余談3 狡猾の狗①
アーサーさんが獣人帝国から去って三日が過ぎた。
彼らがもたらしたものは俺の、あるいは俺たちの、日常をがらりと変えていった。
まず、ノラ先生によって魔法の知識が与えられた。魔法を使えるようになった者は結局いなかったが、魔法を使うためにどうすればいいか、それさえ分かっていなかった以前と比べれば大きく進歩したと言える。
そしてアーサーさんが変えたのは俺の意識だ。彼は気づかせてくれた。俺たちの計画がどれほど無鉄砲でいい加減だったかを。俺たちには何も見えていなかった。それを気づかせてくれた。
そして彼は俺に道も示してくれた。
「俺は今すぐ出発したい」
「学校を卒業してからでは遅いと考えたか。なぜそう考えた」
「カルロ村に友達はいるでしょう?その子たちと長いこと会えなくなるわよ。それは考えてる?」
しかしその道を阻むものが今現在俺の目の前に二人ほどいる。親父とお袋だ。
「勉強は学校じゃなくてもできる。旅を続けながらでも。…友達だって、しばらく会えないだけで、ずっと会えないわけじゃないから問題じゃない」
俺は生まれてから何度目かの家族会議の席についている。
場所は家、宮殿の一階の奥、テーブルとソファーだけの簡素な部屋。家族会議はいつもこの部屋で行われる。入って右側にあるソファーには親父とお袋が並んで座り、その向かいに俺が座る。
今すぐにでも旅に出たい俺と、それには反対の両親という構図だ。
「確かに勉強は学校でなくてもできる。だがそれは教える者がいればの話だ。もし一人でも勉強ができると考えているのであれば、それは思い上がりだぞ」
と、親父。
「確かにいつかは帰ってくるからその時再会はできるわ。でも、今のあなたぐらいの年頃にできた友達とは今仲良くしておくべきだわ。大人になってから再開したとき、今と同じように接することなんて、できないことの方が多いのだから」
と、お袋。
二人は示し合わせたかのように頭に「確かに」を付けて、役割分担でもしているかのような息の合いようで俺の計画の前に立ちはだかる。
「でも教科書はもらってる。あとはそれを使って…」
「読むだけで知識が手に入る者などそういるものではない。もしそうだというなら、そもそも学校に行く必要はないだろう」
俺は何も言い返せない。事実、今まで自分が身に着けてきた知識や技能が、教科書を読んだだけで手に入ったかといえば、そうではないからだ。
「でも、勉強を後にして先に旅に出てもいいだろ?順番が変わるだけなんだから」
「いや、しかるべき知識を持ってなければ見えない景色というものもある。見落とす情報もな」
そう言われてしまうと俺からは何も反論できない。多分親父の言ってることは本当のことだろうし、勉強を終えてからでは手遅れだと証明するためには、やはり勉強を終える必要がある。
「じゃあ、旅で向かう村々にある学校で勉強をしていったら駄目なのか?獣人帝国の中にある学校は全部、同じ時期に同じことを勉強するんだろ?」
「確かにそれも可能だな」
親父は納得したように頷く。
やったかと思ったのも束の間、親父はしかし、とすぐに口を開く。
「しかしその手配がどれほど大変か、そのための費用は誰が出すか、考えているのか?」
「ああ、えっと…」
「あなた。それは構わないでしょ?手配でもお金でも、必要なら私たちが何とかするわ」
「お袋…」
お袋の言葉に胸を打たれた俺だったが、しかしお袋は続けて言う。
「でも、友達と過ごせる今はどんな手を使っても後から手に入れることはできないわ」
親父とお袋は味方同士ではなかったのかと思ってしまうほど手際のいいすり替えだった。
「いや、お袋。お袋からすれば俺はいつまでも子供かもしれないけど、俺はもう自分でちゃんと考えられる。友達との付き合い方だって自分で決めるよ」
「そういう判断は後になって後悔するものよ」
そう言うのは卑怯ではないだろうか。何事も俺よりも先に経験している大人にとって、この言葉は必殺技のようなもので子供を言いくるめるときに絶大な効果を誇る。
ことうちの両親に限れば、その言葉はかなりの的中率を誇ったりするので、一般に通用する「これを言ってる大人は実は言い返す言葉がないだけ」という穿った分析が当てはまらない。
「待て。そうやってリードが自分から下した決断を否定するのは、あまりいいようには思わんぞ」
「あなたはさっきそれと同じことしてたわよね」
「実現するにあたって問題のある決断だったからだ」
「いいえ。旅をしながら勉強をするという考え方は悪い案じゃないはずよ」
「親からの支援があればな。しかし、それではいつまでたっても自立できないんじゃないか?」
「経済的な独立なんていつでもできるわ。その前にはまず心が育たないと」
「甘やかすことが育てることではない」
親父とお袋の間で、俺を行かせたくないという基本的な方針は一致しているようだが、それ以外の細かい考え方はそれぞれ少しずつ違っているようだ。
「…いや、俺たちの方針をぶつけ合ってる場合ではなかったな」
「ええ。今する話ではなかったわ」
そして一分とせず話は戻る。
「このままではいつまでも終わらない。リード。今現在のお前の考えを話してくれ」
「俺の…」
考えと言われても、さっき親父やお袋に言われたことで俺の考えは変わったりしない。
「俺は将来親父の跡を継ぐ。その時がいつ来てもいいように今すぐにでもこの国のことを知っておきたい」
「言っておくが、当然次の王になるお前にはしかるべき教育を施す、否、施している。今から、というのは悪い心がけではないが、しかしお前が焦って段階を早める必要はどこにもない」
そういわれるとその通りで、親父のやり方に従っていれば何も心配ないんじゃないかと思ってしまう。
しかしそれは違うとアーサーさんは教えてくれた。本当のことを知るには自分の目で見るしかないということを。正しい行動というのはそれを知ってからじゃないと為せないということを。
「でも何が大事かは自分で決めるべきなはずだ。親父に言われたとおりにするのが正解じゃないんだろ?」
「ふむ、そうだな」
親父は短く応答をよこして少し間を置き、口を開いた。
「ではこうしよう。お前が旅に出るというならば出発時に必要なものを全て与える」
ただし、と親父は続ける。
「お前に与えるのはその一度きりだ。旅立てばここに戻ってくるまで追加の援助はしない。ここに帰ってきた時点でお前の旅は終わりだ」
「えっと、じゃあ、旅に出ていいのか?」
「構わん。だが出る前に綿密な計画を提出しろということだ」
親父がお袋の方を向くとお袋からはすぐに、それならいいわと返事がよこされる。
こうして家族会議は終了した。全て丸く収まったかのように思えたが、計画を練るという大きな課題が与えられた。
それは取り敢えず下宿先の部屋でゆっくり考えることにして、俺はカルロ村に帰った。
そして夜。
「始めるか」
俺は机の上に紙とペンとともに地図帳を並べる。学校で教科書として使われているもので獣人帝国全域の地理を収録したものだ。
「全部の村を見て回るから…」
地図に記された村の名前を一筆でなぞる線を描けばいいということだ。それが俺の通る道ということになる。
一筆書き自体は十分ほどで終了した。しかし地図の上に線を走らせているうちに俺はあることに気づく。
「実際の距離ってどうやって求めればいいんだ?」
地図には縮尺というものがあり、二地点の距離は地図上での距離にその縮尺の分母をかければいいということは習った。しかしそれはあくまで直線距離の話だ。今俺が地図に引いたのは曲線。線の長さの測り方なんて俺は知らない。
「まあいいか…とりあえず今のは順番を決めたってことで、次の村から次の村までの直線距離を測って合計すればいいか」
カルロ村を出発点として次の村、次の村、次の村、と直線距離を物差しで測ってはメモする、を繰り返しているうちにまたあることに気づく。
「これ、俺一人でできる旅なのか?」
移動距離が長いというのはそれだけの時間がかかるということ以外に、その分だけ持っていく荷物が増えることを意味する。もちろんお金もだ。
「それに、親父は何でも用意してくれるって言ってたけど、俺が一度に運べる量しか持っていけないよな…」
親父は何でも無限に与えるみたいに言ってたが、そうではない、限界は俺の方にあったのだ。
「そういえば、フェンリルって借りられるのか?」
親父は必要なものを全て与えると言っていた。しかしその「もの」に「生き物」が含まれるとは明言していなかった。
「ということは駄目か」
いいと言われてないなら駄目だということだ。諦めるしかない。
「それならやっぱり持っていける荷物の量は限られてくる。でも…」
自分一人で運べる量の荷物で旅できる範囲なんて、カルロ村に隣接する村を巡って二周分というのが限度な気がする。
「ほかの人に頼るのは…いいのか?」
親父が言ってたのは、俺が旅に出たら次に帰ってくるまで一切手を貸さないということ。それを自分一人の力だけで乗り切れという意味だと解釈するべきか、それとも旅先で出会った人になら助けを求めていいのだろうか。
「力を借りていいとは言われなかったけど、でも、それって人と関わらないようにしないと無理だよな。そんなの絶対無理だぞ…」
でも、だからといって旅先で人の力を借りるのは少し卑怯な気がする。親父もお袋も俺に一人前になってほしいと考えてるはずだ。なればこそ、他人の力は借りられない。
「くそ…どうすれば…」
理想はあるのに様々な難題がそれを阻む。こんな時一体俺はどうすれば。
「いや、方法ならある」
そう。俺はもう知っているんだ。アーサーさんほど全知ではないとしても、ノラ先生ほど万能ではないとしても、俺の中にも不可能を可能にする力が眠っているということを。
この世界には魔法が、あるということを。




