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8月20日 2ヶ月 その5

 そうです、今は、現ちゃんの努力の末に願いが叶った感動的な場面なのです。

 温かい目を現ちゃんに向けようとしたその時です。

 凪さんと、目が合いました。

 それに気づいた凪さんがにこりと笑います。

「あ……」

 訳も分からず、とりあえず私も笑顔を返しました。

 それでも凪さんは私から目を離すことなく見つめ続けています。

「2……いえ、夢さんは先月受胎したばかりよね」

「は、はい」

「どうですか? 子供への愛情、つつがなく湧いてきましたか?」

「す、すいません。よく分かりません……」

 正直、さっぱり分かりませんでした。

 自分の中に、もうひとつの命が存在する。

 それ自体は意識しているものの、いまひとつ実感がわきません。

 いえ……目を逸らして実感しないようにしていました。

「そう。何かあったらすぐに連絡してね。何でも協力するから。……ほんとうに、何でも」

「は、い」

 先程、現さんにしたように間近まで身を寄せ目を覗き込むと、凪さんは私の肩に手を置きます。

 きめ細かい肌に、ほんのり丸みを帯びた体。

 ふわりと良い香りすら漂っているのは、お風呂上りというだけではないようです。

 凪さんの香り。

 それが、一層強くなったような気がします。

 本当に、男性なのでしょうか。

 先程お風呂で焼きついた光景が目に浮かびます。

 そういえば凪さんは、真っ先に受精卵を自分のお腹に入れたんでしたっけ。

 たしか人工子宮を使って。

 いえまあ人口子宮を使わなければ子供は育てられないお体なのですが。

 そして、受胎と出産を成功させた。

 それは、たしかにマッドと呼ばれてもおかしくありませんね……

 私の気持ちを読み取ったかのように、凪さんは説明してくれました。

「この体はね。なるべく胎児が安定するように女性ホルモンを注射しているの」

 成程、そういえば若干胸も膨らんでいたようです。

「そうなると、髪も伸ばしてこういう格好をした方が、似合うでしょ?」

「似合い……ます」

 良い香りはどんどん強くなっていくようです。

 その香りは私の中を侵食し、嗅覚も視覚も、凪さん意外の繋がり全てが閉ざされてしまったかのような奇妙な錯覚さえ覚えます。

 もうこの世界には凪さんしか感じられません。

 ――がたん。

 その時、小さな音がしました。

 何処からでしょう。

 凪さんでも現さんでも私でもない、誰かが立ち上がり、そして歩き出そうとする音。

 私の方に。

「ああ、1ご……いえ、聖良さんはそろそろ退室を希望しているみたいね。……それじゃあ皆も、そろそろ戻った方がいいかしら」

 その音を打ち消すように、凪さんが重ねました。

 私に――有頂天な様子の現さんに――そして先程の音の先へ。

 聖良さんに。

「もし何か困ったことがあったら、私を……いいえ、職員の誰でもいいから、頼ってくださいね。貴方たちは子供を育む――特別な存在なのですから」

「――別に特別じゃありません。自らの体調管理は本人の仕事でしょう。職員はあくまでもその手伝い。全ては、自身の責任の内です」

 凪さんの甘い声に対抗するように、聖良さんが言い捨てました。

 今まで聞いたことのないような、冷たい声で。

 そんな厳しい物言いに私は言葉を失い、聖良さんを見つめました。

 聖良さんの視線は真っ直ぐ凪さんを向いています。

 凪さんは笑顔のままその視線を受け止めて――受け流しました。

「それじゃあ皆……頑張ってね」

「はい!」

「は、い……」

「……はい」

 三人の声は、重なりませんでした。


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