余談2 萌芽の蕾①
作戦行動開始から二十七分が経過。残存酸素55パーセント。
我々は永久とも思るほどの深い闇の中をもがき続けていた。
重力の感覚さえも薄れ、自分が前進しているのか、浮上しているのか、あるいは堕ち続けているのか、全ては曖昧模糊だった。
しかしその暗闇の中でも頭部を覆っている装備、サウザンドアイズの内側に映し出されるナビゲーションは事前に最適と予測されたルートを示す。
前方では妹のパティが泳いでいるはずだが、姿は見えない。パティの言うことには、サウザンドアイズには相互に通信する機能がついており、右耳にあたる部分に取り付けられたスイッチを押すと通信が始められる。俺は何度か通信を開始しそうになったが、それだと俺がパティに助けを求めて緊急通信をしたと思われ、一時的にパティの精神世界に混沌をもたらしてしまう恐れがあるためはばかられた。
計算上目的地に到着するまでに酸素は55パーセント消費する。言い換えれば、残存酸素が50パーセントを切った時点で退路は断たれ、否が応でも目的地に浮上しなければならない。
そしてふと残存酸素の数値に目をやると、いつの間にか49パーセントになっていた。
これはパティに通信を入れるいい口実になる。残り酸素が半分になったところで、引き返すかどうかを決断する必要があるからだ。
俺は右手でサウザンドアイズの側面を撫でてスイッチを探す。指に引っかかった突起を強く押し込み、視界の端に波紋のようなマークが映し出されるのを確認する。
「パティ。俺だ。聞こえるか。送れ」
「あ、お兄…!こちらパティ。感度良好。オーバー」
「こちらの酸素濃度が50パーセントを切った。作戦に支障はないか。送れ」
「コピー。作戦に変更なし。地形に大きな変化が見られないため、事前調査で決めたルートで問題ないものと思われる。オーバー」
「了解。何かあれば通信しろ。終わり」
「コピー。兄者も気を付けて。アウト」
パティはこのまま進むという選択をするようだ。
そして5分後、光が見えた。ナビゲーションによるものではない、外からさしてくる本物の光だ。
「兄者!光が!」
サウザンドアイズにパティからの通信が入ってくる。
「フッ。ああ。見えている。あれが目的地に違いないか。送れ」
「ククッ。我々は正しかったぞ兄者!上陸だ!」
「待て!まだ危険が潜んでいるかもしれない。慎重にな」
「わ、分かった。オーバー」
俺は大きく水をかいてパティに並び、背中合わせになってゆっくり浮上し、頭上に空いた穴から顔を出した。
どうやら俺たちは水没した洞窟を通ってきたらしく、目の前には滑らかな乳白色の壁が広がる。
「こちら異常なし。兄者は?」
「こちらもだ。あがるぞ」
穴のふちに手をかけて自分の体を引き上げ、続いてパティの手を掴んで引き上げる。
撥水性のあるレジスタンスはすぐさま表面から水気を排除した。
「さて、ここから先の道は分かるのか?」
パティは首を横に振った。
「我らが王から、洞窟の出口を見つける方法を教わった記憶が、ある、けど…」
「思い出せそうか?」
「……。……。……無理」
しばらく目を閉じて記憶を探っていたが、やがて小さくそう答えた。
「そうか」
「ごめんなさい」
「気にするな。ここまで俺たちが安全に来られたのはお前のおかげだ。十分よくやった」
俺は目印として自分の魔力の糸を今しがた這い上がってきた穴に垂らし、糸を生成しながら歩くことにした。この穴さえ見失わなければ出口は確保できていることになるので最悪の事態というものは回避できる。
「行くぞ。取り敢えず上を目指そう」
「ラジャー」
パティはこくりと頷き、傾斜に逆らう方向を向いて歩き始めた。
洞窟内で俺たちの足音はあちこちで反響する。2人の凱旋を祝福しているように。
しばらく歩くと道は下りはじめ、足元には水が現れ始めた。
「待て。パティ。そっちではないかもしれない」
再び水が現れ始めたということは、このまま進んでも地上に出られないと考えた俺は、前を歩くパティを止めた。
「では引き返すのか?兄者」
「…決めあぐねている。どちらの道こそ選ぶべき道か…」
あまり俺が優柔不断でいるとパティを不安にさせてしまうので早く決断を下したいところだが、状況が状況だけに慎重に行動したい。
そうして何も言えずにいると、俺の眼はパティの背後にあるものを捉えた。
「パティ!こっちに来い!」
俺はパティの手を掴んで引き寄せ、自らの背後に隠す。
そうして俺はそれ、仮にXとしよう。Xと対峙した。
Xは初め、蛇が鎌首をもたげるような動きをする水だった。しかしその水は形を変え、次第に人の形をとるようになった。
「ウンディーネ、か」
俺の目の前にいたのはもはやXではない。ウンディーネXだった。
「あなたたち、誰?どこから入ってきたの?」
水だったっものに生物らしい質感が宿り、それが言葉を発した。
彼女は警戒しているというよりかは、純粋に不思議がっているようだった。
「俺はオスカー。右腕に無限を宿している。そしてこちらは妹のパティ。左手には虚無を宿している」
「え?腕に何を?」
「その話は後だ。俺たちはこの州に先に入った仲間を探している」
ウンディーネは危険な魔物ではない。ただ、同時に弱い魔物でもないため、万が一攻撃を加えられると厄介だ。潜入に際して装備は最低限にしており、武器になるようなものは携帯していない。
「彼らを探すために俺たち兄妹はここに来た。この洞窟の外に出る方法があれば、教えてはくれないか」
「えっと、あの、ごめんなさい。それよりも……」
ウンディーネXは俺たちの顔をかわるがわる見つめて言った。
「あなた達は何か被っているの?それとも…元からそういう顔なの?」
彼女からの言葉に俺は気づきを与えられる。
俺たちは今サウザンドアイズを装備している。これを被っていても目に入ってくる景色は普段と変わらないため失念していたが、外から見れば俺たちは顔を隠してる「怪しい人物」。即ち彼らにとってこそ、俺たちは存在Xだったというわけだ。いや、エルフXと呼ぶべきか。
「フッ。その通り。今お前に見せているのはかりそめの姿。では見るがいい。我が真の姿を」
言って俺はサウザンドアイズを頭から外す。
そうして露わになった俺の頭部を見て、何を思ったかウンディーネXは目を丸くする。
そして何を思ったかは、すぐに彼女の口から語られた。
「あなた、エルフなの?」
「ああ。その通りだ」
「驚いたわ。本物のエルフなんて初めて見た」
それはそうだろう。
かつてはエルフも妖精たちと友好的に接しており「森の妖精」などとも呼ばれていたらしいが、それは俺が生まれてくるよりもはるか昔の話だ。このウンディーネにとってもそうなのだろう。
「そっちのあなたもそうなの?」
パティはまだサウザンドアイズの装備を解除していなかった。
パティは俺を見たようだったので、俺は頷いて見せた。するとパティも俺と同様にサウザンドアイズを頭から外し、
「パティ、です。……。」
名乗るだけ名乗って硬直していた。
パティの対外防衛システムがオンラインだ。
「とにかく、俺たちは仲間、仲間というのはエルフではなく皆人間なのだが、彼らを探しているんだ」
「ああ、そうだったわね」
思い出したようにウンディーネXは視線を俺に戻す。
「分ったわ。あなたたちをここから逃がすわ」
「逃がす?それは一体どういうことだ?」
ウンディーネXは俺たちとの距離を詰め、その分声を落として話し始めた。
「私たちウンディーネはみなキング・ニクサと呼ばれる妖精に仕えているの。彼はこの洞窟に入ってきた者はみな一度自分に見せるように言われているの」
「それが仕事だというなら、俺たちをキング・ニクサの前に出してからでも…」
「いいえ。そんなことはできないわ。あなたたちのような子供を、そんな…」
ウンディーネXは気まずそうにかぶりを振った。
「ニクサ様は女なら見境ないのよ」
「女、なら?」
なるほど。つまりそういうことか。
「それに、君もそれなりに整った容姿をしてるから、万が一ということもあるわ」
今まで何度か女と間違われた経験はあるが、そんな間違われ方はごめんだ。
「そうか。では気遣いに感謝して、その作戦に参加させてもらう」
俺だけならまだしも、パティをそんな危険な目に合わせるわけにはいかない。
「ええ。それじゃあ行くわよ。この洞窟の中では私より偉いウンディーネはいないから見つかっても何とでもできるけど、なるべくばれないように、顔を隠しておいた方がいいかもしれないわ」
「そうさせてもらおう」
顔を隠すというよりも、動くのに手に持ったままでは邪魔なのでかぶっておくことにした。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったな」
「そうだったわね。私はニムエよ」
「ニムエ。さっき自分はウンディーネの中で一番偉いと言っていたな」
「ええ。偉い、というか単にまとめ役をしているだけだけれどね」
「では、どうして自らの疑問を主に伝えない?」
俺は先ほどの彼女の言葉によって生じた違和感を言葉にする。
「そのニクサという奴は、キングと呼ぶに、王と呼ぶにふさわしい器なのか?」
「…それを決めるのは私たちではないわ」
「いいや。あるはずだ。お前たちには、自らが仕える王を選ぶ権利が」
それこそが万人に等しく与えられた権利、選択の自由。
「そうかもしれないわね。でも、これは私の問題なのよ。あまり外から口出しは、されたくないわ」
「そうか。……。そうだな。余計なことをしたようだ」
「そんなことない…!」
パティが俺の後ろから声を上げた。
サウザンドアイズ越しで少し声がこもっているが、同時に人見知りが緩和されているようだ。
「あなたはキングを恐れてる。……。でも、あなたの仲間は、キングとあなたを恐れてる」
「どうして私が!」
「キングが本当に間違っているなら、従うべきでない。…でも、まとめ役のあなたが動かないから何も言えない。…私ならきっと、何も言えない」
ニムエの動きがとまり、パティを見据えた。
パティはニムエに見据えられながらも、しかし言葉を紡ぎ続けた。
「あなたがまとめ役なら、他のウンディーネたち以上に、主張しなければならない。…しなければ、あなたもキングと、同じだと思われて、しまう」
「そんなこと…!…いえ。言いたいことは分かりました」
頭に血が上ったように見えたニムエだったが、しかしすぐに冷静さを取り戻す。彼女はくるりと向きを変え、何も言わずに歩みを再開させた。
しばらく無言で歩き続けると動きを止め、前方を指さしながら言った。
「ここをまっすぐ進むと外に出られるわ」
そして足元の水を手ですくい、まるで泥団子を作るようにそれを掌の上で転がし、こちらに差し出した。
「外に出てからの案内はこれを通してするわ」
「礼を言う」
続いてニムエはパティを見て口を開いた。
「さっきはありがとう」
「偉そうに言って、ごめんなさい。……。でも、あなたは正しいから、きっとみんな付いて来てくれます」
「ええ。私もやるべきことを、することにするわ」




