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2月25日 8ヶ月 ――1日前 その5


そこには――こんな問題が書いてありました。


『妊娠時、胎内の胎嚢の中に胎児が確認されない、もしくは胎児の心臓が動いていない状態のことを何と言う? 1.稽留流産 2.進行流産 3.切迫流産』


 聖良さんもその問題を見てぎょっとしたようです。

 ですが、私は迷わずボタンに手を伸ばしました。

 それを見た聖良さんが更に慌てます。

「待――」

「……分かっています」

 本当はもう、ずっと前から分かっていたのです。

 それは今、どうしようもない程誤魔化せない所に来てしまったようです。

「ちょっとここで……現ちゃんたちが来ないか見ていてください」

 ボタンに伸ばそうとした手を止め、私は聖良さんの手を取ると廊下の端まで導きます。

「分かって、いました。答えも、私の身に起きていることも―― 私のお腹の中の子供は、心臓が動いていないんだということを」

 そっと聖良さんの手を離すと、1人、立札の方に戻ります。

「――稽留流産。胎児の心臓が動かず、次第に進行流産に……血と共に色々なモノが流れ出している状態」

 自分の状況を把握すると『誘拐』の要求内容の方も、自然に答えは出てしまいます。

 妊娠状態を終了させること。

 それが、誰を指していたのか。

 凪さんは、知らなかったのでしょうか。

 いえ。

 私が凪さんから貰った、頭がぼうっとなる鼻から吸収する薬。

 いつの間にか私の鞄から消えた、『産屋』と妊娠に関するレポート。

 そして、凪さん直々の検診。

 凪さんは、知っていて、それでもあえて奇跡を信じてあるいは研究のために私の中に胎児を留めておきたかったんでしょう。

 聖良さんはきっと、それを止めさせるために『誘拐』を企てたのです。

 私と、聖良さんと、聖良さんのお腹の子。

 “3人の”人質を使って。

 私が目を逸らして、心を緩めヴェールの向こう側を見なかったから、いけなかったのです。

 だから、私が――終わらせなくてはいけません。

「答えは、1番の稽留流産です」

 そう言いながら、私は押しました。

 3番のボタンを。

「何をやって……」

「動かないでください!」

 走り出そうとする聖良さんに、鋭い声をかけます。

 ゴゴゴゴゴ……

 低音が響いてきます。

「その位置なら大丈夫です。ここにいたら、もうじき落ちます」

 そして、凪さんは今お風呂に入ってはいないでしょう。

 私たちを追いかけている所ですから。

「だから!」

「……だから、お腹の子供のためにも動かないでください。私には――もう、いないのですから」

 だから、少しだけ危険なルートを通りましょう。

 聖良さんを巻き込んではいけません。

 私だけが、進むのです。

 もう完全に無理だと、凪さんに認めて貰えるルートを。

 ゴゴゴゴゴ……

 カウントダウンするように、低音は響き渡ります。

 そして。


 がごんっ。


 床が斜めになりました。

「あ」

 私と共に、走り込んできた聖良さんが落ちていくのが見えました。

「駄目です! 駄目です、せーらさん、お腹の子が……!」

「いえ……守る!」

 聖良さんが私の手をきつく握りしめました。

 そして以前お掃除に使っていたワイヤーのようなものを取り出して、立札にひっかけます。

 びん!

「……っ」

「ふわっ」

 ワイヤーがぴんと張り、落下が中断しました。

 宙ぶらりん状態で、聖良さんが私を掴んだままワイヤーで看板にぶら下がって。

 その間も、床は傾き続けます。

 聖良さんの額に汗が滲み、次第にその表情が苦しそうに歪んでいくのが分かります。

「い」

 思わず、私はもがきます。

「いけません、手を放してください!」

 私と聖良さんと胎児……3人、いえここではもう生きていない胎児も入れた4人分の体重が、全て聖良さんの手にかかっているではありませんか。

「駄目……」

「何を言ってるんですか! おなかの子供が大切じゃないんですか!」

「……むーちゃんも、大切」

「え……」

「この産屋で唯一、話を聞いて、認めてくれた、人だから…… あなたを、守りたい」

 ごきり。

 その時、嫌な音がしました。

 せーらさんがワイヤーを引っかけた立札、その根元が斜めに歪みました。

 ごき……ごき。

 立札は、重さに耐えかねたような呻き声をあげながらどんどんと倒れていきます。

 そして。

「私の……赤ちゃああああああああんっ!」

 追い打ちをかけるように、新たな衝撃が私たちに飛びついてきました。

 それは、凪さんでした。

「凪さん! あなたも、お腹に子供が……!」

「大丈夫! 顔から落ちれば……お腹への衝撃は最小限!」

「無茶ですぅううう!」

 更に重量の加わった立札は、加速度を上げて斜めになっていきます。

 そんな中、私は必死で皆の一番下になろうともがきます。

「私っ、私をクッションにしてください! 私なら、私だけは、問題ありませんよね!」

「……」

「お腹の子の心配しなくても、いいですよね! もう……いえ、初めから生きていないんですから!」

「……そうだけど! なんで、こんな無茶を!」

「――愛を、示したかったから」

 その言葉は、自分自身から出たとは思えないくらいクリアなものでした。

「たとえどんな状態でも、体でもいいから。私のお腹にいてくれた存在を、きちんと終わらせて、抱きしめたい。ありがとうとごめんなさいって伝えなければいけないのです。だって――私達の、子供だから。責任を――」

 聖良さんが責任を果たすため、そして私の言葉を実現するために妊娠を決意したみたいに。

 私だって、親としての責任を果たさなければいけません。

 存在してくれて、ありがとう。

 存在させ続けられなくて、ごめんなさい。

 つい先程、本当に少し前にやっと気づいたこの子の存在。

 私のお腹の中にいた、愛。

 私に、それをくれたひと。

 だから私も、返さなければなりません。

 私なりの、母親としての務めを果たさなければ……聖良さんに顔向けできないじゃないですか!

「気付いてから今まで、短い間に考えました。ずっとお腹の中で血にまみれているのが、この子の本望だとは思えないのです。出るべき時に、外に出なければ」

「まだ大丈夫よ! もうちょっと、無理矢理にでも母体の中で成長させれば、この子は、旧感覚者オルダスタジアのあなたたちの子は、いずれ卵を排出できるようになる可能性があるんだから――那美のように!」

「そのために母体を……むーちゃんを危険に晒してもいいの?」

 悲鳴のように叫ぶ凪さんに、せーらさんが厳しい口調で重ねます。

「……もし卵ができたなら、『お母さん』から繋がった命を更に続けていくことができるのよ? それは、1人の母体の安全より優先すべきこと。……それに『お母さん』が子供の為に犠牲になるのは、当たり前のことでしょ?」

 ごきり。

 絞り出すような声と共に音がしました。

 立札が外れたのです。

 その時、私たちの横を、何かがすごい速さで滑り落ちていくのが見えました。

 それは、紫色をしていました。

 それから一瞬遅れて、私たちはゆっくりと落下していったのです。


 子宮に突然開かれた穴から、生れ落ちるように――


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