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2月25日 8ヶ月 ――1日前 その4

「……だったらどうして何にも言わなかったのー?」

 私の気持ちを代弁するように、現ちゃんが唇を尖らせます。

「以前のあなたと同じ。向かっている方向から、その裏にある意図を、人物を、確認したかっただけ」

 わあ、私はただなんとなく同行してもらってただけでした。

 私の手を取ったままじりじりと現ちゃんから離れていた聖良さんは、ふいに現ちゃんに背を向け早足で歩き始めます。

「あ、待って待って待ってー!」

 慌てて追いかけようとする現ちゃん。

 現ちゃんは、身軽。

 一方の私たちは、身二つ……合計、4人分の重さを二人で抱えています。

 これはどう考えても勝ち目のない追いかけっこです。

「待ってー」

「待って!」

 追い縋ろうとする現ちゃんの声に、もう一つの声が重なりました。

 その声の先を見た現ちゃんが、あ、と立ち止まりました。

 先程現ちゃんが問題に正解したせいで広く開いた空間。

 その先に、人影が見えます。

 背の高い、柔らかなラインを持つその人は――凪さんでした。

 あ、いけません。

 そういえばこれは、『誘拐』なのでした。

 だったら、見つかってしまったらもうアウトなのではないでしょうか。

 しかし聖良さんは強気にこう言い放ちました。

「こちらの人質は、母体と胎児。無理に追い詰めたら自棄を起こしたりして胎児に良くないでしょ?」

 なるほど、それで『誘拐』だったのですか。

 いえ、浚われているのは本人たちだから、狂言誘拐?

 はあ……と、凪さんの息を飲む声が聞こえてきました。

「それで、どうするつもりなの? いくら逃げても結局は、私の元に返ってくるしかないのよ? 手術だって、この産屋では私にしかできないんだから」

「……『この産屋』では、でしょ」

「……あなた」

 聖良さんの言葉に、凪さんが初めて動揺を見せました。

「所長が動いてくれないのでしたら、仕方ありません。産屋の外にだって専門の施設は存在します。そこで、手術をしてもらえば」

「でも……でも、成功例のはうちしかないのよ? 余所は何も分かってないから」

「何も分かってないからこそ――私の、成功例は良い取引対象になるのでは?」

「――現ちゃん!」

「はい!」

 凪さんの鋭い声に、現ちゃんはぴしりと姿勢を正しました。

「“3人とも”絶対に丁寧に保護してね! 報酬は……分かってるわね」

「もちろん!」

 そんな凪さんたちの声を尻目に、聖良さんは私の手を引くと広い空間を早足で駆け抜けます。

「待ってー!」

 現ちゃんの声を背中に受けながら、私は聖良さんに導かれ、細い角を曲がって、曲がって、曲がって。

 お腹がつっかえそうな程細い道を一列に進み、登って、下って。

 女性の胎内を模したダンジョンを、私達は彷徨います。

 一体、何処へ?

 産まれるわけでもないのに――

 ……そして。

「ここは……どこでしょう」

「……さあ」

 私達は迷子になりました。

 設置してある明かりも途切れ途切れになり、薄暗い空間にただ二人。

 空調は効いているので寒くも暑くもありません。

 生ぬるい、薄暗い、しかしどこか心地よい空間。

 そこはまるで胎児が眠る……

「――あの、せーらさん」

「何? むーちゃん」

 その空間に浸かりながら、私は聖良さんに気になっていたことを確認します。

「先程、『この産屋の外』って言いましたよね? 外に、行くのですか?」

「――話の順序が逆になってしまって、ごめんなさい」

 聖良さんの口調は、静かにそれを肯定しているようでした。

「最後の手段にするつもり、だったの。所長が、どうしてもお話を聞いてくれないのであれば……」

 聖良さんは私の手を取って言いました。

「一緒に、逃げない? 唯一の出口、研究棟からこの産屋の外に――」

「外に……」


 ――ひゅう。


 くん。

 くんくん。


 その時、ふいにどこからか風が吹き込んできました。

 その風はまるで福音のように一筋の情報を届けてくれました。

 私と聖良さんは同時に顔を見合わせます。

「分かり……ましたでしょうか!」

「ええ」

 ほんのりと漂ってくる、蜜と果物の香り。

 それはかつては非常に鮮烈で、そのまま嗅いでしまえば即座に気持ちが悪くなるほどの強烈な臭気でした。

 今はかなり薄れてしまいましたが、その残滓が、私達の記憶を喚起してくれたのです。

「果物の、蜜漬けです!」

 そう、以前、私たちが零してしまった人工の蜜漬け果物。

 その香りが、ここに残っていたのです。

 ということは、ここは以前、私たちがおやつを食べた場所。

 以前、私が気持ち悪くなってダウンした場所。

「出口は……こっち」

「いいえ、こちらへ!」

「え……っ」

 私は走り出そうとする聖良さんを引っ張って、ダンジョンの奥へと足を進めます。

 何故だかは、分かりません。

 いえ、きっと分かっていたのでしょう。

 ですがまだ私には、それを直視する勇気はありませんでした。

 直視しないまま、自分自身に従って進みます。

 ここで逃げても『誘拐』は成功しません。

 きちと相手に要求を呑んでいただかなければ。

 ところで、要求って何でしたっけ……

 だんだんとクリアになっていく頭でそれを考えてしまうと、今まで目を逸らしていたことを直視しなければいけなくなるかもしれません。

 私は、どうしたいのでしょうか。

 答えが見えないまま、いえ見えているものに目を逸らして細い道を進みます。

 子宮の中、いずれ生れ出る産道へと至る道。

 そしてその先に、立札を見つけました。

 私たちが一番最初に見た、クイズの書いてある立札です。

 ああ――。

 そこに書かれている新たな問題を見た時、私は心を決めました。

 もう、逃げられない。

 現ちゃんと同じ様に……いいえ、現ちゃんは最初からもう理解していたのでしたっけ。

 私も、はっきりと向き合わなければいけないんだと。


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