第4話 肺腑の死人⑧
「お前!一体何なんだそれは!?」
と声を上げる間もなく彼の手は僕の額に触れていた。デイビッドの動作が速かったためではない。僕はその輝き目の当たりにしてすくみ上ってしまっていたのだ。
僕は微動だにできず彼の手を額に受ける。それは金属とは思えないほど温かく、同時に肌とは思えないほど硬かった。
「さ、これでいい」
デイビッドが僕の額から手を離すと、籠手はその光とともにデイビッドの右手に吸い込まれるように消え失せた。
「僕の籠手がもたらすのは安定。あらゆる魔法を無効化し、あらゆる運動を停止させる能力を持つんだ。君の頭にかけられたのが魔法なのか呪いなのかは分からないが、不自然な現象ならば僕の手で消し去れる」
「そうか…。ありがとうデイビッド」
僕は感謝の言葉を述べる。それは彼が自分の力をたった今知っただけの僕のために惜しまず使ってくれたことに対して。しかし残念ながらそれ以上のことに対しての感謝はしたくてもできなかった。
「でもごめん。どうも消えてないみたいなんだ。僕の知識」
「本当かい?気のせいじゃなくて?」
「うん。まだ残ってる」
一を聞いて十を知る、ではないが、僕の知識は何かを思い浮かべたりすると関連する知識が勝手に出てくる。慣れによってある程度制御できるようになってるが、気を抜けば今でも知識を氾濫させることができる。先ほど試しに気を抜いてみたら、堰を切ったように知識が溢れ出た。
つまりまだ、知識は消えていない。
「じゃあもう一度やろう」
「いや、いいよ。多分無駄だと思う」
「違うんだ。もう一つあるんだ。この籠手の使い方は」
言いながらデイビッドは再び籠手を出現させ、今度は僕に触れようとはせず、右手で何かを握り潰すように強く右手を閉じた。
「こうやって強く握りしめることで、最大半径2メートルの範囲を『安定化』させることができる」
デイビッドの言う範囲を示すように、彼を中心とした半径2メートルほどの範囲が薄く金色に染まっていた。僕の頭もその範囲に収まっている。しかし
「今度はどうだ?」
デイビッドからの問いかけに僕はかぶりを振る。
「そうか…済まないアーサー。力になれなくて」
「いや、ありがとうデイビッド。感謝してるよ」
「もしかしたらだけど、その知識、アーサーにとっては必要ないものでも、もうアーサーの体の一部なのかもしれない」
「どういうことだ?」
デイビッドの不吉な物言いに僕は思わず身を乗り出しそうになるのを抑える。
「いや、僕の能力は魔法とかスキルとかそういった普通じゃない能力に対しては無敵なんだけど、物体そのものをなかったことにしたりはできないんだ」
「存在する物質はそのままに、エネルギーだけを奪うってことか」
「ああ。あくまで『安定化』だよ」
「ん、安定化?」
聞き覚えのある言葉だった。記憶を探り、僕はいつかのパティとの会話を思い出す。
「デイビッド。その籠手って、獣人帝国で手に入れたのか?」
「獣人帝国?いいや?」
「あ、そうか…」
そういえば獣人帝国から黄金の籠手が奪われたというのは大昔のことだった。では首都で保管していた籠手を魔王が彼に与えたということだろうか。
「この籠手はもらったんだ。えっと…誰だったかな。あの、人…あれ?違ったかな」
「どうしたんだ?」
「いや、思い出そうとしたんだけど、なぜか思い出せない」
「思い出せないって、そんなものを受け取った日のことだろ。本当に忘れたのか?」
頼りないどころの話ではない、と思ったが、しかしあの本になすすべもなく知識を押し付けられた僕が言えることではない。
「ああ、なんというか僕にとって、忘れられないのはその後のことだからね」
「後?」
「笑えない身の上話さ。その話はまた今度。本題に戻ろうか」
「ああ、本題…」
何だっただろうか。僕はそれすらすっかり忘れてしまっていた。
「君はその頭にある知識をどうにかしたくてこのエレツまで来た。元々の出身は波斗原という外国だという話」
「ああ、そのことか。うん。それで間違いないよ」
間違いがないからと言って、問題がないとは限らないが。
「…大変、だっただろ?今まで」
「え、大変って?」
「その知識、きっと僕が思ってるような便利な物じゃないんじゃないかな?」
デイビッドは知ったような口をきいてくるが、しかし恐らく彼は本当に知っているのだろう。黄金に関わった者の苦悩を。
「僕の右手もそうさ。かなり厄介な災厄だよ。多分、君が思っているよりずっとね」
「災厄…」
つまり彼は僕に同情してくれてるということだろうか。彼も彼でその黄金に振り回された一人ということか。
「僕は環境に恵まれてたおかげで何とか今はまともな人生を送れている。そして一応現状に納得してもいる。でも君はそうじゃないんだよね」
「ああ。もちろんだ」
だからこその旅と言える。
「なら僕が協力しよう。首都の方でできる限り情報収集もしてみる」
「本当か!?」
「うん。そして、多分僕が本当に役立てるのはその後だよ」
「後?」
デイビッドは右手を広げて頭上に掲げ、仰ぎ見る。
「もし手掛かりを見つけてその本のありかが分かったとして、それに安全に触れられる保証はあるのかい?」
確かにデイビッドの言う通りだ。僕はかつてあの本に触れたという僅かな記憶以外、あの本に関する情報は一切持っていないんだ。次に触れると僕の人格が完全に消去されて純粋な知識だけにされないという保証も、ないわけだ。
「だからその本を見つけたら、いつでも僕を呼んでくれ。最高に安定な状態で触らせてあげるよ」
「ああ…ありがとう」
なんだこれ。僕は言い訳に来ただけなのに、どうしてこんなにうまくいってるんだ。これなら最初から死人街に来ていればよかった。
「ま、具体的な作戦会議はまた今度にして、そろそろお腹空かないかい?」
「確かに」
もはや時間は十分すぎるほどに稼げた。多分食いしん坊のキレネもおなか一杯になって部屋に戻ってるくらいの時間は過ぎた。
まあ、彼と僕の仲間を会わせることにまだ問題があるのかどうか、再検討する必要はありそうだが。
「それじゃあ行こうか。あまり遅くしすぎると迷惑だろうからね」
言ってデイビッドはベッドから降り、僅かな足場の上をこともなげにすいすいとドアの前まで歩いて行った。
僕はその後をたまにつまずきそうになりながら進み、2人揃って食堂へと向かった。
「そうそう。人間はここの料理の好みが分かれるんだけど、君はどっちだい?いける口かい?」
「この州の料理…そういえば知らないな」
この州の料理文化についての知識はない。
勝手なイメージでは発酵食品ばかり思いついてしまうが、昨日デュルヘルム宅ではスコーンという非常に一般的な、つまりは人間的なお菓子が出てきた。先入観は無用だろう。
「まあ、何が出るかはその時までの楽しみにしておくよ」
「そうかい。まあ、どうしても無理そうなら味付けを変えてもらうことも可能だ。事実僕もそうしてもらっている」
期待と僅かな不安を胸に足を動かし続けていると、既に料理の香りの薄れた食堂に辿り着いた。
かなり前にみんなの食事は終わったのだろう。計画の成功に思わず吊り上がりそうになる頬を引き締めながら僕は食堂の奥へと踏み込む。
「え?」
そして思わず僕の口からこぼれたその言葉。
「あ、アーサーやっと来た」
そこには食事をとっているわけでもないのに食堂の椅子の一つに腰掛けているキレネ。
「何でまだいるんだ!?」
とは言わない。デイビッドに変に思われるかもしれないからだ。
「おや?そちらのお嬢さんは、君の連れかな?」
「うん。まあ…」」
「キレネです」
キレネは自然な仕草で会釈をした。そして椅子から立ち上がり、僕の方へ歩み寄る。
「もうみんな食べ終わって帰っちゃったよ?」
「そうだな。キレネも戻ってくれててよかったんだぞ」
「ああ、うん、でも…。ほら、私の知らないところでアーサーが何か食べてると思うと損した気分になるでしょ?」
なるでしょ?と言われても、共感できない。自分が満足するまで食べた後で誰が何を食べようが損したとは思わんだろ。
キレネらしいものの考え方だと思っていると、食堂の奥、厨房と思われる場所から割烹着を着た、この屋敷の侍女と思われる女性が現れた。その肌は異様に青白く、種族は分からないが、この州の民であることはすぐに分かった。
「…お越しになりましたか。お食事の準備はできています」
彼女の紡ぐ言葉に覇気はなく、語尾は消え入りそうだったが、目は開かれたまま一度も閉じられることなく、こちらをじっと見つめていた。
「…掛けてお待ちください」
僕たちは言われるままに手近なテーブルを見つけ、椅子に腰掛ける。僕の隣にキレネ。そして僕ではなくキレネの向かいにデイビッドが座った。
「君は彼、アーサーのお仲間かな?」
そしてキレネにそう問いかける。
「はい。一人でいるところを助けてもらったんです。アーサーに」
「なるほどね。それで恩返しに本を探すのを手伝ってる?」
「本?」
「デイビッド。彼女は違うよ。そういう…戦力とは違う」
「そうかい。なるほど。ならお話は終わりだ。丁度料理も来た」
デイビッドは椅子に深く腰掛けなおし、視線をワゴンを押してこちらにやってくる先ほどの割烹着姿の侍女に向けた。
ワゴンの上には木のボウルが3つとウインナーとパンを乗せたこれまた木の平皿が3つ。どう見ても3人分の食事だ。
「キレネはさっき食べたんだよな」
「うん。でもまだ食べられるよ」
「そうか。うん。そうだよな」
聞くまでもないことだった。
僕とキレネは手を合わせ、デイビッドとともに食事を始める。
ボウルに入っていたのは豚肉と豆や玉ねぎ、にんじんなどの野菜をソースで煮たこんだもの。所々に色どりを添えるように輪切りの乾燥鷹の爪が見える。チリコンカンという料理だ。
僕は辛い物が苦手ではないが、同時に得意でもない。うまく許容範囲に辛さが収まてくれるといいが。
そんなことを思いながらスプーンを口に運ぶ。
「…辛っ!」
一瞬行けるかと思ったが、しかし次の瞬間には鼻のあたりが熱くなっていた。
「飲み物…!牛乳。牛乳をください!」
僕は侍女に懇願するように注文をする。
辛さの元カプサイシンは水では洗い流せない。油か乳製品でないといけない。
「ぎゅう…にゅう…?」
しかし侍女の表情は凍り付いたまま、ゆっくりとその首が傾げられた。
「あれ、ないのか?」
デュルヘルムがお菓子作りをしてることから勝手にあると思っていたが、しかしよく考えるとスコーンは牛乳がなくても小麦と水で作れる。
「だったら…」
僕はウインナーに目を向ける。この中に詰まってる肉汁ならば油分を含んでいるはずだ。そう思ってかじりついた。
もちろん肉汁はあふれ出た。そのことに安堵するのも束の間。やがてあることに気が付く。
「このウインナー…辛い」
この時僕は気が付いた。この辛さこそがこの州の料理の特徴であると。




