
笑い声が荒れ地に響いた。
ガルドだった。
腹を抱え、膝に手をついて、地面を叩き心底おかしそうに笑っている。
「バロッサ!! 見たか!! お前の衝撃波、嬢ちゃんに喰われたぞ!!」
バロッサは黙っていた。
「しかも全力で逃げさせた!! 帝国の正規兵が!! はははは!!」
「……うるさい」
「お前の自慢の必殺技が初日でパクられたんだぞ!! 笑えるだろ!!」
「うるさいと言っている」
バロッサの顔が、かすかに赤かった。
バロッサが、まだそこにいた。
兵もカリナも消えた。彼だけが立って、私を見ている。
「なあ」
低い声。
「もう一度戦えるか」
「今はもう無理よ。クタクタ。」
「いつなら」
「強くなってから」
「いつだ」
「あなたが帝国に売られない限り、生きてるうちにまた会うわ」
「お前は今いくつだ。」
「レディに年齢を聞くなんて感心しないわ」
「・・・」
「16よ」
「それなら4年待とう。成人する前に戦いを挑んだらどっかの誰かが鬱陶しいからな。」
バロッサが、ふっと笑った。
「約束だな」
「覚えておけばいいわ」
バロッサが背を向ける。
大きな、傷だらけの背中。
歩き出す前に、一度だけ振り返った。
「ガルド」
「あ?」
「……いい仲間だ」
それだけ言って、去っていった。
「アナ、大丈夫?」
ナーガが駆け寄ってくる。
「大丈夫よ」
ジークが、埃を払いながら立ち上がった。
全身、水路の泥と荒れ地の土で汚れている。
「……姫様」
「何」
「お怪我は?」
「ないわ。ただ、疲れたわ。」
私の前で膝をつき、背中を向ける。
「どうぞ」
そんなジークに構うことなく、ラピスが私の隣に並ぶ。
濁りのない水晶みたいな目が、私を見ていた。
「アナ、すごい」
「たまたまよ」
「それでもすごい」
(……この子は本当に困る)
やり場のないジークは、何事もなく立ち上がっていた。
ガルドが腕の包帯を確認しながら歩いてくる。
「行くか」
「ええ。国を出ましょう」
「……嬢ちゃん、次はどこを目指すんだ」
「どこかおすすめはある?」
ガルドが一瞬黙り、深く考え、それから短く笑った。
「そうだな。とりあえず飯でも食うか」
「そうね。初めてあなたの意見に100%同意したわ。」
朝日が荒れ地に伸びてくる。
四人分だった影が、五人分になっていた。
(……誤差の範囲ね)
私はその誤差を、黙って飲み込んだ。
*******
同刻。
街に戻ったカリナは、帝都への伝書を認めた。
『第一皇女、確認。同行者四名——うち一名、治癒師の可能性あり』
筆を止める。
もう一度、あの場面を思い出した。
衝撃波が消えた瞬間。
皇女が立っていた姿。
二メートルで止まった、あの小さな衝撃波。
『皇女のスキル、再評価を要します』
一行、追加した。
『捕獲は——』
また、止まった。
『推奨しません』
「4年待とう」
男の約束っぽいけど10代の子どもと泣く子も黙る船長の約束です。
4年後お互いにどうなってるんでしょうか
カリナの最後の一行が、気になりますね。
「捕獲は——推奨しません」
帝国が、動き始めています。
憎きバイパーの次なる一手とは?
次回更新は3月30日(月)に更新予定です。
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